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車輪がまわる、それぞれのリズム


「リズムが悪いのはね、自分ではどうしようも出来へんから。でもリズムが悪いってことに、気付けるようになれたらええよね」


まだほの明るい夏の日の放課後、まもなく使われなくなる予定の母校の研究室で、日本画家の川嶋渉さんがそんなことを言っていた。私はこの台詞をそっくりそのままノートに書き込み、それからずっとなんとなく、リズムのことを考えている。

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私たちにはそれぞれ、リズムがある。目には見えないけれど、車輪 ──もしくは歯車のようなものを各々が持っていて、それをくるくると回しながらそれぞれのリズムを刻んでいるのだ。その大きさや材質は人によってまるで違って、たとえばゴムで出来たミニ四駆の車輪をモーターで高速回転させられるような人もいれば、水の重さでゆっくりと、けれども力強く回る木製水車のようなものを持っている人もいる。……なんてことを、しばらく私は想像している。


ここ最近は嬉しいことに、わたしの持つ車輪はそれなりに気持ちのいいリズムで回ってくれている。それはきっと、こうやってネットで散文を書くという行為の車輪の大きさと、私の内側にある車輪のサイズがうまく合っている、ということも大きいかもしれない。日々を暮らして、考えて、言葉にして、インターネットの中へ投げる。しばらくすると、なにかしらの反応がやってくるから、それを受けて、また考えて……。社会の中で回転しながら、わたしの車輪もくるくる回る。

もっとも、同じ日本語を書く……という仕事であっても、小説や短歌となると、私が書いているような散文とは素材も形もまるで違う。小説の車輪は散文のそれよりも大きいし、場合によっては複数の車輪が歯車のように組み合わせられている。短歌の車輪はずっと小さくて、それでいて飴細工みたいに繊細だろう。

私の持っている車輪は中くらいの、おそらく自転車くらいのものであろう。正確に言えば電動自転車ではなく、坂道では立ち漕ぎしなきゃならない自転車だ。スイスイと小回りは効くけれど、漕ぎすぎると自分が疲れる。だからときどき脚を休ませつつ、うまく進める。個人事業主として独立して7年と半年、ようやくそうした自分のリズムがわかってきたようで、最近はなんだか調子がいい。

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友人と旅行に出かけると、あまりのリズムの違いに仰天する……ということが多々ある。

とあるYouTuberの友人と過ごしたときは、光速回転するその車輪のはやさに面食らった。今の瞬間を、もう動画にして世の中に出している。そこには迷いも躊躇いもなくて、どんどん進む。「なんでこんなに更新速度がはやいの!?」と画面越しにずっと不思議だったけれど、なるほど、タイヤの材質も半径もまるで違うのだ。

一方絵描きの友人は、ゆっくりと慎重に車輪をうごかしていた。SNSも滅多と見ない。彼女の描いた大作を前に「どうやったらこんな緻密な仕事が出来るんだろう」と焦がれたこともあったけれど、私たちはきっとそれぞれ、各々のリズムで車輪を回していて、その成果物がまったく違ったものになるのは必然だ。

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他人のこしらえた作品だけを見て憧れたり、焦ったりするよりも、私はわたしのリズムで車輪を回して、そこから生まれるものをもっと、自分のものにしていけば良いのだ。無論、車輪の大きさは年齢や環境によって変化していくのだろうけれど、今の車輪を頭の中でしっかりイメージしておくことは、生きる上で役に立つ。


私は料理を作ることも好きだけれど、何時間もかかるような煮込み料理や、何年間も世話を要するような発酵食品のような類のものは、車輪が大きすぎてどうにも向いてない。簡単な下拵えをして、チャチャッと炒めて出来る程度のものを作って、熱いうちにすぐ食べるくらいがちょうどいい。

もっとも、家のことは全般的に好きだけど、それは「目先のことにしばらく集中すれば、それなりに達成感を味わえる」という家事全般の持つ車輪のサイズ感が、私の持つ車輪との相性が良いんだろうな。


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職業や生活の営みにリズムがあるように、街や場所にもリズムがある。渋谷のリズム、有楽町のリズム、今月訪れた甲州のリズム、地元千里ニュータウンのリズム……。日頃、本来の姿以上に自分を高速回転させすぎている人は、たまにはゆっくりとしたリズムの流れる場所で、自分を労ってあげる必要が、もちろんある。もしくは仕事が退屈すぎて物足りない人は、休日くらいは街に出てくるくると踊るのが良いのかもしれない。

そうやって考えていくと、セラピストやDJは、人のリズムを調律している……という大まかな点に置いては同業なのかもしれないな。ゆったりとしたリズムに戻す前者と、より高速回転させる後者。まったく真逆の仕事に見えて、どちらもリズムの調律屋さんだ。そういう具合に考えるようになってから、リズムが異なる世界であれ、なんだか愛おしく思えるようになってきた。


もっとも、川嶋先生が仰っていたリズムの解釈が、これで合っているかはよくわからない。ただ少なくとも私にとっては、自分の、もしくは誰かの持つ車輪を具体的にイメージすることは、生きる上で役に立つことであるように思うのだ。



2023年4月12日追加。

今日から日本橋三越の本店、6階美術特選画廊で始まった川嶋先生の個展に行って来たので、少しその様子を。


流れる墨、留まる墨、波打つ墨……粒子たちの小さき意志を感じるような、軽やかで自由な作品群。4月17日までです、是非。

https://www.mistore.jp/store/nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0150.html



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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。