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『漁港口の映画館 シネマポスト』では現在、4月12日までの上映でベルギーの映画、バス・ドゥヴォス監督作品『Here』が公開されています。

『Here』バス・ドゥヴォス監督作品
2023年のベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門の最優秀作品賞と国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)の2冠に輝く。

アンビエント映画と呼称したくなるサウンドデザイン、その精緻でどこか内面に沁み入るような機微の風景であり静物からの生命力に触れているかのような、音から想起される‘ありのまま’に没入されていきます。

これはある種の思想への共感ではないかと感じるのです。
生と死の境界線を何処に置いているか、何気に考えたことはないでしょうか。
決して諦観ではない、今を生きている最高の機会が自分にとって、それはいつかと問われた時に今この瞬間であると答えられたなら、悔いは恐らく皆無な筈です。やるべき宿題の答え合わせは必要ないからです。
私は生への執着は人生の宿題解決に時間を割かざるを得ない状況の継続なのではないかと考えるのです。
この宿題の中には、向上する野望も含まれます。因果そして業、使命と言い換えても良いかもしれません。
なので、先程の境界線とはいつ死んでも良いとする心境にある、その段階に到っているのではと推しはかります。別に無闇に現世への飽きや閉塞感からの逃避を謳うものではなく、生々流転な概念、諸行無常を受け入れることの許容の幅を指すものだと私は解析するのです。

映画『Here』がそうした主旨の有無ではなく、所謂派生して考えるところにおける普遍性への美をタナトスとして見られる、深い自然主義に行き着けるという別視点解釈です。
この哲学的な思念は映像の神秘性が掻き立てる要素もあります。
自分という存在が何者なのか、現実とテクノロジーの折り合いからその答えを見い出すのは、これは困難なことだと思います。

彷徨いながら、気づく。
それは自分にしかできない作業といえます。

本稿のイメージショットに使った画像はシネマポストの側面扉の前に咲いていたタンポポです。このタンポポ、翌日には萎れてました。ある役割か、瞬間の輝きだったのか…使命を終えた姿に明らかな生の確かな時間を誰かに示唆することができたのだと、ふと感慨に至ります。


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