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議会議員候補者が選挙カーを使って巡回していく効能とは何なのか考えてみます。概ね2点に集約されるでしょう。
・認知度向上
・一生懸命さを伝えるに加えて、人柄や誠実さをアピール

昨今の軒並み国政、地方レベルと50%いかない低投票率から考えると、如何に有権者の記憶に刷り込ませるかに選挙カーでのスピーカー大音量を通して、候補者たちはそのやり方に賭けているのだと思われます。

しかしそうした意気込みを削ぐ推察をすると、投票にハナから行く気がない有権者には確実に逆効果となります。本来はそうした意向の有権者資格のある人たちへの喚起を訴える為の活動がマイナスに働いているのです。
理由はある種の騒音公害と捉え、嫌悪する方向は否めない向きがあります。選挙活動に選挙カーという方法論はインターネットやSNS時代には既に日頃からの活動や言動からの人柄といった、細かい判断材料が満遍なくチェックできる環境下にあります。
となると、選挙カーで知名度を上げる為、好感度を上げる為にといった理由での活動は果たして目論見通りになるのか…疑問が生じます。
インターネットに無縁なご年配者に触れ合う機会になるのでというのであれば、小さな集会を幾度も公示期間中に実施すべきで事足りるのではないでしょうか。

選挙期間なので、アピールをだから選挙カーでというのは実際、時代錯誤の感が余りあります。
例えば日常生活、とりわけ仕事において、静寂でないといけない環境を提供なり事業にされている方々にはまさに妨害でしかありません。
選挙期間だから仕様がないならば、一般市民の関心事において投票率はもっと上がって良い筈です。
言い換えると祭事のような捉え方ですね。

立候補される方には高邁な志がある方も少なくないかとは思われますが、より情報への敏感さや一般市民の感受性への配慮をベースに考えていただきたいのです。保身の為であっても、客観性を持ち合わせる器量のある姿勢が望まれます。

もしかすると、政治家は特別な存在だから概して許されると考える思考にあるのは、裏返すと人格より肩書が上位にある見方となります。つまり如何に人格を直視すること、人柄や考え方を理解することの難しさ、形式主義に準じることが楽で故に選択しやすいものであるか、深掘りすると単なる責任転嫁の表れなのかもしれません。

世の中は殊更に縛りを嫌っているにも関わらず、形式主義は残り続けている矛盾を感じます。
選挙カーが走り始める時期、ふとした思いが擡げるのです。

【私のオススメの一枚】

マシュー・スウィート『ガールフレンド』1992発表

私の中でロックンロールが聴きたくなる時、リピート聴きする一枚。
このアルバムを聴くと大学時代を思い出すノスタルジーに包まれるリアルタイム感もあります。アルバムを聴いた後でニール・ヤングを聴くと、インスパイアとリスペクトを感じずにはおれない1960年代を1990年代解釈でこれだけカッコ良いバンドサウンドに昇華できるセンスに脱帽としか言い様がない傑作中の傑作です。

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