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「give」と「take」について考えてみる

ギブアンドテイク。

この言葉は誰もが聞いたことがあるだろう。

「ギブ」=与える

「テイク」=貰う

この割合がウィンウィンだと
人間関係はスムーズにいくだろう。

しかしこの割合が崩れると
人間関係も崩れるだろう。

さて、
現在自分はどちらの割合が高いだろうか?

「ギブ」か「テイク」か。

私は思う。
「テイク」側の人間は恐らく敬遠され
「ギブ」側の人間はいい人、損をしやすい人。

ではどのようになっていけばいいのか。

最近YouTubeでよくみかける
コンテンツ動画。

「副業で稼ぐには」

「起業するには」

このような題名の動画は本当に増えた。

私もよく見る。
多くの動画投稿者がよく話す
「人間関係」について。

「テイカー」人間は搾取されるだけだから
避けるのが無難。

言い方は皆さんそれぞれだが
ほとんどの人はそういう。

では、
「ギブァー」人間になればいいのか?

与えてばかりだと
「テイカー」人間に搾取される

さぁ、
バランスが難しい。

「テイカー」は
「ギブァー」を狙っている。

皆簡単に言うけど
見抜くのは難しい。

ここで私の考察を述べたい。
私は
「テイカー」になるぐらいなら
極論だが
「ギブァー」になる方がいいと思う。

勿論ウィンウィンになるのが
好ましい。

そして必ず
「ギブァー」も「テイカー」に
なる時もある。
逆も然りだ。

ならば
私は「ギブァー」を選択したい。

そう思ったのは
2/16放送されていた
テセウスの船観ていて思った。

与えるのは必ずしも
物でなくてもいい。

優しさ

心地良さ

等人の心の寄り所もあると思う。

テセウスの船で
登場する佐野文吾。

冤罪で死刑判決を下されている。

2/16の放送で
証言者が現れるが
証言するのを一旦断る。

佐野文吾の冤罪が覆る証言だったかもしれない。

断った中で
証言者は佐野文吾に面会する。

冤罪で捕まり
刑務所に31年にいる。
自由がない。

私ならば
証言して覆るかもしれない事が
証言しないとなると
恨むかもしれない。

しかし佐野文吾は
「あなたはとても疲れた顔をしている。
もう解放されたらどうだ。」
こう言い放ったのだ。

勿論フィクションだが
私は心打たれた。

冤罪で
家族と無理矢理離され
31年も自由を奪われ
後は死刑を待つ人生。

こんな中で人を気遣える人は中々いない。

佐野文吾と面会後
証言者は
1度断ったのに
証言する気になったのだ。

私はドラマを観てて思った。

佐野文吾は
証言者に対して
「解放」を与えた。
それにより証言する気になった。
結果意図はしてないが
覆るかもしれない
「証言」を得ることになった。

このように思った時に私は
「ギブァー」でも
いいのではないかと思った。

回り回って帰ってくる。

世の中の摂理は凄い。

私は佐野文吾のような人間には
なれないが、
(損得勘定がやはり入ってしまう)

たまには
無償の愛というのか
そのような心で接することを
心がけてみたい。


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