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認知症は遺伝なのか

2011年1月2日の日記に、「父は少し記憶に心配が?」と書いてあった。
父が73歳のときのことだ。

それから12年。父はいろいろなことを記憶できなくなっている。
が、あまり変わっていないともいえる。
認知症という診断を受けているが、物事を認知することはできていて、ただ記憶に問題があるだけだ。

わたしの日本滞在中は、毎日「え、アリエが来ているの?」と驚く。
去年あたりまでは1週間程するとわたしがいる記憶が定着していたが、今は覚えていたり、忘れてしまっていたりする。

でも、わたしの顔は忘れていないし、わたしがフランスにいることも覚えている。2005年に結婚した夫と2012年から飼っている犬の名前も憶えている。

父は自分がすぐ忘れてしまうことも覚えているので、電話を受けるとそのことをちゃんとメモしている。でもメモしたことやメモした内容はすぐに忘れてしまう。

毎日17時半になるとお酒を飲んでいいことも覚えている。
父の一番の楽しみだ。

父の楽しみは、お酒の他は、母といること。
たまには娘に会えること。

介護認定を受けているので、週に一度訪問看護師さんが来てくださり、相性の良い看護師さんとはいろいろな話をするらしい。

昔訳したパーリ語・仏教についてや、哲学・人生についても語ったりしているようだ。

昨年12月に両親を連れ、父の従兄にタクシーで会いに行った。
従兄は父より年上で、父も従兄も一人っ子なので唯一の近しい親戚だ。

お互い体や記憶が不自由なのだが、楽しそうに話すこと話すこと。

父がまだこんなに笑ったり話したりできるとは思ってもみなかった。
軽口も叩いている。

毎日こんな楽しい暮らしをさせてあげたいと思うけれど、わたしが日本に帰るのは年に2回。
父と一緒に暮らす母にも母の人生があり、父のためだけに時間を割くわけにはいかない。それでなくても、かなりの時間家にいるし、家事を一手に引き受けているのだ。

父の「認知症」について、これ以上できることはたぶんない。

わたしにとって、実のところ一番の関心は、これは遺伝性か?ということだ。

父の母も、同じ現象の晩年だったのだ。

2人とも、アルツハイマー型認知症のように、物事が認知できなくなってはいない。外を徘徊したりすることもない。

でも、これが遺伝性としたら、わたしも記憶がなくなるのだろうか。

なんとか阻止せねば。あるいは出来る限り遅らせねば。

記憶のことを考えると、晩年をのほほんと過ごすという選択肢は、わたしにはない気がする。
運動をしてできるだけ体と脳を鍛え、人と会って刺激を受け、好奇心を持ってできるだけ毎日脳と身体を活性化させて生きる。

そして、もしいつか記憶に問題が出たとしても、「ここまで十分に生き切ったから満足」と言えるように、今の毎日を最大限に充実して生きたいと思う。

祖母よ、父よ、これが遺伝でありませんように。
そこだけは似ませんように。

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