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喫茶店のまほう

家でコーヒーを淹れることが好きだ。

豆を挽いてドリップする過程はもちろん、自分好みの温度や湯量で一杯を楽しめる。

出先で淹れてもらったコーヒーを飲むこと
― とりわけ、喫茶店でコーヒーを飲むことも好きだ。

非日常を感じる空間で、流れる音楽やカウンターから聞こえる音に耳を傾けながら、芳ばしい香りに包まれて、ゆったりと過ごす時間は、心身ともに落ち着きを取り戻し、自分に優しくなれる。


「育児や夫婦関係で疲れたり、辛くなったら、
そうじゃなくても、いつでも休みにおいで」
と言ってくれる喫茶店が、2店舗ある。

そのうちの1店舗が閉店する。

そのお店は、エドワード・ホッパーの「海辺の部屋」のようだといつも思う。
近くに海はないけれど、真っ白で、光と影が心地良い。
季節の花に心を癒されながら、ゆったりとコーヒーを楽しめる。

喫茶としての店をクローズし、ECサイトでコーヒー豆販売のみになるため引き続き購入できるのだが、あの場所で飲めるのは今しかない!と全身に記憶を焼き付けるべく、気合を入れて行ってきた。


いつも通り、カフェラテの浅煎りを注文。

店内を見渡すと、イートインの机がなくなり、椅子は壁沿いに数脚置かれ、なんだかガランと広く感じた。

電車に揺られてお店に着いてからも、腕の中でぐっすり眠る息子の寝顔を眺めながら、ブラジルの浅煎りラテをひと口。

ミルクと浅煎り豆の絶妙なバランスと甘み。
口に広がるコーヒーの香り。おいっしい。


ほっと一息ついて、また飲んで。

ふと、「コーヒーが冷めないうちに」を思い出す。
とある喫茶店のある席に座ると、コーヒーが冷めるまでの間、望み通りの時間に戻れるという不思議で切ないストーリー。

手元にあるコーヒーを飲み終えたら、この空間で飲むのは最後と思うと、ひどく切なくなった。
そして同時に、この場所でこれまで感じた気持ちを思い返していた。

職場の先輩に勧められて来店した、緊張と期待。
浅煎りのカフェラテを初めて飲んだ、驚きと喜び。
25歳の辛い時期に気分を明るくしたくて来た、悲しみと安らぎ。
当時恋人だった夫に手紙を書いた、ドキドキ感。
学生時代の友人とお喋りしながら飲んだ、昂揚感。

この空間で、まるで瞑想のように自分と深く向き合って、何度も心が軽くなり優しい気持ちになれた。
喫茶店という空間の魔法だと思う。
わたしにとって大切な、心の安全基地だった。


最後の2口を前に、息子が目を覚ました。
コーヒーを焙煎する音で起きて、ここは何処だろうとキョロキョロ見渡していた。
ゆっくり飲ませてくれて、ありがとう。

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