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「特別」になりたかった。

いま、私は何かを成せる人間になりたいと思っていた。誰よりも特別な存在でありたかった。それは負けず嫌いな性格のせいでもあったが、「愛されたい」という欲望の表れだと私は思う。

いつのころからか忘れたが、小学校のころから「弱みを見せない大人」に憧れていた。両親がどちらも強い人間だったからかもしれない。弱みを見せることが恥ずかしかった私は、誰にも甘えることなく生きていこうと決めてしまったのだ。

そんな私を揺さぶったのは、小学校三年生の時、Y君が転校してきたことだった。苗字が近かった私は、Y君の最初の友達になった。Y君は人気者で、あっという間にクラスの人気者になってしまったけれど、一番気が合う友達は私だったと思う。

私は初めて、他のものが見えなくなるくらいY君との友達関係に注力した。Y君の特別な存在でい続けることに執着していたのだ。自覚こそしていなかったが、恋心に近かったのではないかといまなら思う。

そんなY君との関係は、突然終わることになる。転勤族だったY君が小学校卒業と共に転校してしまうことになったのだった。とても嫌だったが、どう嘆いても時間は止まることはなく、Y君を除いたみんなは同じ中学校へ進学した。その中学校にはもう一つ別の小学校からも進学し、人数は倍になった。新しい人間関係になじむのに精一杯だった。

そうして新たな人間関係が構築されていくにつれて、Y君は私の特別な存在ではなくなっていった。そして、同時に私の存在の特別さも薄れていく感覚を知った。

その時から私は、誰かの特別な存在になることを望んでいる。

中学に入って1年ほどたった時、私には恋人ができた。人見知りのせいで浅い友達関係しか持っていないことにとても寂しく思っていた時期だ。そのとき流行っていたロックバンドが「愛されたいと望むなら、自分から愛してみて」と歌っていたことを覚えている。恋人ができた時、これでやっと誰かの特別になれると思って嬉しかった。相手がどう思っていたのかは分からない。その頃の私は、恋愛感情は特別感から来るものだと考えていた。

しかし半年ほど経ち、そうではないと知った。とっくに相手は自分の特別な存在だったが、「愛情」は必ず返って来るものではないことを悟った。

私はどう接していいのかわからなかった。恋の噂に敏感になっていた周りは、せっせと私たちの関係をからかった。黒板に書かれた相合傘を、相手が黙って消すのをただぼんやりと眺めていた。相手はただ恥ずかしかったのだといまなら思う。でも、当時の私は、ただの1人であることがとても苦しかった。

何か大きな人間になりたいと思ったのはこのころだったと思う。自分が努力することで、自ら相手を特別に扱わなくても、特別になりたいと思った。だけど、どれだけがんばっても「特別」にはなれないし、逆にもともと「特別」なのかもしれない。

あれから8年ほど経ったが、未だに誰の特別にもなれていない。きっと、真の意味で特別な人間なんてこの世にはいないのだろう。

だけど、頑張ればきっと報われると思ってしまう。何者にもならないことがどうしようもなく虚しく思える。

何者にもなれない大人たちを、私はかっこいいと思う。何者かになるのを諦めて、社会のために生きると決めた人たちをすごい人だと思っているからだ。もしかすると、諦めているわけではなく、それぞれの道で大成する途中なのかもしれない。どちらにせよすごい人だ。

私はまだ、何者にもなれそうにもない自分を認められそうにない。


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