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不思議と文章には個性があって、性格や対人感覚といったコミュニケーションのアプローチにまで、その書き手のキャラクターが見えるように感じるときがあります。さらにロジカル(論理的)なセンテンスにフィットすることもあれば、句読点が少ない文章に加えて詰め込まれる語彙量を咀嚼できない等、まさに個性としか言い様がないのが、文章の有り様なのです。

美文調の流麗かつ行間から想像にまでイメージ昇華ができる書き手も勿論存在します。
明治以降、日本における最高の書き手は誰なのか。もとより個人の見解でしかありませんが、私はこの人を推したいと思います。

ズバリ中島敦です。

中高の現国の教科書にも載っていた『山月記』は誰しも一度は触れたことがある傑作です。
中島敦は生涯で20篇の短編小説を綴り、昭和17年に33歳の若さで病気にてこの世を去ります。
漢詩漢文の造詣が深く、その教養を活かした作品カラーが特徴の作風で知られています。

今回ご紹介したい作品は『弟子』です。
聖人と名高い儒学の祖である孔子とその弟子である子路との師弟関係を子路の視点を軸に、その出会いから子路の壮絶な死までを精緻な表現と構成で描かれています。
完成された文章とはこの作品の事を顕すと断言して憚るものではありません。

中島敦が作品づくりの基礎に古典文献を参考にしつつも、人物像を明確に浮き彫りにできる表現技術に感じるのは言葉に無駄がない印象があります。巷の殆どの作品に共通するのは、様々な修飾語を駆使して形にもっていくのが説明的で、流れを一旦減速してしまう点です。
『弟子』は短い作品にも関わらず、孔子と子路以外にも多種多様の人物が登場しますが、彼らを評するに作為性も殊更な形容もなく、人物像がいきいきと浮き彫りになっています。漢文素地が基礎的な効能をはたらかしているとも思われますが、やはり人間とは、という深層心理に深く根差した機微、人の言葉や行動の動機を読む洞察力が恐ろしく優れているのです。

ここに私は中島敦の人間観は‘孤独’という観点で突き詰めていたのではないかと推察します。
人は一人で産まれて一人で亡くなるという根本的な摂理から生きざま、生きた証を残そうとする、どこか本能に近い命の煌めこうとする力を中島敦は解析したかったのではないでしょうか。
まさにそこに着目し、自分自身を重ねていた可能性があっても不思議ではないと思うのです。

『弟子』における子路の純粋な精神は作品上では、この世において全うされませんでした。
予見的に師である孔子が前段に、いずれ子路が非業な最期を迎えることを示唆している伏線として、逃れられぬ運命にあるというくだりも、この世は不条理なればこそ道を求めるのが人間なのだと変換できます。所詮、孤独であることを自分自身が認識することによって生き方は変わると、人生を燃焼できる理由が生まれるのかもしれません。

美しいと感じる文章にはそうした核心が込められているものだと、やはり私は『弟子』を読むたび涙するのです。

そしていつか、何らかの形で映像化したい作品でもあります。

『弟子』が入った新潮社の文庫本です。
30年前、大学時代に購入したもので33刷です。
現在だと更に増刷されていると思われます🍀

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