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2022年後のあなたへ


シネマぞの部室には色々と落書きがあります。天井やソファーの裏にびっしりと。黒いペンで豪快に。
書いてあるのは、なんてことはないただの落書きです。〜年に中退した××だ。〜年にWi-Fiを持ち込んだ○○だ。その他もろもろ。

私たちはいま、冷房を効かせながら、その落書きたちをソファーから見上げることが出来ます。ソファーをどかして眺めることが出来ます。なんなら、それを消すことも不可能ではありません。

でも、しません。掃除が面倒だから。そして同時に、落書きに託された過去の断片から歴史を幻視してしまうから。





改めて考えると、サークルなる集まりは奇妙で不気味なものです。一貫した目標──予選突破、全国大会etc──を共有している訳でもない。趣味が似ている人間がなんとなく集合している。ただそれだけ。まして最高でも4年間しか居ることが出来ない。
さながらトランジットのようです。飛行機で最終目的地へ向かうまでの期限つき経由地点、もしくは燃料や備品を補給するための一時拠点。空港内の免税店でお土産を買うも良し、一度出国して観光するも良し。トランジット中の時間を潰しているひとは、大抵みたらわかります。暇すぎてロビーのモニターを流し見する親子。寒さで寝袋を広げてベンチで寝るおじさん。体がむくまないよう運動している若者。観光に精を出しすぎて遅れそうになる観光客。その他もろもろ。
彼らに許された自由は、もしかすると大学生のそれと相似形かもしれません。

いずれにせよ、トランジットは通過するための場所です。トランジットが完了すれば、便は離陸し、各々の最終目的地へと旅立ちます。
それじゃあ、さようなら。またいつか。



安く乗り継ごうとしたり辺鄙なところへ行こうとすると、トランジット前後で航空会社が異なる場合があります。大型のボーイングで来たけれど次は小型のセスナ機、みたいな。もちろん逆もまた然り。そういうとき、困るのが機内の環境です。
前者の場合、座席に備え付けのモニターや食事サービスがなくなる、といった変化があるでしょう。後者なら、客層が広がったせいで元気な家族連れや忙しなく作業するビジネスマンと相乗りするハメになるやも知れません。そこで私たちは、変化という抗い難い荒波にさらわれることになります。静かだった座席はもう過去のもの。機体の揺れは激しくなり、しかし時差ボケで目は冴えたまま、おまけに飯は不味いときた。こんな旅になるなんて。これだから旅行は。

映画では、よく隣の座席の乗客と予期せぬ何かが起きます。資本主義を破壊する地下集会に勧誘されるかもしれません。翼にグレムリンがいると騒ぎ出すかもしれません。
どんな状況に陥るにせよ、わたしたちはひとつ決断をしています───その便に乗るという決断を。
振り返れば、私たちはたくさんの決断を既に下してきたはずです。目的地はここにしよう。航空機はここにしよう。トランジット中はあれをやろう。その他もろもろ。



ルネ・デュボスは自著にこんな一節を残しています。

すべての選択は殺人のようなものである。前へ進むということは、かつてはありえた、だがもはや決して存在しない自分自身すべての死産の亡骸を越えて進むことなのだ。

ルネ・デュポス「ルイ・パストゥール」

変化は残酷なもので、ゆっくりと、しかし確実に元の性質を変容させます。人間の体内にあるすべての細胞は日々更新し続けています。だから、細胞レベルで比較すると、5年前のあなたといまのあなたは別人です。
一方で、あなたはあなたであり続けている。少なくともそう錯覚している。変化というのはそういうものです。部分部分が代謝しても、総体としての概念は生き延びてゆく。私たちはそういう認識フレームの内側で、暮らしています。
人類は地球で生まれた。だからといって地球で死ぬ必要はない。その他もろもろ。



トランジットが終わりを迎える頃、私たちは途端に戸惑います。次の便はこれで合ってる?時間に遅れない?モニターがなかったらどうしよう。チケットに書かれた文字と照らし合わせて、ほら、きっと大丈夫。
行き先の変更、それもまだ間に合うでしょう。やっぱり引き返したい。トランジットの観光の続きをしたい。空港にもうしばらく居たい。その他もろもろ。まだ時間はいくらでもあります。息を整えて。
次なる旅がもうすぐ始まろうとしています。




さて、トランジットはもうそろそろおしまい。幕間の時間ももうじきに終わります。

部室に残された過去の遺構、漠然と感じる全体の空気、深夜1時の空港ロビー。私たちはそれらを前にした時、否が応でも前に進まなければなりません。痛みを伴うかもしれません。以前とは違う何かへ変質していくかもしれません。でも、進みましょう。生きて、生き延びて、道を絶やさぬために、歩みを続けましょう。これまでもそうやって来たんです。そうでしょう?

そしてたまには振り返って、笑ってあげましょう。昔、想像よりずっと昔に、この部屋を誰かが使い始めたこと。この天井に誰かが落書きを残したこと。いまそのひとはこの世界のどこかで暮らしていること。そのひとが居た頃の部室は、もう無くなってしまったこと。それが変化であるということ。

変化し、そして続きを作りましょう。幽霊たちは、きっと見守ってくれているはずです。

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