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怒りにどう向き合うか


先日、ずしんと落ち込んでしまう出来事があった。


目から情報が入ってきたあと、まず手や足からスゥゥ…と血の気が引いていく。次に心臓がドキドキして、アドレナリンが吹き出してくる。苛立たしい、同じことを二度と繰り返してくれるなよ、と強く警告を打ちたくなる。おまけに怒りをしっかり表現することで、快楽物質がドバドバと出て気持ちは高揚してしまうのだ。


けれども、その代償は大きい。

怒りの感情にまかせて言葉を表に出すと、相手も怒り、それがまた自分に跳ね返ってきて、自分の周りはどんどん負の言葉で埋め尽くされていく。本来伝えるべき相手以外にも伝染する。

怒りは、ときに世の中を変える、とても重要なエネルギーではあるのだけれど、だからといっていつでもその力を借りてしまうと、自分で自分を制御不能の渦の中に落っことしてしまうのだ。


──


怒りとどう向き合うか。私の場合は、まずは魂のごちそうとなるような音楽や、美しいものに耳や目を委ねて、じっと心が和らいでいくのを待つ。


怒りをコントロールするアンガーマネジメントという領域には、音楽療法やアートセラピーが含まれる。ただ、たとえそうしたノウハウがなかったとしても、喉が渇けば水を飲みたくなるように、つらい時に癒やされる画像を検索したり、猫を抱きしめたり、好きなアイドルのMVを見て自分を励ましたりする人もいるだろう。


みんなの栄養源も知りたいと思い、ふとこんなツイートをしてみたところ、本当に沢山、みんなの美しいと思うものが集まってきた。その数およそ三百。猫、詩、星空、夕焼け、食べ物、赤ちゃん、工芸品、建築物……。


そんな中でも(猫に次いで)多かったのが、水辺の景色だ。




ほかにもたくさん。



そういえば今年の8月は、ずっと青森の十和田湖の畔で過ごしていたのだけれども、湖というのはとてもいい。海はすこし恐怖心を抱いてしまう対象なのだけれども、湖には安心感があるからいい。

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夕方に温泉に入り、夜通し原稿を書いて、行き詰まったら朝日に照らされた十和田湖を見に行ったりしていた。そうして生まれたのがこのコラムだ。自分の中でひとつ脱皮できた原稿でもある。


コラムの舞台であるダブリンもまた、水辺が美しい町だった。嫌でも身体や心が強張ってしまう異国での一人暮らしの中で、あの景色にどれほど救われただろう。



そうしてふと思い返せば、milieuのトップページもずっと、静かな朝の湖のまま。四季折々の景色に変えようか……といろんなものを当ててみたけれど、これが一番しっくりくるので、ずっとこのまま。

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どうしてこんなに、水辺に惹かれるのだろう。


私の育った住宅街は、山や小さな池はあっても、湖や川と呼べるようなものはほとんどなかった。だから水辺に対して特別な懐かしさがあったり、原体験がある訳ではない。


ただ(諸説あるものの)私たちが「美しい」「安心する」と感じるものは、私たちの祖先が大自然の中で生き抜く中で、どうやら、有益だったものが多いらしい。


私たちの祖先は、文明を川のまわりで発展させてきた。川のまわりの養分は肥えていて、作物が育ちやすい。美しい花が咲いていればいずれ実がなり、美味しい果実を食べさせてくれる。


ロシア出身のアートユニット、Komar & Melamidによる"The Most Wanted Paintings"というリサーチが、とても興味深い。

各国の調査会社に、絵画にまつわるアンケートを依頼した。どんな絵画が好まれ、どんな絵画が好まれないのか。そこで得られた結果は、面白いほどに個性がないのだ。



まず、フランス人の最も好む絵画は……

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http://awp.diaart.org/km/fra/fra.html より


ケニアの人々は…

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http://awp.diaart.org/km/ken/ken.html より


ロシアも……

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http://awp.diaart.org/km/rus/rus.html より

そして中国も。

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http://awp.diaart.org/km/chi/chi.html より(ちょっと色が変色してますね…)



どれもこれも水辺であり、牛や馬のエサになるようなものが生えていて、外敵から身を守れる岩場のようなものまである。この環境があれば、私たちの祖先は生きられた。自分の命を守り、繋げることが出来るのだ。

1997年頃に作られたWebサイトがまだ残っているのだけれど、好まない絵画も含めたその他の調査結果もここから見ることが出来る。もしくは、NETFLIXのドキュメンタリー「世界の"今"をダイジェスト」シリーズの「美の本質」という回でも、この話が触れられている。



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宗教や出身国に関わらず、大勢の好むものが一致している。そして私とも、一致している。これは大衆的……というよりも、とても動物的な話だなぁと思う。私はF1層である前に、日本人である前に、大衆である前に、いち動物なのだ。

だって美しさだけで言えば、零れ落ちそうな星空や、連なる山脈、真っ白な雪国、そして海の中の楽園だって引けを取らない。それなのに、大勢が好むのは、淡水の水辺に草が生い茂っている様子なのだ。なんと動物的だこと!


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ただ今の時代、べつに水辺じゃなくても生きていける。淡水を探し求めて彷徨わなくても、蛇口をひねれば淡水が出てくる。草木が生い茂る場所でキノコや果実を探し回らなくとも、最寄りのスーパーで買い物すればOKだ。


それなのに、私たちはこうした風景を目の当たりにすると、どうにか写真に残して持ち帰ろうとしたり、絵画として飾っておいたり、ましてや枯れてしまうのに草花を部屋に飾ったりする。それは美しさへの執着心か、生きたいという気持ちの表れか。



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私の大好きな場所である、表参道の

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。