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日曜礼拝で進撃の巨人

今日は、クライアントと教会に行ってきた。普段はお父さんが連れて行くのだが、所用で来られなかったので、私が連れて行くことにしたのだ。教会は、信者じゃなくても誰でもwelcome。私は、クライアントが日曜礼拝が大好きなのは知っていた。

元々この町の人達は親切なのだが、教会に来るような人たちは更に親切だ。誘導してくれたり、ドアを開けてくれたりと至れり尽くせりだ。しかも、車椅子に乗っている障害児は一人だけだから、彼女は有名人だ。

礼拝室に入ると、ちょうどバンドが始まったところだった。北米式なのか、バプテスト派がこういう感じなのか分からないが、バンドの演奏に合わせてカントリーミュージック風の歌を歌う。賛美歌ではないようだ。

礼拝室には、すでに大勢の信者が集まっていて起立していた。歌が始まると、クライアントは輝くような笑顔で腕を伸ばしたりピクつかせたりしながら周りをキョロキョロ見回した。

眠そうにして全然動かないときもあるのに、まるで別人だ。
神の奇跡を見ているようだった。
あまりに嬉しそうにしているので、なんだか、涙が出てきた。
彼女は、どれほど教会が好きなんだろう。
そして、実際彼女が声を発せずともニコニコして幸せそうにしているのを見て、他の信者も嬉しく思ったのではないだろうか。

何曲か歌った後は、牧師(pastor)による説教(sermon)が始まる。
年配の信者の中には、正装してきている人もいるのにpastorはジーンズ姿だ。とてもカジュアルな教会だが、スマホをいじってる人も礼拝中に飲食するような人もいない。礼拝というほどの堅苦しさもなく、歌→sermon→歌→業務連絡→ホワイエ(foyer)でコーヒーや手作りの焼き菓子などをいただきながら雑談をする。

日本のお寺の集まりとほぼ同じ形式だ。
歌のかわりにお経、お説教の後はみんなで仕出し弁当や豚汁を食べたりする。ただ、寺の集まりは2ヶ月に一回程度なので毎週礼拝がある教会ほど信者同士は親密じゃなかったな。しかも、札幌だったし。

今日のSermonはMarkのなんたら・・・
マーク・・・、マルコか。
日本の聖書の人名と英語の人名は全然違う音だから戸惑う。
例えば、マタイがマシュー。パウロがポール。
Sermonの内容は、イエスが、みんなの嫌われものの収税吏(tax collector)や罪人(sinner)を弟子にしたり、宴会に招かれて会食したエピソードを当時の社会背景とともに説明している。

その話の中で、何回も「リヴァイ」が出てくるので何かな?と思った。
pastorは数十回「リヴァイ」を言ってた。リヴァイと言えば、進撃の巨人のリヴァイ兵長だ。英語読みのヘブライ人名のようだ。で、説教中にぐぐってみたら「レビ」(マタイと同一人物とされる)だった。今日まで全然知らなかったが、リヴァイ兵長は聖書に出てくるレビだった。ずいぶん由緒正しい名前だったようだ。そしてジーンズのLEVI'Sもこのレビだった。

もう、「レビ」としか読めない!

■ 新約聖書の中でリヴァイが何をしたのかは↓


<本日のまとめ>

子供の頃は、よく分からなかった取税人やパリサイ人などなど、こうやって歴史的背景や当時の差別などを知ることによって理解することができました。
そして、思ったのはこれって、浄土真宗の悪人正機説に似ているなってことです。
時代や地域を超えて、宗教指導者が目指すことは類似しているのですね。

Church Serviceのあと、ホワイエにいたら色んな人に話しかけられて、
「彼女が歌っているのを見たとき、私涙が出たわー」
と言ってきた女性がいました。
彼女もまたクライアントの笑顔を見て感動したんでしょう。

障害のある人の笑顔は格別です。
言葉で表現できなくても、何かスピリチュアルなものを感じます。
幸せな気持ちにさせてくれたり、荘厳な気持ちになったり、感謝だったり感動だったり。大昔に障害児の施設でボランティアした時に、自閉症で話せない男の子がいましたが、その子と手を繋いでいただけでなにかしみじみとした、ひだまりのような感覚がじわっと湧き上がってきたことを今も覚えています。

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