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配慮に配慮を加えて煮込んだ甘口カレー



「ほんま自分、毒舌やんな」


10代の頃から、何度もそう言われてきた。何度も言われてきたのだから、私は割と、筋金入りの毒舌人間なのだろう。

それがスパイスとしてハマれば良いけれど、その毒で相手を傷つけているのであれば、単に嫌な人である。

ましてや私は会話はスポーツだと捉えて生きてきた大阪人。自分が「ツッコミ」だと意気揚々と振りかざしたものが、文化圏の異なる相手にとっては「ご指摘」としてぶっ刺ささり、無意識のうちに深い傷を負わせてしまったことも少なくない。上京後、そんな自分を何度も悔い改め、反省し、でも繰り返し、いっそのこと性根から良い人に生まれていればもっと生きやすかったのにと僻んだ。


真っ直ぐにキラキラと素直な思いを口にできる、良い人に生まれたかったのだ。揺るがない自己肯定感を大きな瞳に宿らせながら「まいちゃん、だいすきー!」と抱きついてくる4歳の姪っ子のような人間に、私もなりたかった。でも素直な思いなんて口にする機会も持たず、大人になってしまった。


そうした願望があったからか、企業広報としてイメージを壊さないようにしていた時期があったからか、環境問題に関心を持ったから、もしくはツイッターのフォロワーが増えすぎたから、はたまたSNSが公衆の場になりすぎたからか……挙げられる理由は色々あるんだけども、ここ数年の自分は極端に良い人、というか「倫理的な人」みたいな顔をしすぎていた気がするのだ。べつに、倫理を代表している訳でもなのに。


しかし如何せん中身が100%の善人ではないので、その不一致にむず痒くなってしまう。出している言葉に嘘はないが、全部ではない。グツグツと湧き出てくる毒をどうにか出さないように封じ込めていたけれど、先日いよいよ、「ちょっと、最近綺麗すぎるんちゃう?」と古い知り合いに言われてしまった。あぁ、私もそう思ってた。本来の自分は、もっと口が悪いのだ。

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(友人の描いた私(左)。とても似ているな)


叩かれないよう、傷つけないよう、炎上しないよう、配慮に配慮を加えて煮込んでいく甘口カレー。万人が食べられる甘口カレー。不味くはないが、やっぱりそれは、それは自分ではない。世間様がどう言うかは知らないが、少なくとも私は、スパイスの効いたカレーが食べたいのだ。それが嫌いな人は、どうぞ叩いてくれて構わんよ。





……と、なんでこんな話をしているかって、本日4月21日水曜日、久しぶりに川村真司さんと話をするために、6年も前に取材した彼のインタビュー記事を読み返していたんですね。当時の私の文章力はあまりにも稚拙なもので、読み返すのも恥ずかしい。が、まだカレーにスパイスを入れていた頃でもあり、今の自分、色々失っているなぁと感じてしまった。昔の自分は、たまに自分の本性をリマインドしてくれたりもするから、黒歴史だと消し去ってしまうには割と惜しい。


川村さんも、非常に素敵なスパイスを持っている人で、彼と話すと舌が痺れる。だから明日20時からのトーク(なんと無料!)は、それなりに痺れた興奮状態で喋り続けることになるんじゃないかしら。


明日はさらに、川村さんたちのプロデュースする六本木のお店「New Stand Tokyo」にて、人数制限をしたサイン会もあります。17時〜17時半の枠、18時〜18時半の枠はまだ若干空きがあるようなので、六本木界隈におられる方はよければどうぞ。(チケットは以下から買えます)(否、買えますと書きましたがチケットは無料です)


それでは明日、気が向けばどうぞ。もう、万人に来てくださいとは言いませんので!


(『視点』購読者の方にメールでお知らせしたかったのでマガジンに入れていますが、この先には何もありません)


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。