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心を委ねられる友人は、本の中に。 『両手にトカレフ』と『思い出のマーニー』


これは私のための物語ではない。── というのが、読み始めてすぐの正直な感想だった。私のための物語ではないが、著者が伝えたかったこの視点を知らなきゃいけないという気持ち、いや、もしくはただの卑俗な好奇心に包まれながらものめり込んでしまい、頁を捲る手が止まらなくなった。

ブレイディみかこさんが上梓した初の長編小説『両手にトカレフ』の中には、イギリス郊外の町に暮らす少女の過酷な現実が描かれていた。それは彼女のヒット作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』と地続きにある世界ではあるけれど、ノンフィクションの形にしなければ書けなかった物語なのだという。

"ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』には出てこないティーンたちがいました。ノンフィクションの形では書けなかったからです。あの子たちを見えない存在にしていいのかというしこりがいつまでも心に残りました。こうしてある少女の物語が生まれたのです。"

ブレイディみかこ『両手にトカレフ』公式サイトより


イギリスに暮らす14歳のミアを取り巻くのは、ドラッグ中毒の母親、次々と変わる母親の恋人からの虐待、食べるものもままならない経済状況、過酷な状況下で自分だけを頼る幼い弟──。そんな過酷な日々を生きる少女は、遠く日本に生きた大正時代のアナキスト、金子文子の若き日の自伝を図書館で偶然手にする。

その本の中に綴られていたのは、父に、そして母にも捨てられ、無戸籍のまま学校でも名前を呼ばれず、父方の祖母を頼って朝鮮にわたるも壮絶な虐待が待っていた、若き日の金子文子の日常。そこに、近しい境遇で生きるミアが強いシンパシーを抱くのは必然だ。

読書を進めるにつれ、フミコはミアにとって時空を越えた友人となっていく。クラスメイトにも、心配を寄せる大人にもわかってもらえないであろう本音を、彼女はフミコとだけ共有する。本は、読者にとっての友人になり得る。現実世界で分かり合える同志がいないのであれば尚のことだ。


この『両手にトカレフ』は、私のような……ぬるい現実を生きている大人のための本ではない。フミコとミアにだけは、ようやっと本音を打ち明けられるような、過酷な現実を生きるティーンのための本である。その人にとっては、フミコとミアと「私」の3人の物語になり得る。彼女たちが生きていくための、秘密の交換日記のようなものであると思うのだ。

──


いまよりもうずっと前──具体的には21年前、私もふたりの少女の物語に没頭したことがあった。「中学に行ったら新しい世界が広がるかも」だなんて希望は打ち砕かれ、陰湿ないじめを受ける生活に慣れ始めていた頃だから、あれは中学1年時の初夏、12歳の頃だったと思う。

当時私が夢中になった小さな文庫本の33ページ目には、こんな一節があった。

「ああ、よかった。」アンナはひとりごとをいいました。「よかったわ、行ってしまって。あたし、きょうは、もうずい分いろんな新しい人に会ったもの。一日分としては、じゅうぶんだわ。」

賑やかな子どもたちの群れが去っていき、胸を撫で下ろすアンナは心の内でこう呟く。こんなにも排他的な感覚を持つ主人公はアンナの他にあまりいなかったし、私はそんな彼女が好きだった。

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