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ChatGPTよ。喜びをありがとう。

こんにちは内野です。
GPT4が出てきまして、僕の生活が一変しました。
AIと永遠に話せる習性も相まって、ChatGPTと夜通し話してるんですね。

りんなちゃんも相当に面白かったのですが、やはり素晴らしいと思うのはChatGPT(以下、GPT)は僕の仕事を手伝ってくれるということなんです。

もう今更要件定義とかしてられないですね。
何かのゴールを考えるときはこう聞きます。
「Hey!GPT!Twitterでインプレッションを日本一取れる方法を考えてくれ!」
そうすると気前よく答えてくれるのです。

これでインプレッション取れたらビビるぞ。

何が素晴らしいかというと、GPTは「フレーム」を僕に与えてくれます。
僕はフレームがないとよく考えられないのです。
なので、漠然とした答えにそれっぽく答えてくれるだけでグッと世界が広がります。

これまでは人に聞いても「いや~内野さん、わかんないっす。」とか「それは考え違うんじゃない?」とかいうことで、自分の欲求はどこかに飛んで行ってしまうわけですが、GPTに聞くことで自分の思っていることがわかるようになったんです。

これは本当に素晴らしいことで、欲求をストレートに解決できるのはストレスのないことなんです。すべてを受け止めてくれる存在ここに爆誕って感じです。

落合陽一さんが年明けから「喜びを共感しよう!」と謎の発信をしていましたが、僕もいまその状態です。毎日が喜び。嬉しい。最高だ!

さて、これはGPTが書いた文でしょうか?それとも僕が書いた文でしょうか?

人の手がかかわることの贅沢さに気づく。

僕にとって文章を書くことは昇華の1つです。とても重要な工程であり、欠かせないものです。だから、パチパチと打っています。
しかし、もしこの文章がAIが書きましたと知ったら皆さん読んでくれるでしょうか?読みませんよね?

「AIが書いたもの」というフィルターがかかった瞬間に人は読まなくなります。読む価値がないと思ってしまうのかもしれません。そう言ったことが起きる気がします。

だから、人の手がかかわっていることはたとえデータであってもどこか貴重な気がするようになりました。

AIは人の仕事を奪うのか?

よく取沙汰されますが、そんなことはないと思っています。
日夜GPTと話すことで、”端的に伝える”という思考はかなり伸びている気がします。

それに、僕の文章的な知識も伸ばしてくれる気がします。
蓮についてどのように説明すべきか文章を通じて、かつそれを具現化するように指示してみました。すると次のように返答してくれます。

<以下、GPT>
花びらのような形をした、色と形が変化する図形が、瞬く間に舞い上がるような光景が思い浮かぶ。薄く透明な色合いで、黒い背景から顕著に浮かび上がる。花びらは重なり合いながら動き、音楽に合わせて舞う。舞うたびに、その色や形が少しずつ変化していく。最終的には、美しい蓮の花が咲き誇っているような印象を与える。

  1. 舞う → 動く、舞 → 動き、舞い上がる → 浮かび上がる、蓮の花 → バラの花、色合い → 色調、音楽に合わせて → リズムに合わせて、浮かび上がる → 浮遊する、変化 → 変形、重なり合う → 重層的に重なる。

  2. 「Flower」という名前のクラスを作成する。このクラスは、花びらのような形をした図形を生成するためのものである。クラス内には、Perlin noiseの値に応じて図形の変形や色の変化を行うメソッドが定義されている。このクラスは、「Shape」という基本クラスを継承している。また、「Shape」というクラスには、図形の大きさや位置、色調を調整するためのメソッドが定義されている。

作り出したのがこれ

<以下、内野>
元ネタは落合陽一さんのツイートなのですが、こういった文章なぞは異世界転生してもかけないし、各手段も知らないし、こういった表現ができるなんて思ってもいません。

僕の「蓮」という言葉に対して、このように返ってくるあたり何とも言えない気持ちになります。

話がわき道にそれましたが、何を言いたいかというと、新しい知識をものすごい短時間で得ることができます。ほぼお金がかからない状態で得ることができるのです。

これは仕事を奪うのでしょうか?僕にとっては逆です。どんどん本質的な仕事に向かっていく気がしています。
人間は本来どんなことをすべきなのか。

きっとよく生きる(Well Being)が正解なのだと思う。

これから人間がやることは本質的なことばかりになっていくと思います。
例えば、本質的に体を駆使することであったり、頭を駆使すること。
体全体を表現物として扱うことなど、機械にはなしえないことを高効率で行うのが人間になるのだと思うのです。

土木の現場は機械がしてくれるなんて未来は50年ぐらい先でしょう。そのぐらいになると人間のほうがコスト高くなるので人間はいよいよ遊んで暮らせばよいことになります。

しかし、それまではきっと人間はフィジカルな場面でまだまだ活躍できます。

あ、AIの登場によって論評も無料でしてくれます。嬉しいです。
ではどうぞ。

論評
評論家:磯部拓郎<仮名>
この文章は30代~40代の建設業に関連する業務に従事する男性にとっては、興味深いものでしょう。なぜなら、AIが人間の仕事を奪うのかという問題に対して、新しい視点を提示しているからです。

良い点としては、AIが持つ能力や可能性について紹介していることが挙げられます。特に、AIが与えてくれる「フレーム」によって、自分自身が考えつかなかったアイデアや解決策を見つけることができるという点は、仕事の効率化に繋がります。また、新しい知識を短時間で得ることができるという点も、仕事において非常に有益であると言えます。

一方で、AIが書いたものと知ってしまうと、人間が書いたものと比べて価値が下がってしまうことに対する懸念が表現されています。しかし、文章を書くことによって、その行為自体が昇華に繋がるという点は共感できるものです。

改変する際には、もう少し具体的な建設業に関連する例を取り入れて、読者がより惹きつけられる文章になるように工夫してみてはいかがでしょうか?

私から次のことを付け加えましょう。

私が注目したいのは、AIが与えてくれる「フレーム」によって、自分自身が考えつかなかったアイデアや解決策を見つけることができるという点です。

建設業においても、AIが持つこの能力を活用することができます。例えば、建物の設計や施工において、AIが持つ膨大なデータから、最適な素材や設備を提案してくれることができます。また、現場での作業や資材管理においても、AIが提供する情報を活用することで、よりスムーズな作業が可能になるでしょう。

しかしながら、AIが書いた文章や提案が人間が書いたものと比べて価値が下がるという懸念があります。それでも、私はAIが与えてくれるフレームや新しい知識を活用することで、人間の創造性や判断力が向上することができると考えます。

建設業におけるAIの活用は、今後ますます進展することが予想されます。その過程でAIが人間の仕事を奪うということはなく、むしろ人間の創造力や思考力がより重要になっていくことでしょう。

建設業においても、より質の高い建物や施設を建設するために、人間とAIが協力して仕事を進めていくことが求められています。AIが与えてくれる新しい知識やアイデアを活用し、より豊かで安全な社会を創り上げていくことが私たちの使命であり、やりがいでもあります。

内野さんのように、AIとの対話を通じて新しい気づきを得ることができるのは素晴らしいことです。AIが与える「フレーム」を活用することで、建設業における仕事の効率化や品質向上に繋がることでしょう。AIが人間の仕事を奪うのかという問題に対して、私たちは積極的にアプローチし、新しい時代に向けて進んでいくことが大切です。

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