猛暑の過ごし方の話


またnoteの企画に挑戦してみる。

#猛暑の過ごし方

5記事連続頑張るぞ。

さて、猛暑の過ごし方である。昨今は猛暑を通り越して酷暑というか、もう太陽が人類を試そうとしているとしか思えないので可能であればクーラーをガンガンに効かせた部屋でゴロゴロして過ごしたい。

家から出られずゴロゴロするしかない時、子供の頃はよく頭の横に本を積んで読み崩していく、ということをしていた。朝から気合いを入れて本を決め、上から読む順に並べて、読む気満々で寝転び、飴玉を舐めながらどんどん読んでいく。飴を喉に詰まらせると危ないので良い子はゴロゴロしながら本を読むだけに留めてほしい。
本というメディアであれば、漫画、小説、雑誌などジャンルは様々だったが、連載モノや同じ作者、掲載雑誌が同じ、などひとつの文脈で読んでいく。ゲームの攻略本縛りで読んだこともある。
意外と「オススメしてくれた人が一緒」だとか「同じ時代の人」など、一見繋がりが無さそうに見えるけれど続けて読んでも違和感がないカテゴリ分けがある。そういう流れで読むのも面白い。

そんな私が夏を感じる本といえば、夏目漱石の『こころ』と『三四郎』である。

『こころ』は高校の国語で遺書の場面だけ読んでKの死に様にドン引きした人も多いと思うが、全編読むと夏の色を感じる。始まりは海水浴場のシーンであるし、雑司ヶ谷のKの墓を訪れるところなどは木々の緑とその木陰のコントラストが濃いように見える。来る秋にこの銀杏が色づくと綺麗だよ、ということを伝える先生の言葉のせいかもしれない。
全て読めば季節は様々なのだが、私は『こころ』をどの季節に読むのがオススメかと問われれば夏かなぁと答えるだろう。

『三四郎』はなんと言っても三四郎の若さが夏っぽい。私は漱石作品の中では『三四郎』がいちばん好きだ。三四郎と美穪子の大人の入り口特有の責任を取りきれないうっすらとした恋の雰囲気だとか、三四郎と小宮の地に足のついてないようなやりとり、頑固なような、それでいて動かされやすそうな三四郎の性格といったものが、夏の抜けるような空の青さ、嘘みたいに白い雲、考えることを放棄させる真昼の暑さなどを連想させる。
妙に白々しくて白昼夢のような季節。私の中で夏はそんなイメージで、三四郎にも同じようなイメージを抱いている。

この2冊を続けて読もうと思ったら、『三四郎』→『こころ』の順番がいいと思う。しかしそうするとお口直し、というか、もう一冊読みたくなる。そこにうってつけなのが『硝子戸の中』である。これは朝日新聞に掲載されていた随筆で、とても漱石の人柄が出ていて良い。偏屈なようで、ただ素直で、自分を曲げるのが下手だけど相手にこっちに沿うよう曲がってくれと求めているわけではなく、まぁお互い欲しいものも立場も違うからね、そういう感じで行こうや、という生ぬるく心地いい雰囲気があって、まさに〆のラーメンのような味わいがある。

夏目漱石の本は晴れ渡りまくる猛暑にも合うし、突然の夕立にも合う。
ふと本から顔を上げた時に窓の外に白い雲がパッキリと浮かぶ青空が見えても、本を読むうちに突然視界が暗くなってゴロゴロ雷が鳴り始めても、本を閉じた時に絶妙な夕焼けを目の当たりにして少し陽が短くなったことに気づいた時も、夏目漱石の読後感からはあまり外れないところに位置した雰囲気のように思う。

だから猛暑には夏目漱石である。同じ作品でもカバーのデザインが色々あるので気にいるデザインのものを手にして欲しい。
私はヨルシカデザインの夢十夜を購入しようと思う。売り切れていませんように。


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高矢 色
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