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みんな違いすぎて、みんないい国らしい

好む好まざるにかかわらず、日々新しいことを学びます。
同僚が突然、
「私、目をつむって何かを想像してご覧といわれても、何も想像できないの」
と言い出しました。
一度見たことがあるものは、想像できるのだけれど、見たことがないものや自分でゼロからイメージを作り出すということが一切できないそうです。

その障害のことを
「アファンタジア」
というそうです。

小学生の頃、想像して描いてごらんと先生に言われて、一切思い浮かばずとても困惑したとか。

それは大変な人生だったことでしょう。
彼女は、
「だから、ファンタジー映画など、映像作家などがイメージを作るのがすごい」
と言っていました。

彼女は、おしゃれでファッションのセンスもあり、とても「想像力がない人」には見えません。
想像力の欠如というと、自閉症スペクトラムの症状を思い出しますが彼女は自閉症ではなさそうです。
今にして思えば、自分が子供の頃図工の時間に、真っ白い画用紙を目の前にして、ほとんど何も描けないクラスメートが何名かいました。なんで描けないんだろう?絵を描くなんて簡単なのに・・・と思っていましたがもしかしたらそういう障害があったのかもしれません。
ただ、そもそも想像力というものは、経験を重ねることによって鍛えられるのであって、海を見たことがない人に海を想像しろと言っても無理な話で、テレビとか写真などこかしらで海や海のようなものを見ているのではないかと思います。逆に、全く何も知らないのに勝手に空想が出てくるというのは却って脳になんらかの障害があるのではないかと思います。

私は、子供の頃から想像力がたくましかったのでいろんなものをイメージしていました。中原中也の詩を読んでその世界をイメージすることもできましたし、宮沢賢治ばりの小説を書いたりしていました。でも、今にして思えば、子供の頃から映画を見たり本を読んだりし続けていたことによって想像力というものが鍛えられたのではないかと思います。

ところが、息子に、「想像ができない障害」があるんだってと話をしたら、
「自分もそれしれかもしれない」
と言い出しました。
アートの授業で、トランスセンデンスの絵の課題が出た時、ほとんど何も想像することができなかったというのです。

Transcendence Artの一例

息子が、あまり本を読まないし文章を書くのがそれほど得意じゃないということも「想像力の欠如」に影響しているのかもしれません。

そんな話をしていたら、別の同僚が自分は
「dyslexia」だと言い出しました。
平たく言えば、文字を読むのが苦手な障害でトムクルーズが公表して有名になった。
なるほどね、だからこの人に英語のスペルを聞いても間違っていたり、いちいち辞書で調べたりするのか。。。と合点がいった。
この人は、地図も読めない。
なんで、カナダ生まれの英仏バイリンガルなのにいろんなこと知らないんだろう?と思っていたが読み書きが苦手だったのだ。
でも、大学も出ているし立派に仕事もしている。(私語は多いけれど。)

さらに、この同僚だけではないんだけれど、子どもがLD(学習障害)を抱えている人が結構いる。
でも、大学に行ってる。
日本じゃ考えられないですよね。

でも、読み書きが苦手でも、「天才」と言われる人は歴史上たくさんいたわけで、時間さえかければアカデミックな成果を出すことができる可能性もあるわけだ。
だから、大学進学にあたってLD枠みたいなのがあるらしい。
学習障害がある人の学ぶ権利を保障する仕組みだ。
試験時間を長くしてもらったり、音声教材を使用したり、文字入力支援サービスなどを利用することもできるらしい。なんだかすごいなぁ。。。

いろんな支援を受けて大学を卒業して、その後どんな風に社会で活躍できるのかはわからないけれど、本人はかなり苦労するかもしれないけれど徐々に障害が改善されるのかもしれない。

私の知人は、いわゆるディスレクシアで、小学校に入った時全く文字が読めなかったそうだが、教科書を丸暗記することで乗り切り、数年後読み書きできるようになったという。その人は、人並み以上に頭の回転が速く読み書きができなかったなんて想像もつかないのだ。

そういうわけで、あんまり身近にいろんな障害持ちの人がいるので調べてみたら、カナダはやっぱり識字障害率が高いらしい。だから、メールよりも電話、直接の方が好まれるのかな?正直私も、メールを読むのがめんどくさくなってきた。カナダ人化している?

今まで、今自分が話している人が「読み書きを苦手としている」などと考えたこともなかった。日本だと、まずそういう障害があれば医療従事者になったり、一般企業で働いたりするのは困難だろう。だが、カナダは許されるらしい。もたついていても、間違ったりしても叱られないのかもしれない。
だから、英語がカタコトの外国人にも優しいのかもしれない。

なんだか、ちょっとずつわかってきた気がする。カナダの社会。

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