【ポルトガルと日本】人や街の違いから信頼と安心を考える in ポルトガル・リスボン
ボア・タールジェ(こんにちは)!シンギュレイトnote編集部です。
いつもと違い、ポルトガル語からはじまりました。
というのも、今回お届けするのは、ポルトガルで書かれたnoteなのです。
先月、代表の鹿内がポルトガルに1週間滞在しており、ポルトガルに行って感じたことについて一筆書いていただきました。
そこで今回は、鹿内がポルトガルのリスボンで過ごして感じた日本との違いを、「信頼」と「安心」の観点からお伝えします。それでは、鹿内にバトンタッチしましょう。
ポルトガルより
ボア・タールジェ!鹿内です。
いまこの文章を書いている私は、ポルトガルのリスボンにいます。
時差は8時間。こちらの時刻で朝4時に起きて、日本のお昼すぎからのミーティングに参加。途中、ポルトガルでの朝ご飯をはさんで、日本の夕方・夜のミーティングが終わると、こちらポルトガルでは、お昼の時間。そしていま、お昼ご飯を終えて、この文章を書いています。
さて、僕らシンギュレイトでは、イノベーションを目指した企業組織の文化をつくりだすために、「信頼」をかかげています。
信頼(しんらい)と心配(しんぱい)は、表裏一体。ひらがなで書くと一文字違いの双子です。セットで存在しており、心配があるところにこそ信頼があります。一方で、心配のないことを安心と呼びます。最近、セキュリティ・システムの世界で「No Trust」と謳われています。これは、信頼を必要としない安心・安全なシステムである、という意味です
ここポルトガルの石畳で舗装された道は綺麗ですが、車椅子での移動は無理だろうと思える段差の連続です(写真2)。また、駅のエレベータは、押しボタンが外れていたり、ケーブルが飛び出ていたり、漫画の様なわかりやすい壊れ方をして動きません。たとえ動いたとしても、階数表示がでてこなかったりと、乗っていて心配です(苦笑)
ところ変わって僕が、大きくて重いスーツケースを抱え、駅の階段であがることをためらっていると、サンリオのTシャツを着たお兄ちゃんが、すぐに手伝ってくれました。さらには、食事をするお店などでも、こちらが「頼み」さえすれば、期待に応えてくれます。周りを見ていると、いろんな心配を人間の信頼感でなんとかしている様子。その臨機応変さは、自由自在。お客も従業員も自由すぎて、ちょっと笑えてきます。
人は、南欧・ラテン特有の陽気さなのか、親しみやすさがあります。ただ、いきなり歌を歌い出してはお金をせがんできたり、クスリを売りつけてきたり、スリも多いようです。他者に干渉してくる予測不能な人間性があります。単に、僕が観光客に見られているからでしょうか。
ここ、ポルトガルと比較すると、日本のシステムは極めて安心だとわかります。ボタンを押すまで動くかわからない心配なエレベータに出会ったことがありません。一方で、人はどうでしょうか。不親切ではないですが、ポルトガルほどに他者への干渉はありません。人に対しての信頼がないからなのでしょうか、安心がないからなのでしょうか?
新しいことを始めたり、挑戦がある限り、そこに不安や心配は生じます。
シンギュレイトは、ポルトガル・リスボンで、イノベーションに挑戦する企業組織の「信頼」を考えています。
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