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アフリカで学んだ。議論に持ち込まず、相手が自分の価値観で腹落ちすることの大切さ。

こんにちは。フランス、ランス在住の香田有絵です。
フランス在住歴も12年になりましたが、わたしが最初に海外に出た先はアフリカです。

3年のアフリカ生活でわたしは、「相手の理解を得るためには、相手の価値観で話す」必要があることを学びました。

印象的な出来事を2つ、ご紹介します。

その1。
その頃わたしは空前のモテ期を迎えていました(全然うらやましくない話ですので、安心してお読みください)。

どのくらいモテていたかというと、毎日、毎日、仕事に行くためにバスに乗るたびに交際や結婚を申し込まれていたのです。

「俺とつきあおう」
「ぼくと結婚しよう」
「うちの息子どうかしら」
「親戚にいい子がいるのよ」などと毎日。

理由はお察しかと思いますが、わたしが若くて可愛いかったからという訳ではなく(今よりはずっと若くてかわいかったのですけれど)日本人だからです。

日本人=お金持ち。結婚したら楽な生活ができるだろうとみなさん想像するらしいのです。

はじめて会った人とつき合う、結婚と言われても真剣に受け取れません。毎回軽く断っていました。

みんなダメ元で言ってくるので大抵それで済むのですが、ある日それでは引き下がらない人が出てきました。

「自分はどうしても日本人と結婚したい。君とつき合いたい」というのです。

はじめはわたしも、「出会ったばかりの人と結婚できない」「街で声をかけてくる人とつきあう気はない」とまじめに返答していたのですが、相手も「じゃあ、つきあうところから」「どこで出会えばいいのか」としつこく食い下がってきます。

そこで、これではらちがあかないと方針を変え、相手にしっかり納得してもらうことにしました。

以下2人の会話です。

わたし「あなたがそこまで言うなら、わたしもちゃんとお答えするわね。もしあなたが本当に真剣にわたしとの結婚を望むなら、協力隊の事務所に出向いて、そこから正式に、日本にいるわたしの父に申し込んでください」

彼「お父さん?」

わたし「そうよ、ジブチでも結婚は親の承諾が必要でしょう?」

彼「もちろん必要だ。(少し考えて)お父さんは、侍か」

わたし「(そうきたか)、、、(今はサムライはいないけど、先祖や魂はという意味では)そうよ」

彼「(頭の中に映像が浮かんでいるようで)父親は刀を差しているのか」

わたし「(彼の発想に笑いをこらえながら、嘘はつかなくていいようにイエスともノーとも言わず、言葉を選んで)日本のこと、よく知っているのね」

彼「もちろんだよ。学校で 勉強した。広島、長崎、長崎。映画の将軍も見たよ」

ジブチでは、日本が戦争で負けて焼け野原から経済大国になったことを学校で学んでいるのです。

彼「サムライかあ。刀かあ」

彼がわたしではなく、一人の日本人女性との結婚に興味があるだけなのは明らかなので心は動かされませんでしたが、彼と話すことが楽しくなってきました。

彼「ハラキリとかあるんでしょ。結婚申し込んで切られたりとかあるのかなあ」

わたし「(嘘はつきたくないけれど、彼にはあきらめてもらわないといけないので)それは、父次第ね」

ジブチの対岸イエメンは、今でも男性たちは腰に刀をさしているので、彼にとっては刀をさすサムライの姿は現在のこととして想像しやすいのでしょう。

それでも彼は続けます「結婚を申し込むにはお金が必要か」

わたし「(わたしとの結婚にお金は必要ないけれど)それも父親次第ね。ジブチでも結婚する時にお金かかるんでしょ?」

彼「うん、すごくかかる」

彼はそこで気づいたようです。
豊かになるために結婚できたらラッキーと思ったのに、結婚するのに大金がかかるばかりか、命がけなのは割に合わないと。

彼「そうか、じゃあその気になったら事務所に行くよ」

わたし「(彼が絶対来ないだろうことをちょっと残念に思いつつ)そうね、真剣なら父に頼むしかないわね」

やっと彼は納得して去っていきました。

相手が知らないのをいいことに誤解を利用したと言えますが、ストーカーになられても困るので、嘘をつかず、相手を不快にせずにうまく説得できたと言えると思います。

この時、相手の価値観で納得してもらうって大事なことだなと気付きました。
これからはこの手でいこうと。

次は誤解なしの短い話。

その2。
窓枠の修理に来た、顔馴染みの職人さんと話していた時のことです。

その頃もうわたしにはフランス人の婚約者がいて、それを職人さんは知っていたので、その彼と結婚しないのか、子供を早く作れと会うたびちょっとうるさかったのです。

この時もはじめは「時期が来たら」とか「そのうちに」などと言葉を濁していたのですが、しつこくなってきたので議論することをやめることにしました。

といっても深い意味はなく「わたしにもわからないわよ=神のみぞ知る」くらいの気持ちで、イスラム教徒である職人さんに「インシャ•アッラー」と言ったのです。
アラビア語で「神の思し召しがあれば」という意味です。

そうしたら職人さんははっきりとわかるほどにビクッとして、急に神妙な面持ちになって、「そうだ、そうだ。インシャーアッラー。それは神の領域だ。自分などが意見を言って申し訳なかった」と返事してきました。
あまりの変容に言ったわたしが驚くほどでした。

そしてそれ以来、職人さんがわたしに結婚や子供の話をすることは一切なくなったのです。

相手に納得してもらうってこういうことなんだなと、改めて思いました。

言葉や理屈で説得しようとしても限界があるのです。
相手にも相手の理屈や世界観があるのですから、言葉の掛け合いでヒートアップしていきます。

どちらが正しいということで争っては、解決しません。
正しさがそれぞれ違うのですから。
どちらも完璧ではないのです。

どうしたら相手が腹落ちするのか、相手の価値観で考えて落としどころを見つける必要があるのです。

ジブチの人とは価値観が大きく違うところがあるので、そのことに気づき易かったのですが、きっと日本人同士でも同じですよね。

「同じ考えなはず、常識はこうなはず」と決めてしまわないで、相手はどのような価値観でそのことを言っているのか、どこにいい着地点があるのか、しっかり向き合うことが大切なのだと思います。

もし、誰かを説得しなければならなくなった時、このエピソードを思い出し、価値観がまったく違うかもしれない相手のどこに落としどころがあるのか考えていただくと、きっと楽しい解決案が浮かぶのではないかとおもいます。

次回のアフリカは、ジブチの食事やお呼ばれについて、写真つきでご紹介します。

今日は金曜日。
あした、なにしよう。


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