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映画は最前列で観たほうが良い9999の理由 (プロアクションリプレイ)

筆者は映画を観るときは必ず最前列の席を取るのだが、一般にこの行動は異常とみなされ、理解されることが少ないように感じている。常に座席表のフロンティアを飽かず攻め続けた筆者にとっては、埋蔵金でも埋まってるんじゃないかと見紛うほどに民衆が座席表の中央付近を挙って椅子取りゲームしている様はまさに滑稽と筆舌するほかないわけだが、同時に彼らのほうは筆者のことを奴こそが滑稽の擬人化なのではなかろうかと疑いを強めているのだろう。

このところ Covid-9999(プロアクションリプレイ) の影響もあって映画館は休館しているところが多いようだけれど、晴れて営業再開した折には、新しすぎる生活様式とやらを踏まえて、ヒューマンとヒューマンの間に十分な距離を保つように座席を取る風潮が広がっていくことが予想される。そこで人々はようやく気付くかもしれない、最前列めちゃ空いててリスク低いやん、と。
上映時間ギリギリでも常に最高のポジションを確保して映画を満喫していた筆者は、今まで感じたことのない危機を感じている。

ところで、映画を最前列で鑑賞する理由の一つとして、光速が有限だからというのをどこかで目にし、深く納得したことを記憶している。確かによく知られているように、光速は有限でその値は 299 792 458 m/s である(プロアクションリプレイとは無関係)。そのため、スクリーンに近い位置に着席するほうが、後方に位置する場合よりも早いタイミングで映画を鑑賞することが可能になる、という理論である。

簡単のために映画館を1次元空間と思うと、スクリーンまで 2m のところにいる筆者と、スクリーンから 8m のところにいる人間との間には、20ナノ秒ほどの深い隔たりがある。20ナノ秒という時間があれば、2021年から稼働が始まるというスーパーコンピュータ富岳なら、実に80億回もの浮動小数点演算をすることができる。後方に陣取る映画鑑賞者は、これほどまでに長い 20ナノ秒 という時間だけ筆者よりも遅きに失している。

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もちろんこの記事は賢明な民衆を映画館の後方により長く縛り付けるために書かれているので、ここでまた違う観点を待ちだすことにする。

2020年という時代は大変生きづらい時代で、何を論じるにもポリティカル・コレクトネスに配慮しなければいけない。映画館を基準とした慣性系(映画館系)では確かに上の結果は正しい。では映画側はこの両者の差をどう感じるのか考察することにする。映画側というのはスクリーンから出た光に注目するという意味で、君の名は。を観ている鑑賞者側に対して、その鑑賞者に視覚を提供する宮水三葉から放出された光に寄り添って、この 20ミリ秒 の差を再検討する。

スクリーンからでた光(標準模型では光子)は、光速で移動し水晶体を通過して網膜で結像する。この光にくっついて移動する時計が仮にあったとして、スクリーンの至近距離で腕組みしている筆者、後方で呆けている鑑賞者の両者に到達した時刻を比べることで、別の立場からの観測を詳らかにしポリティカル・コレクトネスを達成しよう。

直観に任せると、当然どちらの立場でもスクリーンから出た光はスクリーンに接近している筆者に 20ミリ秒 早く届くことになるだろうと推察されるが、よく知られるように、ある慣性系からみて爆速で移動する系の現象は特殊相対性理論を通して記述され、その帰結は直観に反することがままある。この場合も、映画館系に対してスクリーンから出た光は光速で移動しているため、この光とともに動く観測者にとって、スクリーンの直前に陣取る筆者と後方に坐する鑑賞者の間にある距離 6m はローレンツ収縮を受け、6mよりも小さく見える。光速の場合ローレンツ収縮は最大となり、この距離は 0m となる。

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光にとって我々を隔てていた 6m というのは微々たるもの... ですらなく、厳密に ゼロ距離 である。つまりこの立場では映画館のどこに着席しようとも、完全に(厳密な意味で)平等であることが分かった。

もしこれを読んでいるあなたが、最前列に座らないと数十ミリ秒程度の損失が生まれてしまうため、最前列に座らなければならないと思っているのならば、考えを改めてほしい。映画館系の観測者たるあなたは数mの差に神経質になっているかもしれないが、スクリーンから出た光にとっては、我々が何億km離れていようとも厳密にゼロ距離である。

おとなしく中央の座席を奪い合って、筆者の最前席には手を付けないように。

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