『水平線』音声ガイド制作記

上映は5月28日迄。
福島に生きる、ある父と娘の物語。
噛み締めて、反芻して、こころに残り続ける映画です。


監督は、俳優でもある小林且弥(こばやし・かつや)さん。
信頼するピエール瀧さんを主演に迎え、
福島の土地と人との10年以上の関係性の上に築き上げられた物語を、初監督作として撮りあげてくださった。

初めて本作を観た時の感覚は忘れられない。
風化とジャーナリズム。復興と時の流れ。それぞれの正義。罪と赦し。死者を悼むこと。
自分なりにあらゆるテーマが浮かび、織り重なっていった。
そして、それぞれのテーマの奥に、震災によって父と娘が抱えた妻/母の「不在」があった。

福島で暮らしたことのない自分には想像もできないことを痛感した。
しかし、それでも想像しようとすることができるのが物語であり、映画なのだと思う。
そのこともまた痛感した。
被災した地を舞台に、主人公の選択を映し切るという、物語の中でその人物の「答え」を描き切るということは、ものすごくセンシティブなことであろう。良くも悪くも、「切り込んだ映画」との印象が付くかもしれない。
ただ『水平線』から、描かれた一人一人の人生を確かに感じることが私にはできた。
本作の脚本・齋藤孝さんの監督作『ビルと動物園』『オボの声』にも通じる親と子の根っこからの「対峙」。
ある一人の選択を通し、ある一人の人生をみつめ、想像を及ばす。想いを馳せる。
丁寧な他者を想う時間を過ごしていたのだと思う。観終わった後に、どっと考えや想いが巡ってきた。
物語の、映画の力だ。


そのような映画の時間を、目に見えない人にも味わってもらえるように、音声ガイド制作に取り掛かった。
音声ガイドとは、視覚情報を音声・ナレーションに翻訳して伝えることだと私は考えている。


『水平線』にはピエール瀧さんをはじめとする、役者の力がある。
声やセリフのない間が、すべてを物語ってくれる時もある。
だからこそ、音声ガイドは映画に生きる人の声に重なってはいけない。声を潰すナレーションであってはいけない。
「セリフに被せない」という、音声ガイド制作の基本中の基本に向き合い、役者の声を信じてセリフの合間合間に的確な言葉を短く紡ぐ。

そして、本作には、人物たちの非常に細かな目の動きがある。
「見る」、「眺める」、
「視線を落とす」、「空(くう)を見る」、「目を逸らす」、「見つめる」、「じっと見つめる」などなど。
その微細な目の動きを十分に伝えることのできる言葉を選ばなければならない。
一言間違えてしまうだけで、音声ガイドを通して伝えたいことが捻じ曲がってしまう。
「目の動き」そのものではなく表情を言葉にして音声ガイド上で伝える手段もあるが、言葉ではその人物の感情を断言してしまうことになる。
特に、足立智允(あだち・ともみつ)さん演じるジャーナリストの表情は、言葉では断定しえないものだ。
あくまで言葉は記号であって、全てを表しきれない。このことも基本中の基本だが、『水平線』の音声ガイド制作を通して改めて向き合ったことだった。

ただ、音声ガイドは文章だけではなくて「音」でもある。
ナレーションの読み方といった音声ガイド自体の音と、音楽やセリフの抑揚といった映画自体の音、またセリフの合間に在る空白の音を、
映画の時間の中に流れる総体として捉えて構成しなければ、「見えているもの」を伝えることはできない。
逆に言うと、文章・言葉のみで解決できない課題も、「音」から超えられる可能性がある。


また、福島出身でもある渡邉寿岳(わたなべ・やすたか)さんのカメラは、今回もすごい。
(当館では他に『にわのすなば』を上映させていただきました。)
漁船の上から散骨をした後、手を合わせる主人公を、波の揺れに同化するように映したショット。冒頭から引き込まれた。
ラストシーン、向かい合う父娘の切り返しには、微細な揺れが二人の息遣いのように加わっており、私はカメラからそれぞれの見つめる視線そのものを感じ取っていた。
そして、どうしようもなく美しい海。何があっても青く、空に平行して広がる雄大な海。

音声ガイドを通した映画体験の中で、カメラワーク自体やグレーディング自体は伝えることはできないのかもしれない。
しかし、それが表そうとするもの自体を汲み取って、音声ガイドの言葉を充てることはできる。
言葉のリズム感だったり、文章構成から、揺れを再現しようとすることも考えられる。
そうした小さな抗いのようなものも、今回は取り入れて音声ガイドを構成した。


「映画で何かを見る」ということは、ただ単純な視覚要素だけを受け取っているのでなく、その時間の中での体験として、一種の異空間の中での特別な感覚として「見ている」ことなのだと感じる。
映画が見える/見えないではなくて、その映画の時間の中に身を浸すことこそが映画を体験することなのかもしれない。
音声ガイドは、映画の時間に入り込む妨げにならないように、「見なくては伝わらないこと」と「音から伝わること」の間に橋をかけていくようなことなのかもしれない。
その単純さを完遂するために、言葉一つ、音一つを突き詰めていかねば。
一つの要素のみにとらわれてはいけなくて、あらゆる感覚を、目を耳を、疑似的かもしれないが嗅覚や触覚なども持ってして映画と向き合わねば。


そんなことを悶々と考えながら『水平線』の音声ガイド制作に取り組んでいたが、
一つのものにとらわれずにある一人一人をみつめていくことは『水平線』自体にも通じることだと感じた。
想いを巡らして、他者の人生に触れる、共にする。
贅沢で真摯な映画の時間が『水平線』には流れている。



文:スタッフ柴田 笙


初日16日には、小林監督に舞台挨拶もいただきました。


シネマ・チュプキ・タバタはユニバーサルシアターとして、
目の見えない方、耳の聞こえない方、どんな方にも映画をお楽しみいただけるように、全ての回を「日本語字幕」「イヤホン音声ガイド」付きで上映しております。

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