許す、とはなんだろう? 精神の健康のために。
9/14から、マヤ暦でいう「白い魔法使い」の13日間なんだそうな。
↑【9月14日から13日間❤️🔥コレに意識を向けていれば、どんな状況がやってきても大丈夫!不安や困難から免れ、光を選べます。】イロハの宇宙部さんより。
マヤ暦はあまり詳しくないのですが、なぜか覚えてるな〜と思ったら、この「白い魔法使い」というのは、以前調べたら、私のウェブスペル(潜在意識)だった、というのを覚えてて。。
マヤ暦を調べるサイトを改めて見たところ、「許せない自分を受け入れ乗り越えて、許す気持ちを知りましょう」と、あるけれど、これはなかなか難易度が高いのでは、、(^◇^;)と思いました。
自分とってハードルが高いからこそ、一生をかけて問い続けるような潜在意識があるのだと思いますが…。
その期間が始まるんだ〜、とPCの画面を開いて仕事を始めたところ、面白いもので、その「許す」ということを考え始めるのですねー。
まずは、自分に返信されたメールの一つひとつを見て「どうせ私を悪く言っているんだろう」と、思いました。
昔むかし、ただ思ったままを問い合わせただけで叱られた人からのメールは、どことなく嫌味な感じ。
自分の立場でいくら主張をしても「我慢しなさい、言うことを聞きなさい」と取り下げられた人からのメールは、また同じように扱われる空気がビンビンしてます。
仕事が多くて手が回らず失敗し、謝罪したにもかかわらず、いまだ返信のない人など。。
まだまだ痛い傷は沢山あると思いました(^◇^;)
逆に、よくこれだけ抱えていたなと思いました。
それだけここ数年、多くの窓口になった、ということでもあるかと思いました。
こうして蓄積した、相手への批判などはどこからやってくるのかというと、自分が忘れることを許さないから、でしょう。
げんに、その人たちは、遠くへ去り、関わることはほとんどなくなりました。すれ違っても話すこともありません。
それなのになぜまだ考えてるかというと、私が考えたい、執着しておきたいからですね。
なぜ執着しておきたいか?
その人たちを許さなかったり嫌いなほうが、無関心よりはラク、なのかもしれません。実は、好かれるためのリベンジの機会もないままに、去ってしまったことが、「自分が寂しい」ってこともあるのかもしれませんね。。罪悪感を感じていた方が、孤独よりはマシとか。
だけど、自分以外に、他、というものがある限り、他人にも都合があるわけで。。
ずっとこのままかもだし、途中で和解する人もいるかもだし、それぐらいの気持ちでいいのでは?と思うと、手放せる気がします。
それに、好かれても嫌われても、実はそれほど大したことがない、と思うと、受け入れられるのかもしれません。
受け入れる、と、執着する、を分けることも大切かも。
そして、実際私は、孤独ではありません。少数ですが、理解してくれる人たちもいます。
その人たちとの付き合いを充実させていく(何を話しているか、よく聞いてみるとか)のが良いのかなと思います。
手放して許すと、見えるものが変わってくるかも。
精神の健康としてのマヤ暦、面白いと思いました。
すてきな一日を!
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