梅林編 序章第二話(後編)
第二話(後編) 王との邂逅
日本海、海上。青島モーターズ自動車航送船内。
渡された物資とデータに一通り目を通した俺は、温かいコーヒーを啜りながら、船室で一人、ノートパソコンの画面と向き合っていた。
海上の通信環境というものは陸と比べて悪いものだと聞いていたが、今のところ遜色はなく快適だ。
通信機にはモバイルルーターとしての機能もついていると書いてあったが、まさかここまで高性能とは⋯やはり『霊子結晶3倍搭載(※当社比)』と書いてあったのは伊達じゃないというわけか。
俺が今覗いているのは、様々なギークたちが集う、知る人ぞ知る裏掲示板サイトだ。飛び交う情報には眉唾な物が多いが、その分秘匿性も高く、有益なものが転がっていることもあるのがここの"ウリ"だ。
元々は興味本意で、軽い気持ちで入ったのがきっかけだったが、なんやかんやでハッキングやクラッキングの技術を深く知るのにお世話になった場所だ。
政府の内部情報を安全に抜き出し、結果的に青島きりんにそれを渡せたのは、ここのおかげと言っても過言ではない。
コンコン⋯
不意に、俺の船室の扉をノックならななする音が聞こえた。
「どうぞ」
カチャッとドアノブを回す音と共に1人の少女がポットを持って入ってきた。
「バイリン、コーヒーのお代わりはいかがニャ?」
彼女の名前は江田島かしえ。先刻俺を見送ってくれた星原そうかと同じく、帝国華撃団・宙組のメンバーだ。
広島出身の彼女は中国・近畿を中心に活動をしているが、現状戦力が整っていない俺のサポートとして、一時的に同行して貰っている。
「ではお言葉に甘えていただこう」
ポットから注がれるコーヒーの蒸気と香りが広がり、俺の鼻腔をくすぐる。
「丁度なくなるところだったんだ、ありがとう」
「ニャハハ、どういたしまして〜」
コーヒーを注ぎ終え、屈託のない笑顔で返事をすると、かしえは船室の扉の方へと踵を返す。
「ではでは引き続き、ごゆっくりニャ〜」
多少言葉が不思議なところはあるが、入船した時に船内設備の案内や説明をしてくれたのも彼女だ。出会ってまだ間もないが、気の利く良い子といった印象だ。
話を戻そう。
俺が今になってまたこのサイトを覗いている理由。それは"m.m."という、通称"エムエム"と呼ばれている凄腕のハッカーがいるからだ。
帝国華撃団の敵は降鬼だけではない。奴の⋯サマエルの開発した霊子スーツや機兵軍団も、吉良を攻略する上では当然大きな障害となる。
出港前に青島きりんが言っていた通り、高い資質を持った乙女を発見することは容易ではない。
ならば保険として、相手の機械的装備に干渉できるか、もしくは情報戦に精通した人材を確保しておくのも有効な手と言えるだろう。
例え霊子ドレスを扱える存在でなくとも、そういった人物を味方に引き入れておくに越した事はない。
そう考えた結果、俺は彼とコンタクトを取ってみることにしたのだ。
彼のハッカーとしての実力は、少なく見積もってもデミゴッド級に入るレベルだ。彼が帝国華撃団に力を貸してくれるとなれば、電子戦においてこれ程心強いことはないだろう。
もちろん彼が善良なハッカーであるという確証はないが、同時に悪質なハッカーであるという話も聞かない。アプローチする価値は十分にあるだろう。
m.m.を探してサイト内を覗いていると、俺はあるスレッドに目が留まった。
それは、2日前の日付で立てられた"Questions"という、シンプルなタイトルが付けられたスレッド。
スレ主は他でもないm.m.だった。
彼がこのサイトに来る時は、大抵ゲームの話題に参加したり、ちょっかいをかけてきた連中を弁論や技術で返り討ちにしていることがほとんどだ。
だから、彼がこのようなスレッドを自ら立てることは珍しいことだった。
開いてみると、トップにはURLが1つ貼り付けられていた。このサイトに貼られているリンク先の安全性など当然分かったものではない。
だが、彼とコンタクトすることが目的でここに来た以上、直近の彼を知っておくことは必要だろう。
URLをクリックすると、正にタイトル通りといった感じの、一般的なクロスワードパズルが現れた。
「本当に"ただの戯れ"って感じだな」
と、思わず口に出したが、すぐさま疑問が湧いた。
掲示板内での彼の発言を見る限り、彼の思考は非常にロジカルな印象を受けるものが多い。
そんな人物が、明確な意図もなくこんなスレッドを立てるだろうか、と。
問題を解けば何かしらの進展はあるはずだ。そう思って俺は、クロスワードパズルを解き始めた。
解き始めてから1時間半弱。
最初のクロスワードパズルこそ何てことはなかったが、その後も手を変え品を変え色々な問題が続き、徐々に難易度は増していった。
7問目以降に至っては、ハッキングやクラッキングに関する知識や技術が求められるものになっており、事前にブラウザバックを推奨する警告画面が出るほど"本格的"な内容となっていた。
そしてようやく今、最終問題となる11問目に取り掛かるところまで来た。
「不規則に羅列された文字と記号。そしてもう1つは、交互で入れ替わる穴の空いた暗号表。換字式暗号か」
換字式暗号は、本文と暗号表がセットになっている暗号であり、本文に対応する暗号表に当てはまることで正しい文章や答えが導き出せるようになっているものだ。
古くから存在する古典的な暗号だが、表の大きさから組み合わせまで製作者によって全て異なるため、完全な対応表があって初めて正確に解けるものなのだ。
今回は穴空きの表しか渡されていないため、まずは表の穴を埋めるところから始めなければならない。
「割と厄介だな」
とはいえ、時間制限のあった先程までとは打って変わって、今回はそれがない。
それに、内容だけ見れば1問目のクロスワードパズルともそれほど差はない。だがm.m.の考えることだ。額面通りの難易度ではないのだろう。
俺はコーヒーを一口飲んで一息をついてから、提示されているヒントに目を通した。
画面上部には"You collected words"、"5"、"even number"とだけ書かれている。
「"集めた文字"と"5"と"偶数"か⋯」
表を埋めるヒントとしては非常に少ないが、ないものは考えても仕方がない。
とりあえず俺は、今まで解いた問題の答えのアルファベットを順に並べる。
すると、"government"という単語が浮かんだ。
「"政府"と"5"と"偶数"⋯変動する暗号表⋯」
提示されてヒントから、俺はこれと似た暗号をどこかで見た覚えがあることを思い出した。
そしてその記憶が正しければ、俺は恐らく既にこの暗号の答えを持っている。
俺はバッグの中から、青島きりんに渡した内部情報のバックアップが入ったUSBメモリを取り出し、パスワード関連の項目をひたすらに洗った。
15分後。俺は該当するであろう暗号を見つけた。
それは、レベル5以上のアクセス権を持つ者しか閲覧できないファイルを閲覧するための暗号表だった。そして、これが最終問題であることにも合点が行った。
⋯恐らく、俺以外にもこの問題までたどり着いた者はそれなりにいたのだろう。だが、スレッドにクリア報告は一切なかった。
なぜなら、一時の暇潰しのためにする行為としては技術介入度とリスクがあまりにも高すぎるからだ。
この問題は、10問目までとは性質がまるで違うのだ。
10問目までは、内容がどれだけハードであろうと、自分のパソコンの中で完結するものばかりだった。
だが、ことこの最終問題に限っては、実際に外部へとハッキングをかける。
その上、捕まらないためには、侵入した形跡を残さないようにやらなくてはならない。国を相手にだ。
純粋な難易度はもちろんだが、覚悟と勇気が無くてはこの問題を解くことはできない。
この問題はいわば、それらを見定めるための"ふるい"なのだ。
「決して⋯無意味ではなかった、というわけか」
あの頃の俺の行ないは決して褒められたものじゃなかったが、どうやら総督であったことは全くの無駄じゃなかったらしい。
本来の俺のハッキング技術と、今使っているこのノートパソコンでは、この問題の正解にたどり着くことなど到底できるものではない。
「総督時の遺産が、こんなところで役に立つとはな⋯」
俺はなんとも言えないような、感慨深い感覚を感じながら、暗号表と空欄の表とを照らし合わせた。
そして"偶数"秒時に表示されるパターンを紙に書き出し、解答欄に打ち込んだ。
すると、URLとパスワードがそれぞれ一つずつ、画面に表示された。
このリンク先の安全性もまた、当然分かったものではないが、高いリスクを払わせてまで誘導したい場所だというのなら、罠ではないと見るのが妥当か。
いずれにせよ、今更ためらう理由はない。俺は迷うことなくそのURLをクリックした。
リンク先はどうやらチャットルームのようだった。続けて先のパスワードを打ち込み、入室が完了した。
俺が入室して間もなくメッセージが届いた。
メッセージの主は、当然のことだがm.m.だった。
『誰が来たのかと思えばキミだったか。久しぶりだな、B-woods』
"B-woods"は、俺がここで使っているハンドルネームだ。自分の名前に掛けた、特に捻りのない名前だ。
『俺を覚えているのか?』
『ああ。キミは過去に、ワタシにクラッキング技術について質問をしてきただろう?』
『それはそうだが、他にも教えを乞いたい奴らは多くいたはずだ。俺もその内の1人に過ぎなかっただろう?』
『いいや、キミみたいなのは珍しい部類だ。万が一ワタシが悪質なハッカーだったら、という可能性を考慮すると、そもそもやり取りをしたいと思うヤツは滅多にいないのだよ。』
『だから、そんな世界でキミみたいにまっすぐに聞いてくるヤツは新鮮だったのさ。』
「"まっすぐ"か⋯」
思ってもみなかった評価が飛んできたことに俺は少し驚いて、チャットでの会話だというのに、つい口に出してしまっていた。
昔の俺は、兄貴へのコンプレックスから、知識や技術、実績といった様々なものを求めたが、そんな自分はがむしゃらであれど、まっすぐな存在だとは到底思えなかったからだ。
「ふー⋯今はそんな場合じゃないだろ」
思わぬタイミングで感傷的な気分になってしまったが、今はそれどころではない。気持ちを切り替えねば。
『いやまあ、しかしだ。軽い気持ちでアレを用意したつもりだったんだが⋯まさか本当に辿り着く者がいるとは思わなかったぞ。』
軽い気持ちで国家機密にアクセスするための暗号を入手して使うなど、普通に考えたらただの命知らずだ。
だが本当にそうだろうか。これほどまでの技術を持つ聡明なハッカーが、軽い気持ちで掛けるリスクにしては高すぎる。俺は再び、キーボードを叩き始めた。
『単刀直入に聞く。どういうつもりであのスレッドを立てたんだ?』
『なに、単純な話だ。今の日本の状況が、ワタシにとってあまり好ましいものじゃないからさ。』
『具体的には?』
『16年前の大厄災以降、B.L.A.C.K.以外の芸能活動が禁止されたのは知っているだろう?今また、アレに似たような統制が起きようとしているのだ。』
『数日前、国会に提出された"ネットワーク利用基本法"という法案だ。』
『そういえば"インターネット上での治安の悪化を懸念して、議論が進められている"とかテレビで言っているのを聞いたな。』
『アレは表向きには"過激な発言や表現"のみを対象にしているようなことを言っているが、詳細を発表していない条文の内容は情報統制と言っても差し支えのないものだ。検閲する側の解釈次第でいくらでも摘発できる内容になっている。』
なるほど。つまりそれを覗くために政府のコンピューターをハッキングし、その時にあの暗号を手に入れたというわけか⋯
そしてこのネットワーク利用基本法が彼の言う通りの内容ならば、恐らく政府は、ネット規制よりも降鬼関連の事実の隠蔽と危険分子の発見・排除をしやすくするための口実を作りたいのだろう。
『インターネットは誰もが情報を発信し、共有できる自由な空間であると共に、次なる技術革新に欠かせないものだ。』
『もちろん良い面ばかりではないが、可能性に満ちた環境を著しく狭めることをワタシは看過できないのだ。』
『だからもし、ワタシの出した課題をクリアできる者がいるならば、共に何かできることがあるのではないかと思って、淡い期待であのスレッドを立てたのだ。』
ネット上でのやり取りしかしたことのない俺が、彼をどれだけ知ってるのだという話ではあるが、これほどまでに意思を吐露するm.m.を、俺は見たことがなかった。
ただの文章だ。なんとでも言える。そう言ってしまえばそれまでだが、俺はなんとなく、彼の言葉を信じてみたくなった。
『流石に、一国を相手に二人だけで有効的なダメージを与えるのは難しいだろう』
『だろうな。先述の通り、ワタシもそれほど期待していた訳ではない。キミ、何か良い案は持っていないか?』
代替案の提示を要求してきた辺り、やはり彼は、何かしらの形でも政府に抗おうという意思の持ち主と見て良いだろう。こちらとしても願ってもないことだ。
『ならば、帝国華撃団に協力するというのはどうだ?』
『今話題になっている反政府組織か。もしやだが、キミもその一員だったりするのか?』
『もし「そうだ」と言ったら?』
今まで続いていたチャットが数分の間途切れる。
『少し⋯考える時間をくれ。』
そしてそのメッセージを最後に、空白の時間が生まれた。俺はすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し、その時が来るのを静かに待つことにした。
この船の目的地である富山港の灯台の灯りが見え始めようかという頃⋯チャットは再開した。
『待たせたな。』
『音声会話をオンにしてもらえるか?』
『いいのか?』
『構わん。繋いでくれ。』
多少驚いたが、俺には特に断る理由もなかったため、言われた通り音声通話をオンにした。
「やあ」
俺は彼の⋯いや"彼女"の第一声を聞いて、数瞬の間、時が止まった。そもそも文章のやり取りから感じたイメージだけで性別を決めつけて考えていたのもアレな話だが、あふれ出る若さを感じざるを得ないこの声は、完全に想定の外だった。
音声会話をするにしても、当然音声加工をしてくるだろうと思っていたが、この声は恐らく無加工のものだ。
「⋯おいキミ!聴こえているのか?」
「あ、ああすまない。予想してた声と違ったのでな」
「ワタシが成人男性だとでも思っていたのかね?」
図星だ⋯
「まあ⋯そうだな」
「やれやれ⋯失礼なヤツだな、キミは。ワタシは未成年で、その上可憐な少女なのだぞ?」
自分でそこまで言ってしまうのか⋯この子は。
「ところでキミは、実際のところ何者なのだ?先程も聞いたが、帝国華撃団の一員なのか?」
「そうだ。正確には彼女たちの縁者といったところか。共に戦う志を持った仲間を見つけるのが俺の役目だ」
「なるほど。それでこのワタシに目を付けたというわけか。キミ、なかなかに分かっているじゃないか!」
「良いだろう。政府にひと泡吹かせてやれるのであれば、協力してやろうではないか。帝国華撃団に」
彼女の決断は驚くほどアッサリしていた。
俺は思わず、反射的に聞き返してしまった。
「本当に良いのか?」
「ああ。何か問題でもあるのか?」
「お前はハッカーで、ましてや未成年だ。それでも本当に、俺たちに協力して大丈夫なのか?」
「政府に潜った際の痕跡はちゃんと消しているから、今のところ身元は割り出されていないはずだ」
「それに、帝国華撃団はワタシと年近い者たちの集団と聞く。ならば年齢は入団の障害にならないはずだ」
「万が一⋯この話が罠で、俺がスパイだったら?」
「ふふ、面白いことを言うな。大方キミは今、海上から通信をしているのだろう?スパイがわざわざそんな場所からコンタクトを取ろうと思うかね?」
「キミのPCもごく一般的なものだ。ワタシを出し抜くにはあまりにも脆弱すぎる。下手な嘘はやめたまえよ」
「驚いたな⋯そこまでお見通しとは」
「ふふん、ワタシを誰だと思っている。とはいえ、気を遣ってくれたことには感謝するぞ」
どうやら彼女は、チャットが途切れていた間に、既に俺の通信環境をあらかた把握していたようだ。俺の浅い心配など無用だったというわけだ。
「ならばもう不粋なことは言わないとしよう」
「では改めて、帝国華撃団への協力をお願いしたい」
「ああ。もちろんだ」
「ただし1つだけ条件がある」
「条件?」
「ワタシにも1機、"霊子ドレス"を用意して欲しい。アレは大変興味深い」
「何だと!?」
俺は今までの会話の中で"霊子ドレス"という単語を一度も発していない。
「どこでその名を?」
「このご時世。探せば大抵の情報は転がっているものさ。映像はもちろん、内容についてもな」
九州では"天神家"を筆頭に、民衆の反政府意識があったことや、風雪マジュが帝国華撃団と交戦した際の報告書でも言及されていたのを覚えている。彼女の能力と情報網を以てすれば、知っていても不思議ではないか⋯
「ただし、ワタシは低スペック機では満足しない。一番いいのを頼むぞ!」
「わかった。約束しよう」
彼女の持つ霊力がどれほどのものであるかはわからないが、ここで断るのも愚というものだろう。
俺は彼女の出した条件を快諾した。
「では契約成立だな」
「あぁそうだ⋯1つ言い忘れていたよ」
「ワタシの名前は"最上(もがみ)むつは"だ」
「これからよろしく頼むぞ、帝国華撃団」
第一章第一話へ続く。