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他者のための生き方も大切にしたい。

自分は「他者に貢献したい生き方」を持っていて、「自分のことだけしか考えない生き方」の人に囲まれて暮らしていたときは、全然元気がなかった。
客観的に見てみれば、当たり前のことだ。
他者に貢献したい人が、自分のことだけしか考えていない人たちに囲まれたら、必然的に利用されるに決まっている。
だから、自分の守り方を考えなくてはならない。具体的には、その人たちとの関わりを最小限にしたり、ハッキリ境界線を引いて、場合によってはうまく切り返す。
そして、それができたら、どんなにいいか、と悩む。本質は、人に優しくしたいから。。博愛主義のもと、他者に不平等なく接したいのに、ある人からは「もっと欲しい」と言われたり、優しくしたい人に限って謙虚だったりする、、。自分が嫌いな人に過剰に優しくしてしまう理由があるとすれば、そこじゃないかな。
でも考えるだけ、虚しかった。他者を大切にしようとしても、いつまでも一方通行なのが、悲しくもある。「優しさの見返りを求めてる」、と言われても、自分と同じように接して欲しい、となってしまうのはサガだと思う。
他人との境界線をハッキリし、自分だけの夢を追いかけられたら、それはとても強いけれど、夢がないときは、他人からの承認が欲しい時だってある。

そんなとき、とある学会(怪しくないです…って書くと、余計怪しい)に参加したとき、その人たちは本当に、どうしたら世界がもっと良くなるか、という話をしている。他者のための生き方を大切にすることを聞いて、ふと閃いた。

「何も自分の生き方を曲げなくても、環境を選ぶのだっていいじゃないか。他者のための生き方を大切にするところに行けばいいじゃないか」と。

自分もその大多数に含まれると、心強くなった。
自分の生き方が、周囲と類似しているから、他者のための生き方も悪くない、むしろ社会貢献を大切にしていきたい、と思えた。

そして、大勢に浸されないと、自分を守ることもできないという、自分の弱さも感じた。
だけど、しばらくはその感じた「弱さ」を大切にしようと思えた。以前はその弱さすらも見つけられなかったのだから…。
仕事の目標は見つかった気がする、というか、ずっと大切にしていたものだった。「人の知恵を広め、社会に役立つ商品を作りたい/売りたい」。「サスティナブルで、ロスの少ない商売形態に関わりたい」。そして、その目標に、真摯に向き合い、聞いてくれる人がいたからこそ、弱さがちょっと、強さに変化した。
私は元々、自身だけで自我を突き通せるほど強くはないけど、少しずつ言語化していくことで、強くなりたい。

すてきな一日を。

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