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【フランスで生きる】森を歩きながら考えたシラノとの残り時間。

「今年はシラノの最後の春になるのだ」と、先週の獣医との話で悟った。
「来年もあるかも」と思うのは、希望を持つ意味ではいいけれど、今というときの大切さをぼやかしてしまうことでもある。

3か月になるか、夏を越せるか、11月に12歳の誕生日を迎えられるのか。
「できるだけ長く」とこちらの気持を押し付けて無理な治療をすることなく、「かわいそう」だから何でも食べてよしと体調を一気に悪くさせることも避け、できるだけ普通に大事にしていきたい。

別れを覚悟して過ごす時間があるのはありがたいことだ。
「今ある命に感謝して一緒にいることを楽しもう」と心を調えた。

そうして迎えた週末。夫の誘いで森の散歩にでかける。

車の中で嬉しそうで、森でも楽しそうに尻尾をゆらして歩くシラノを見ながら「こういう自然の中を歩けるのも、あとどのくらいだろう」と思っていたのだけれど、「いや、今こそが、もしかしたら無かったかもしれない奇跡の時間なのだ」と気がついた。

昨秋、わたしの日本帰国中にシラノが具合が悪くなったと聞いていた。
今思えば(早く気が付け!)急性腎不全ということだったのかもしれない。

夫がすぐに対応して、週末だったので掛かり付けとは違う、良い獣医さんを緊急で見つけてくれて、シラノの命を救ってくれたのだ。そこまでひどかったとは言わなかったけれど。

わたしが帰った頃はまだ弱った感じが残っていたのに、「あなたが帰って来て、シラノは元気になったのね」とみんなが言ってくれたので、そして帰って来てどんどん元気になっていったので、てっきり一時的なことなのだと思っていた。

でも、今考えると違ったのだ。
命の危険のあった急性の腎不全から回復しているところだったのだ。

鈍かったな、わたし。ちゃんと調べなかったし。
夫も、そこまでひどかったとは言わなかったし、治療でもっと良くなっていくのだと思っていたようだった。
シラノも見た目には元気そうになったし、若い犬だと間違われることもある。

でも血液検査の結果を思うに、一部改善されたところはあるけれど、長い命を保証してくれるものではないのだ。

冬のおかげでシラノは暮らしやすく元気を保っているけれど、暑さは堪えて急に弱るかもしれないという。

そうか、今がもう奇跡なのか。そうでしたか。

遅ればせながらではあるけれど、今気づけてよかったです。

昨秋に会えないまま別れていたかもしれない命と、今こうして奇跡のときを過ごさせてもらっているのだ。冬中、結構普通に過ごしちゃったな。

夫に改めて「あの時は救ってくれてありがとう。そのおかげで今こうして散歩を楽しみ、覚悟することもできた」と礼を伝えた。

広い森の道、先に進むシラノの後を、二人で歩く。

愛しい、愛しい、この時。

木々がわたしたちに何か伝えるかのように、みしみし、きしきしと音を立てる。小鳥がさえずる。風が頬を撫でる。

今を全身で感じながら、映画で「元気だった頃の最後の姿」が映し出されるのを観るように、幸せそうに歩くシラノの後ろ姿をしばし味わった。

夜、わたしの足先を枕にして寝るシラノ。


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