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優しさの押し付け

前回の記事を投稿したあと、優しさの押し付け、という言葉が降りてきた。
おそらく、優しい人は仕事を選べる、と書いたからと思う。中には優しさについて、余計なこと、おせっかいや、押し付けを感じることもあるから、一長一短の個性、悪く言えば偽善的だ、という感覚もあるのかなって。どんな生き様もケースバイケースで、そちら側が勝手に切り捨てるような言い分ってどうなの、という論理。これはこれで、ある、と思った。
優しさと傲慢は似てる、というようなことだろうと思うけど…。

私は、自分が自分で、関わっても仕方ないと決めた相手なら、分けてしまって良いと思う。時間は有限だから、その人に捉われている時間があるなら、心地よい時間を増やした方が良い。
そもそも、自分と基準値が違う人なのだから。 
自分の個性を違う切り口で捉えられるということは、よくあるし、自分も同じことをしてる。
嫌な気持ちになったら、違う自分の切り口に気づけたと感謝して、その場を去ればいい。
じゃあ基準値が違う相手とは仲良くならないのか、ということも、自分が心地よいなら、友達だと思う。
その時付き合いたい相手に注力して、考えていけば良いと思う。大切にしたい人を決める。別にその話も、心の中に留めておくだけの話。

いろんな人がいるからこそ、折り合わない人だって出て来るわけで。。いろんな人がいるからこそ、選ぶこともできる。自分もその一部。

素敵な一日を。



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