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独立20周年記念『カンタ!ティモール』広田奈津子監督トーク('22/05/21)レポート

2022年5月20日、東ティモールは独立20周年を迎えました。それはインドネシアから主権を取り戻して20年が経つことを意味します。独立を迎えるまでの24年間、国民の3人に1人が亡くなりました。

これまで何度も上映してきた、チュプキにとって特別なドキュメンタリー映画『カンタ!ティモール(2012/広田奈津子監督)』。今回の上映は、やはりこの5月にどうしても観ていただきたい!と昨年から暖めていた企画です。

5月21日(土)には、広田 奈津子(ひろた・なつこ)監督をゲストにお招きし、アフタートークをおこないました。その模様をお届けします。


映画『カンタ!ティモール』について

彼らのことばが、うたが、
いつまでも 心をはなれないのは、
それがほんとうの 物語だから。

舞台は南海に浮かぶ神々の島、2002年にインドネシアから独立を果たした東ティモール。 ひとつの歌から始まった運命の旅が、音楽あふれるドキュメンタリー映画となった。この島を襲った悲劇と、生き抜いた人々の奇跡。その姿が世界に希望の光を投げかける。

当時23歳だった監督広田奈津子は、人々との暮らしの中で、現地語を学び、彼らの歌に隠された本当の意味に触れてゆく。そして出会う、光をたたえるまなざし。詩のようにつむがれる言葉の数々。

日本人が深く関わりながら、ほとんど報道されなかった東ティモールの闘いをとりあげた、国内初の長編。
自主映画ながらも感動は国境を越え、5カ国100カ所以上の試写会で会場が心を震わせた。

監督:広田奈津子
助監督・音楽監修:小向サダム
監修:中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)
南風島渉(報道写真記者/主著「いつかロロサエの森で~東ティモール・ゼロからの出発」)
公式サイト:http://www.canta-timor.com/  

『カンタ!ティモール』 | Coubic

広田奈津子監督アフタートーク

ゲスト: 広田 奈津子(ひろた・なつこ)監督
聞き手: 宮城 里佳(みやぎ・りか)当館スタッフ

チュプキのシアター内にて、トークの模様。監督とスタッフ宮城が横並びに座っている。

スタッフ宮城(以下「宮城」): お聞きしたいこともいっぱいあるんですけども、まずはご覧になった方に何かお話をいただけますか。

広田奈津子監督(以下「監督」): 長い時間、観ていただいてありがとうございました。重たいシーンもあったかと思います。最後まで観ていただいてありがとうございます。なんだか胸がいっぱいですけれど、今のウクライナのことがあったりミャンマーのことがあったりパンデミックが起きていたりっていう状況で、「人間の可能性」や「人間の本来の力」っていうものが伝わったら嬉しいなと思います。

・・・

宮城: まさか2022年にもなってこんな大きな戦争が起きるなんて、と思ってしまう部分もあるんですけど、じつは昨日今日起きた話ではなくてずっと続いていて、報道はされていないけどもどこかでやっぱり虐げられている人たちがいて、というのを『カンタ!ティモール』を観て私も思ったんです。

アレックスはほぼ私と同い年なんですけれど、自分が生まれて生きてきた当時に東ティモールでこんなことがあって日本が関わっていたことを全然知らなかった、っていうことにすごく驚きましたし、「日本は平和だ」「戦争を放棄してる」って言うけども、確かに日本国内で武力的な戦争はないですけれど、他の国の戦争には加担している。それは「日本は平和だ」って本当に言えるんだろうかってずっと思ってたんです。それで、なんか……、人間の可能性っていうか……、そこをもっと信じていくにはどうしたらいいのかなと。

・・・

朝起きて新聞の見出しを見たときの想いが、もしかしたら何千キロも飛んで誰かを動かすかもしれない

監督: 私、ティモールで会って、……会ってはいないんですけれど忘れられない人がいまして。ある山で泊めていただいたときに、その家、お母さんがもう亡くなってていなかったんですけど、ご飯いただいて、食べながら私、涙が止まらなくなって。わかんないまま涙流しながら、おかしいなと思って食べてて。

で、夜寝る時に、昼間に見せていただいていたその家のお母さんの写真、一枚だけ残ってた写真の顔が、ぼんって胸に飛び込んできて、あ、だから涙出てたのかなと思ったんですけど。とっても優しいお顔をされてるお母さんで。行方不明になったままお墓も建てることができていないんですけども、明らかになんか、テーブルにお母さんがいたような気がして。

その翌朝は「絶対やめとけ、危ないから。渡れないからやめとけ」って言われた川を車で渡って取材に行くっていうちょっと無茶なコースを取ってまして。一か八か行ってみようと。水深によっては川の真ん中で止まっちゃうんですけど、行ってみたら渡れちゃったんですね。で、渡れた!よっしゃー!っていう瞬間にまたお母さんがぼーんって来て、涙が止まらなくなって。その時に、あ、なんか「こういうこと」か、って。人って死んじゃっても働くのかな、っていうことを思いまして。

なんか私たちって、ウクライナ、ロシア、アメリカって、めちゃくちゃ大きくて、もうどうしようもないとか、ミャンマーにしても東ティモールのことにしても、日本サイドがやってることだから私にはどうしようも、ってつい私なんかは思っちゃうんですけども、そのお母さん、名もない、墓石も建ってないお母さんが、多分私たちの車を渡らせてくれて。

胸に手を当て、ひときわ笑顔な監督。

この映画も、話したら長いので割愛しますけどめちゃくちゃな、制作費もないからカメラも借りて、テープも廃棄のテープもらってきてみたいな、「映画を甘く見るなよ?!」みたいに言われたんですけど(笑) そういうかたちで、できていて。

やっぱりそういう不思議な力がところどころで背中を押してくれたことを思うと、なんか「人の想い」って、そのお母さんってきっと、会うことも叶わなかったけど、なんとかこの世界が平和になったらいいって、次の世代はなんとかこんな悲しい思いがなかったらいいって想って亡くなった方なんじゃないかなと。多分そういう人が世界中にいっぱいいて、その「想い」が、こういう、どこの馬の骨かわかんない小娘の背中を押したりする。

だから私たちも、朝起きて新聞の見出しを見て「ああっ……!」って思った時の想いだとか、「良くないよ……!」って思ったときの想いだとかが、もしかしたら何千キロも飛んで誰かを動かすかもしれないし、世界ってそうやって動いて歴史が変わっていくかもしれない。今までのことを見ても、そういうことって起きてるんじゃないかなっていうことを思ってまして。

お話しされる監督の写真。透明なマスクで、穏やかな表情がよく見える。

私なんてへなちょこなんで、すぐ無力感にどーんってなるんですけど、やっぱりティモールの人たちの、「彼らが軍隊を撤退させられたらそれはもう奇跡だ!」って人権活動家までがそう言っていたところから国ができたっていうのを見ると、今の状況も諦めてはいられない。この小さな「想い」だけれども、どこか遠くまで飛んで、誰かの「想い」と合体した時に、何倍かになってまた飛んでいくような、そんなことも起きてるかもしれないし。

私たちは「1は100より小さい」みたいに算数で教え込まれてるからそういうふうに考えちゃうけど、その無力感も、打ちのめされちゃうことこそが思うつぼというか、もしそういう戦争のカラクリがあるとしたら、そうやってみんなを無力感に陥れることが思うつぼかもしれなくて。

だからほんとに、「部屋から一歩も出れてない」とか、「私は何もできてない」とかそういうことじゃなくて、なんか、出どころもわからない、誰から頼まれたわけでもない、教わったのでもないけど、ぽっと何か、自分の中に火がついた想いだとか、そういうものってきっと力を持ってると思うので、ぜひそれを無視しないで、共有しあっていきたいし、強め合っていきたいなということを思っています。

・・・

みんなの暮らしそのものが平和にならなくては、本当の平和は来ないんだ

宮城: 監督は何度もティモールに足を運ばれて、自分に何ができるんだろうってティモールの方に訊ねたことがあるんですよね。

監督: シャナナ大統領も含めて、「日本に何ができますか」っていうことを行く先々で訊ねました。きっと、「ティモールのことを一人でも多くに伝えてください」とか「私たちはまだ貧しいので支援してください」とかそういう答えが来るだろうと思って質問してたんですけど、そんな答えは全然聞けなくて。「あなたの世界を良くしてください」「あなたの仕事をしてください」「そうやって地域地域が健康になっていかないと世界に平和は訪れないんだ」っていう答えを村のおじいちゃんたちから、大統領から、アレックスも、同じようなことを言っていて。

ああこれは、本当に悲しいことが起きた時に、その相手を恨むだけじゃなくて何がこの根源にあるんだろうってことを、思考停止するんじゃなくて、考えて考えて考えていったときに、これはもうみんなの問題なんだ、みんなの暮らしそのものが平和にならなくては本当の平和は来ないんだっていうことに、考えが及んでいる人が多かったのかなって。

さっきの(宮城)里佳さんの話もそうですけど、私たち平和な国にいるように見えて、やっぱり私たちが昼に選ぶコーヒーひとつとってもどこかにそれは影響を与えていて。スマホもちょっと古くなったから換えようかなって、レアメタルがどっかにまた大きな影響を与えていたりして。そういうことを思うと、今の全世界の人たちが無関係とは言えなくて、だからこそ力があって、変えていく力がそれぞれにある時代になってるなって思うと、本当に他人事じゃないというか、未来に任せてはいられないんだなと。

・・・

アレックスから、日本の仲間たちへ

宮城: 今日は本編の後の追加上映(※)というのを時間の関係でしていないんですけども、映画の中に出ていたアレックスですね。皆さん、映画の後どうなったんだろうって思われてる方もいると思うんですけども、2017年に亡くなられまして。ただ、映画が完成した後、いろんな活動をしてきていますよね。そういうところを教えていただけますか。

(※チュプキでは今回の上映期間中、広田監督らが主催したアレックス追悼会の映像を併映しています)

満面の笑みでアコースティックギターを抱えた、アレックスの写真。
ヘルデール・アレキソ・ロペス/通称アレックス

監督: アレックスは生きて独立を見るんですけども、その後15年しか生きることができませんでした。彼は9歳で目の前で父親を惨殺されて、それが大きなトラウマになるんですけれども、その経験が彼を揺るぎない平和活動家にしたっていうことを家族は言っていました。

その後、中学・高校になってだんだん、デモを組織したりだとかちょっと目立つ存在になって、すぐ逮捕されるんですね。何回か拷問を受けてまして、高校生の頃、いよいよ命が危ないっていうぎりぎりのところで、村の人でお金を出してインドネシアに亡命をさせて、彼は医学の大学に進みます。

彼にとっては、小さなコミュニティが大事だと。大きな都会に流れるんじゃなくて、小さなコミュニティを保つためには医療は必要だということで医学の道に進むんですけれども。インドネシアから、ティモールの独立とインドネシアの民主化を一緒にしていくというような活動をして、東ティモールに戻って、死ぬぎりぎりまでコミュニティのための活動をしています。拷問の後遺症の血栓がもとの心臓発作じゃないかと言われているんですけれども、4年前に亡くなりました。

彼から日本の仲間たちに伝えてほしいと言われた伝言がありまして、この場を借りてお伝えさせてください。

自分たちの仲間が
10人にしか見えなくて
対するものが大きくて
巨大で1000人にも見えても

あなたのやろうとしていることが
命に沿ったもの
命が喜ぶことであれば
亡くなった人たちも
これから生まれてくる人たちも
ついていってくれるから
それは1000どころじゃないから
絶対に大丈夫だから
恐れずに続けてください
仕事の途中で命を失うかもしれないけれども
それでも大丈夫だから続けてください

心細くなった時は
自分たちのことを思い出してほしい
自分たちは小さかった
「あの巨大な軍を撤退させる
ということができたら奇跡だ」
と笑われた闘いでした
でも最後にはその軍も撤退しました

これは夢でも幻想でもなく
現実に起きたことで
目に見えない力が
僕らを助けてくれたから

どうか信じて
あなたの道を進んでください

--という伝言を預かっています。遺言になっちゃったんですけど。

なんか、命が喜ぶ仕事って、本当の意味で好きなことをするって多分、「私も大学4年だから就職活動しなきゃ、この辺で手を打ってここに就職しよう」とかそういうことじゃなくて、「本当に私の中から喜びが湧き上がることってこの道だろうか」っていつも問いながら、「私が喜んでる選択ってこっちかな」って、何かちょっと選ぶ時にも、そうやって自分らしい道を行くっていうことが、自分の幸せにとっても大事だと思うんですけど。

じつは「世界が平和になる」って、もしかしたら遠回りに見えて、その地道な、「一人一人が本来の自分になっていく」っていうことしかないのかなって思ったりします。

シアター内。優しい笑みで、満員の客席を見渡す監督。

・・・

私たちが知っていることはほんの少し。その上で何か不思議なことが起きる

お客様からの質問: ルリックやブアン(神秘的な力・存在)はティモールだけではなくて世界中に存在していると信じていますか? そういう「奇跡のようだけど奇跡じゃないこと」を監督は信じていますよね?

監督: 私はティモールに行くまでは結構「そんなことで誤魔化されないぞ?!」みたいな(笑) 「選挙権! 選挙に行こう!」みたいな、「オカルトな話は簡単に信じない!」みたいに思ってたんですけど、ティモールを旅して、これはひとつの国ができる上で、ルリックだとかそういう力が欠かせないものとしてあったっていうことを確信せざるを得ないというか。

それは偶然だとかそういったことではおそらくなくて、その証拠に、私は先住民に縁があって北米やポリネシアなどを訪れてたんですけども、何万年と古い文化を携えてきた人たちが、生活の中心にそういったものを据えてるんですよね。その暮らしが何万年と変わらず続いているっていうことは、必要なものだから淘汰されずに続いていると思うんです。

それはいろんな見方があると思うんですけれども、例えば、彼らが言う「山は神様」で、そこがくれる水は神がくれるものだから、自分のものとは言えない。そこから育つものも自分のものとは言えない。だから全部一度神に捧げて人間がいただくから、当然「平等」の意識になるし、そういったところだけで単純に見ても、争い事を起こそうとは思わないと思うんです。

それは人間社会をやっていく上での大きな知恵だなと思いますし、実際そこで取材してますと、急に電源が切れたりするんですよね。最初のうちはいろんな抵抗をして、「そんなはずはない、電源は来てるんだから」って無理矢理やると結局良くないことが起きたりとか。人が待ち合わせに来ないから「けしからん!」とか思ってそこに固執すると全然うまくいかなかったりするけど、「そういうことか」と思って流していくと全てがうまく整っていったりすることを思うと、人間の力ってめちゃくちゃ小さなもので、それを大きく上回る何かっていうものにうまく波乗りしたほうが、これはもう無駄な抵抗はやめようと途中で思ったことがあります。

なのでなんか、さっきの亡くなったお母さんの力も含めて、そういう不思議なことがあるっていうことを断言するつもりはないんですけれども、私たちが知っていることはほんの少しのことだっていうことは、少なくとも言えると思うんですね。その上で何か不思議なことが起きる。

シアター内。真剣な表情で前を見据えてお話しになる監督。神妙な顔で聞くスタッフ宮城。

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「あなた」と「私」が一緒だから、「ありがとう」っていう言葉がない

ひとつ思うのが、彼らは「文字」を持ってないんですね。古い民族に共通して、文字がないっていう特徴がありますよね。私も山村のほうで滞在させてもらうと文字を読む能力がちょっと衰えて、首都に戻って看板を読もうと思うと「あ、この文字なんだったっけ」とか思うんですね。文字を使わなくなると明らかになんか別のところが活性していて、多分、左脳と右脳ってよく言いますけど、右脳のほうが活性するんじゃないかなと。

で、もうね、暮らしの中に瞑想時間がたっぷりで。朝「行ってきまーす」とか言って取材に行くと、あぜ道に座ってたおじさんが夕方帰ってきても同じところにまた同じ顔して座ってて(笑) そのなんか、ぼーっとする時間が大人も子供もふんだんにあって、それにちょっと付き合ってみると自分の体がふっとあぜ道に溶け込んだような瞬間があって。

それは長老たちが言う「お前の見ている外側はお前の内側だ。やり返してもいいけど、やり返す相手は自分自身でもあるんだ」っていうこと、なんか禅問答みたいなこと言うんですけど、そういうことか!みたいな。そのあぜ道も私も同じなのであれば、私に落ちる爆弾もあぜ道に落ちる爆弾も同じなんだっていうような感覚になる。私の領土を守ろう!って言って他の国に攻め込むのとか、我々だけが!っていうような感覚にはなかなかなっていかないのかなと。

古い神社とかには沢山いろんな言い伝えがあって、例えば鳥と人が話をしていただとかそういう話もいっぱい残ってるんですけども、それもあり得る話だなと思ったのが、ある村に行ったときに、私たちその村に辿り着けるかどうかもわからなくって、もちろん行くとも言ってなくて、でも着いたら私たちを迎える準備をしてるんですね。「えーーー?!」みたいな。

で、話を聞こうと思って長老に質問するんですけど、私はその村の言葉がわからないので友達に通訳に入ってもらうんですけども、友達に質問を投げると、長老がわーーってなんか喋るんですね。何言ってるんですか?って聞くと、質問の返事が返ってくる(笑)

私たちの、ABCから習うみたいな方法とは全く違う方法で言語を扱っていて、だから鳥とも話がわかるし、外国人でも多分話がわかるんだなってことを思うと、これはティモールに限った話ではなくて、北米でもポリネシアでも同じようなことを聞くんですけれども、やはり古代の人たちはもっといろんな能力を使ってたんじゃないかなと思います。

マヤ文明のマヤ暦なんかっていうのは、私たちが習った算数なんかではとても解明できなくって、多分違う方法が使われていたんだろうっていうことを思うと、今使っているこの「人間の脳はこう使うべき、ここを使うべき」っていうところからちょっと解放されていろんなところを使えば、「私とあなたが同じ」っていうことだって、もっと感覚としてわかっていくかもしれない。そう思うと、みんなもう「どんどんぼーっとしましょう」みたいな。うちの子供にも「宿題なんてしなくていい」って言ってるんですけど、言えば言うほどしようとするんです(笑)

宮城: 言うこと聞いたらまずいかも!って思うのかもですね(笑)

監督: もっとぼーっとすればいいのに(笑)

笑顔の監督、横顔。

宮城: でも大切なことですよね。子供の時間ってすごいやっぱり貴重だから。

監督: 大人がどんどんぼーっとする見本を見せないと、子供たちは安心してぼーっとできない(笑) で、ぼーっとした結果ティモールでは、言語でも、「あなた」のことを「イタ」って言って、その「イタ」っていう言葉は同時に「私たち」でもあります。おもしろくないですか、「あなたのカバン」が「私たちのカバン」になるんですよ。だから「あなたの家」は「私たちの家」になる。

私たちも行く先々で一度もホテルに泊まらずに民泊させていただいて、それが当然のように。そこで家族のようなご縁になったら、昨日も電話がかかってきて、「お父さん入院することになるからあんたちょっと来れないか?」とか言って(笑) 「ちょっとお金送っとく〜」とか、そんな関係が続いてるんですけど。

ティモールって「ありがとう」っていう言葉がないんですよね。「あなた」と「私」が一緒だから、「私はあなたに感謝します」っていう言葉がないんですよ。その発想がなくて。「今きれいな花が咲いたね」みたいな、お礼というか、「私たち二人にいいこと起きたね」みたいな感じ。こっちから支援物資を持っていっても、日本なら「ありがとう」って受け取るようなシーンで「うん、わかった」「きれいな花が咲いたね」みたいな、そういう感じで。

宮城: 当たり前、みたいな感覚なんですかね。

監督: 当たり前、ですね。助け合って当たり前というか。「あなたも私」っていう感じが。

宮城: 一般的には「オブリガード(obrigado)」とか使ったりするって言いますね。

監督: そうですね。それを言われると、すごいお客様扱いな寂しさを感じます。「オブリガード」っていうポルトガル語が伝わるは伝わるので、それがよく使われてますよね。

シアター後方から撮った、シアター全体の写る写真。補助席も出ている。

・・・

宮城: 今日この後ですね、上智大学で開催されている「東ティモールフェスタ2022」のほうに監督も移動されます。映画のエンディングで流れていた「星降る島」のソウル・フラワー・ユニオンの中川敬(なかがわ・たかし)さんによるライブがありますので、ぜひ駆けつけていただけたらと思います。

2枚の写真。1枚目は、上智大学内カフェテリアのスペースにて、アコースティックギター1本で弾き語りライブをする中川さん。客席は満員御礼! 2枚目は、小さなお子さんを抱き抱えたままステージに出ていく広田監督。
その後「東ティモールフェスタ2022」中川敬さんのライブにて、途中MCで中川さんに呼ばれる広田監督。2002年5月、広田監督の呼びかけでソウル・フラワー・ユニオンは東ティモールの独立記念式典に参加しました。

・・・

おわりに

監督: 今日はありがとうございました。ここでお会いできたこと、本当に幸せに思います。この貴重なお休みの時間を割いて、長い作品にお付き合いいただきました、ありがとうございました。これからも人の力を信じていけたらいいなと思ってます。

アレックスも死ぬ間際まで子供たちを前にして「人間は大丈夫なんだ」ってことを子供達に言い続けていて、拷問を受けた彼らがそう言うんだから、その目を見れば、嘘を言ってるわけじゃないっていうのは伝わってきます。

不安になる要素っていっぱいあって、ニュースを見れば悪いことばっかり起きているように見えて、でもたった彼の短い一生でもこういうものを遺すことができて。なんかきっと、花でも最後の最後まできれいに咲いているように、私たちも命ある限り力があって、力が繋がっていくこともあって、そこの奇跡を信じたいと思っています。

ここでのご縁を嬉しく思います。これからもよろしくお願いします。今日はありがとうございました。

チュプキ入口にて。ポスターのパネルを持った監督を中心に、代表・平塚、スタッフ宮城&柴田が並ぶ。みんな満面の笑み。
チュプキの入口にて。広田監督と当館スタッフ一同。

監督は時間ぎりぎりまでお客様と談笑されてから、東ティモールフェスタへ向かわれました。ご多忙のなか、ありがとうございました!

2022年5月29日(日)の上映後には、南風島 渉(はえじま・わたる/映画監修・報道写真記者)さんのトークも予定しております。ご予約の上、ぜひご来館くださいませ。

上映は5月いっぱい続きます。
期間中は東ティモールのコーヒーもご注文いただけますよ!

なお、5月に上映する全作品につきましては、経費を引いたチケット売上利益全額をUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に寄付いたします。 館内に募金箱も設置しますので、映画のご鑑賞とあわせてご支援いただければ幸いです。

(文・写真:スタッフ池田)

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