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ずぼらな私がなぜ開業できているのか

今回のテーマは「仕事」です。
私がヒプノセラピストとして開業してから8ヶ月程経とうとしています。ありがたいことに今も続けられているのですが、時々思うんです。何故こんなに手間のかかることを続けていられるのだろう、と。

予測のつかない仕事はなるべく避け、決め事はいつも誰かにお願いする。できるだけ「ラクなほう」を探してきた私が、どうして一人で働くことを選んだのでしょう。
確かにヒプノセラピーは好きです。たくさんの方の特別な瞬間に出会えることに喜びも感じています。でも、それだけではないと思うんです。「好きだから、辛いことなんてありません」の境地にはなかなか至りません。

それでも続けるのは、何故か。それはやはり、今の私に必要なことだから。
これに尽きると思います。
曖昧な言葉で申し訳ないのですが、これ以上の言葉が見つかりませんでした。
私が健やかに生きるために手間をかけて、時に苦い思いをしてでも取り組む必要を心が感じているから。


夢をあきらめた記憶

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私には元々ピアニストになりたいという夢がありました。
でも、周りにいる人と比べて飛び抜けてうまい訳でもない。成長するごとに音楽の世界や家庭の経済的状況も見えるようになり、将来の夢は「ピアニスト」から「音楽関係の仕事」に変わっていきました。
もしかしたら、このまま音楽の道へ進めるかもしれないと思っていた頃、信頼するピアノの調律師さんに「おやめなさい」と言われ、半分怒りながら、そして傷つきながら音楽への道は断念することにしました。

当時の私は「どうせ仕事にできないなら弾いても仕方ない」と感じピアノからも離れていってしまいました。悲しい。

好きを追求する道とは

今振り返るとたくさん道はあったはずなんです。
自分が本当にしたいことなら、とことん調べてなんとか継続できる道はないかと探す方法も取れたはず。それに仕事という形でなくてもピアノを学び、理想を求めることはできたでしょう。
それでも、たいして動かず路線変更したのはやはり、自分の未熟さ故だと思います。当時の私は、好きなことを追求する道の過酷さも、喜びも分からず、挑む度量もありませんでした。
できない自分と向き合う練習も面倒になっていたし、先生からの厳しいアドバイスにも感謝できませんでした。
結局私は、外側の理由をいくつも集めてピアノを断念したと思い込んでいましたが、実際は全て自分からピアニストという夢を遠ざけていたのです。

まわり道か矢面街道か

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さて、ここでセラピーの話に戻りましょう。
セラピストとしての道のりを振り返るとやはり凸凹道で良い意味で言えば歩き甲斐がありました。

でも、歩き辛さを感じ「もっと楽な道ないの!?」と思った時にぱっと2つの道が見えるんです。
一つはまわり道。歩きにくい道を避けて通ります。(避けてもたいがいは後で同じ困難に出会ってしまいますが)もう一つは矢面街道。困難に正面からアタック。どんな結果になろうと確実な達成感があり、私に何か良いものが積み重なります。
私は全ての選択を矢面街道へ進むほどの猛者ではありませんので、その時々でよく感じて考えて、選ぶようにしています。
でも、7割は矢面街道ですね。それはやはり、音楽を志し半ばで放り投げた経験も影響していると思います。好きなことを続けていても、どうしたって乗り越えるものは出てくるし、だからこそ好きでいられるのかもしれない。

いつかのためのこの道

開業なんてもっと勇敢で頭が良くて
誰にでもなんでも言える人がすることだと思っていました。
私は今でもそんな人ではありません。
それでも、時に困難を感じながらも好きなことに挑戦していくことはおもしろい。やっぱり、続けることで見える景色があります。
それから、弱音も吐きますよ。ちゃんと落ち込むし。そうしてその度にたくさんの方に支えていただいて私一人でできているわけではないと肝に銘じて感謝するのです。
だから、こういうこと全部ひっくるめて今の私に必要なことなんですね。
書いていてよく分かりました。
ずぼらな私が「心が必要とすること」に出会えたのも凸凹道を歩いてきたからこそではないかと思い、そう考えると今立っているこの道も歩き甲斐があると思えるものです。どの道にいても、きっとこの先の糧になる。そう願ったり信じたりしながら自分の足も丈夫にしていきたいと思います。

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