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自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑱

この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
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社会人時代編2 ダイジェスト(1240字)

・身の振り方、光射す方向は
・組織の中で働くということ

充分な休息と応援を得て、転職活動を始めた。
大学時代の就職活動の際の失敗は見立てと考えが甘かったということに尽きる。

疑問に思ったことを口にせず、まぁ大丈夫か、としてしまったこと。分からんけどOKでしょ、みたいな浅い考え。

自分の人生の大半を預けるかもしれない場所を選ぶのだ。
そんな適当で良い訳がなかった。
待遇、環境、条件をとにかくよく吟味する必要があると痛感した。
しかし、東証一部上場している企業が天国かというと答えは「否」というか結局は「人による」ということが分かったので、別に大企業でなくてもいいと考えていた。

そして、入社を決めた会社は関西ではそれなりに、本社がある県では誰もが名を知る搬送機器メーカーだった。前職が機械系メーカーでBtoBだったので、そこは軸にしておいたほうがいいと某転職サイトで助言を受けたこともあったが、入社のきっかけエピソードはやはり東日本大震災だ。

搬送機械と言っても種類はたくさんある。主に工場、倉庫、個人、農家、漁師など顧客は多岐に渡るが、一言でいうと物を運ぶ機械だ。そんな物流を支えている企業に感銘を受けた。東日本大震災の際、日本のインフラはダメージを受け、物流が途絶えた。しかし、復旧はとてつもなく早かったことを覚えている。いろんな人が一生懸命物流を止めないでいてくれたから、「日本は災害時でも行儀よく並ぶ民度の高い国」という評価を得たのだと僕は思っている。
物流が止まっていれば、次にいつ物が入ってくるか分からない。
そうなっても、人は行儀よく行列に並んでいただろうか?
そんな普段は恩恵を感じづらい業界ではあるが、人々の生活を支えてみたい。そう思った。

募集の条件も確認したし、給料は少し下がるけど、業界や会社としては間違いなくこれから伸びる。約10か月のブランクがあった僕はしっかり準備をして採用試験へ臨んだ。

結果はすんなり採用。僕が配属される予定の営業所は、所長、中堅、僕、業務+子会社(5人)という内訳になり、子会社の方はメンテナンス部隊なので同居する形になっていた。


面接の際に細かいことを聞き、転勤もあるようだが5年はさせるつもりはないという話で住居の心配もなさそうだ。念には念で入社するまでに4回ほど19:00頃に事務所の明かりがついているかチェックしに行った。明かりは付いていなかった。一安心。

入社を決め、いざ本社工場で研修。
まずは製品を知ることと工場とのパイプを作るため、僕は作業服を身に纏う。座学と実務を交互にこなし、1か月後、営業所へ正式配属となった。

営業所で挨拶をする。

あれ?聞いていた人数が足らないような気がする。

あまり気に留めていなかったが、後々理由が判明する。


つづく

~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子





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