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映像制作において、不文律のジャンルのプライオリティとして、やはり‘映画’は最高峰にあるものと思われるのは、一番リスクをかけて形にしていく媒体に他ならないからです。

その映画らしくとは何かといえば、一番は画質の感覚ではないでしょうか。被写体が何であっても、またはどんなやりとりをしていても、不思議と画質一つで映画的と言われる所以はそうした一般的に浸透しているイメージの共有であったりもします。

現在、ネガフィルムを扱うカメラで映像を制作するケースは今や皆無に近く、殆どビデオカメラまたは最近では携帯スマホカメラでの映像制作も汎用的になりつつあります。
そこで主眼を映画的にと考える場合、質感をどのように捉えるかが私は一つの差別化だと思います。

私が映像業界に入った1990年代前半は、映画は35ミリか16ミリのブローアップ、CMは35ミリを使ったフィルム撮影でした。デジタル化が加速したきっかけは1990年代後半における『スターウォーズ』の新三部作を全てビデオ撮影により成立させた事により、全世界的にデジタルシネマが普及した点にあります。確かに最大のメリットは大胆なコスト削減が可能になり、制作本数の増量化が可能になったのです。そうなると資本力の差がますますのジャンルの過当競争を招くのですが、今回はそこは触れずにおきます。

時間が経ち、先述したように現在の撮影現場はほぼ一眼レフカメラもしくは映画に最適な高性能ビデオカメラでの撮影により商業映像は制作されています。

‘フィルムライク’この言葉にビデオ撮影における質感を表している点があります。ここで個人の見解と敢えて断りますが、‘フィルムライク’の罠という事について考えていきたいと思います。

なぜ罠なのか、端的に申し上げると一秒間のフレームレートはフィルムは24コマから成立し、ビデオは30コマが通常、または60コマの撮影も常態化し、ハイヴィジョン時代に対応するためのキメの細かさを求める傾向もあります。
先にお伝えした1999年公開『スターウォーズ』の特徴こそHD24Pという、カメラ機能の中で構造上30フレームで成り立つ1秒を映すビデオカメラ内において、自動処理で6フレームを間引く機能を入れた事によりフィルム仕立てのように、観ている人を幻惑させることに成功した、これが革新的だったのです。よってデジタルによる新しいフィルム的質感が誕生しました。

現在、一般的に映画を観てキレイだと思っているスクリーンの質感にフィルム本来の質感は忘れさられようとしています。これが現実です。旧作モノクロの4Kデジタルリマスターを観てもらうと良く分かるのですが、モノクロなのに明るいのです。ノイズ処理や照度処理を丹念にし過ぎるあまり、画面に影を感じることがあまり無いのです。
影は光によって作られる代わりに光も影によって現れます。そのバランスを意図的に構成し人物を浮き彫りにしていくカットの連続が映画なのです。

ここまで考えてみて、私は複雑な思いをもってしまいます。デジタルで残すことにより後世にまで作品が観続けられる点、しかし原初の香りは消え失せる点。
この世は諸行無常と理解するならば、形に囚われることは不毛なことなのかもしれません。
そんなことをふと思いながら、自分が生み出す映像表現には先人へのリスペクトは絶対忘れてはならないといつも心に染み込ませて、今日も新しい現場に向かっています。

山口市はYCAMの芝生。今日の現場は山口市でした。起業以来、山口市を訪れる機会は多いです。

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