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友人(自由人)の話

自身と向き合いうために旅をしていた友人について、
ふと思い出す事があったので書いてみようと思う

その友人は高校の部活動で苦楽を共にした友人
かれこれもう15年ほどの付き合いだ
この話は、私が就職して当時軽井沢に住んでいた頃の事
同い年である友人も就職して教師として働いていたわけだが、
まぁ、色々あったのだろう
「疲れたので長めの休みを取った、そっちに行っても良いか」
という連絡が入った
どのくらいの期間なのか、どういう過ごし方をするのか、
具体的に分からないまま、その友人は私のいる軽井沢へとやってきた

そこから、その友人との約2週間の同居生活が始まった
私の仕事が休みの日は、車で観光に出かけ、
仕事の日は出勤前に希望の場所で降ろし、仕事終わりに温泉まで迎えに行き共に家に帰る(もしくは夕飯に出かける)というスタイル

その友人はというと、
日々興味のある場所を見つけては、毎日一人旅を繰り返していた
旅の途中で出会う人、行った先での発見や景色の事を、
仕事終わりの車の中で聞くのは楽しかった

地元を離れて一人暮らしをしていた私にとっても、
実は一人で家に帰るより
二人で帰り、家で話す人がいるというのは、
久々に味わう安心感を味わう事ができた

そんな日々も当然ながら終わりを告げるわけだが、
友人が帰ったあとはなんだか心にぽっかり穴が開いたような
どこか寂しい感覚になった事を今でも覚えている

当時の私でこそ、
わざわざここまで来て長期滞在をするくらいだから、
きっと何かあったんだろうな
とは思ったが、特に詮索はしなかった
友人に対しても深く追及する事はしなかったので
考えも想像の範疇を超えなかったが

今の私だと、考え方はまた違ってくるわけで。

人は、自分の限界を知っているか?
きっとその友人は、それを感じたのではないか
だから一度、その時に持っている全てを手放し
自分を解放し、心向くまでに動いていたのではないか

何も考えず、何にも縛られず、ただ心を解放できる、
そんな瞬間を求めていたのかもしれない

最近は、
悩みやすく、気持ちが不安定で、真面目過ぎる
そういった人が増えているように思う
まっとうに生きないと白い目で見られるようなこの世の中で、
そこからはみ出ようとするだけで周りからの重力がかかるような
そんな感覚

「生きづらい世の中だ」

なんて言葉も、生きているとよく耳にする

それでも、私たちは生きていく
私は思う
せっかく生きているのだから、生きやすいように生きたら良い
その瞬間瞬間で、自分らしい、好きな方を選べば良い
選択を間違ったら、また戻ってやり直せば良い

・・・まぁ、それが本音である事が故に、
今人事職として社員の弊社残留を求めねばならない時でも
好きな方を応援したくなってしまい
なかなか残留を願い入れられないという弊害はあるのだが。                              


その友人はと言うと、今も形を変えながら「学校」という場所と
関わっている
根本的に好きなもの、やりたい事は変わらないが、
教師という「形」にこだわらなくなったのだ
それが彼女の選択

数年前の私との日々が少しでも、その選択に繋がっていたのなら
嬉しいなと思う
そうでなくても、二人にとっては思い出深い日々となったのは
間違いない

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