見出し画像

あってもなくてもいいけど、確実のあった日のこと。『永遠のソウル・ライター展』

Bunkamuraミュージアムで、『永遠のソウル・ライター展』がはじまりました。前回見逃している上に、人気すぎて...と臆していたものの、代々木上原〜奥渋谷の散歩のゴールをソウル・ライター展に定めたので行ってきた。

岩手・滝沢・雪の夕方。心底どうでもいい日を思い出す

ソウル・ライターといえば、『NYの街の何気ない表情を素敵なアングルで切り取ったおしゃれな写真』というのが私の先入観。

これも間違っていないような気もするが、一枚一枚ところてん状態で押し出されながら眺めていると、雪と雨の日の写真の魅力に取り憑かれてくる。

濡れた道路、どうせならもう土砂降でお願いしますと言いたくなるような微妙降りの雨。冬の雨は傘を持つ手もかじかむ。ちょっとの距離だからバスやタクシーに乗るのももったいないから歩いているけど、持っている紙袋やカバンが雨に濡れて不快。友達と連れ立って歩くのも傘の幅がぶつかって面倒臭い。

そんな普通の雨の日の様子が手に取るように伝わってくる。

見ているうちに、心底どうでもいい日を思い出していた。

私は岩手県の滝沢村(現・滝沢市)に生まれてから18歳まで暮らしていた。10月から5月は基本ほぼ冬のようなところだった。

晴天率も低く、空はいつもグレーだった。気温は極寒か、うすら寒いかのどちらか。

学校からの徒歩の帰り道、微妙に溶けた雪が泥と混じってシャーベット状になっているところを注意深く歩きながら、「都会は確かにあるのに、なんでここに生まれたんだろう」と思っていた。それは、都会に行きたいという気持ちではなく、本当になぜ?と思っていただけだった。肯定でも否定でもない。ぼーっとそんなことを考えながら、雪道をどんどん進んだ。

というような下校道は小中高合わせて12年ほど続く。そんな日々の記憶は私の中で心底どうでもよく、そういう日々が私を変えた、とは全く思っていない。ただ、18年間は「グレーの日々」の積み重ねだったことは確かだ。友達や家族以外は誰も私のことを知らない。田舎でグレーの日を毎日生きる。それだけ。

ソウル・ライターの写真を見て、グレーの毎日を思い出した。

市井の人々の日々を賞賛することはないけど、否定もしない。ただそこにあることだけを表現する。

それはなんとなく許しに似ているな、と思った。

あってもなくてもどっちでもいい日々、でも確実にあったことを証明してくれる。それは結構な人が欲しい「許し」なのではないだろうか。

なんでもない日万歳!と騒ぐのではなく、なんでもない日を積み重ねる。そしてそれは確実にあったことをNYの街をメタファーとして全世界の人にニュートラルなテンションで表示する。

それがソウル・ライターがほんの軽く心を揺さぶる理由かも、と思ったのだ。


お兄ちゃんなソウル・ライター

画像1

フラットなテンションでかっこいい写真を撮りまくったソウル・ライター。今回の展示では、彼の妹の写真が公開されている。

うろ覚えだが、妹は20代で精神を病んで、以降亡くなるまで施設で暮らしたそうだ。そしてソウル・ライターにとってはソウルメイトのようにかけがえのない存在だった。

妹を被写体にした写真は正面からのアングル、にこぱしゃ系が多く、一気にスナップ風になる。無機質な窓枠や手すりなどを使ったアングルのソウル節写真もあるが、他の街並みの写真に比べて驚くほどキレがない。

結局妹が可愛くて、愛おしくて、アングルとかどうでもいいから普通に撮らせて、収めさせて...というソウル・ライターの切なる兄な一面がじんわりと滲み出して、不覚にも涙が出そうになる。

妹って、母親や彼女、妻が娘とは違う特別な女。

それがよくわかる写真の数々だった。

アザーカット公開っていいの?

画像2

今回の展示、過去の展示にはなかった「アザーカット」(コンタクトシート)が公開されている。

自然体に撮られた奇跡の一枚のような彼の写真だが、実は何度も何度も撮影が繰り返され、『これだ!』という一枚以外は現像しなかったことがよく分かる。

でも、それ以外に特に情報ってある?

写真家は、ここぞの一枚以外のアザーを世界中の人に見てもらいたい気持ちってあるのだろうか。

見られてよかった気もするけど、知りたくなかったしそれを知られてソウル・ライターかわいそう、という微妙な気持ちになってしまった。


と、ソウル・ライターの写真というよりは、じんわりと発光する人間性が見られる展示だった。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?