幕間 A Mixed Berries Candy
太正100年12月5日。新帝国劇場。
昼下がりの劇場内の休憩スペースで、水無瀬くりんはテーブルに乗せた両の手の先を見つめたまま、心ここに在らずといった様子でそこに座っていた。
「むむっ!くりんちゃんも隅に置けませんねぇ」
そんなくりんの静寂を破ったのは咲良しのだった。
「うわっ!?なんや、しのか。ビッッックリしたわー」
「で、くりんちゃん。ソレには何が書いてあるの?」
しのは口角をつり上げながら、上擦った声でくりんに問いかけた。
「な、なんの話やろか?ウチにはなんの事かサッパリわからへんなぁ⋯」
と、くりんがしらばっくれようとした瞬間──
「じゃあその両手で後生大事に持ってる封筒はなんなんだい?⋯っと!」
テーブルの上に乗せていた両腕。
くりんがその指先で握っていた封筒は、その声の主によって後ろから掠め取られてしまった。
「あっ!?」
「ふぅん⋯特になんてことのない、普通の封筒だねぇ」
封筒の裏表を二度見三度見するも、特に何も書かれておらず、凝った柄も装飾もない。
何の変哲もない、ただの真っ白な無地の封筒だった。
「コラべにし!それはウチがもらったもんや。はよ返さんかい!」
「はいはい、悪かったよ」
中身を見る前にくりんの剣幕に圧され、べにしは渋々封筒を返した。
「で、結局それは何なんだい?」
「ぐ⋯やっぱオマエも聞いてくるんか」
面白そうなネタを見つけたら、決して見逃さないのがこの土方べにしという人物だ。
だから当然、見られなかった封筒の中身について、聞かずにはいられない。
くりんは照れ臭そうにモジモジしながら1,2分ほど悩んだ後、頬を赤らめながらその口を開いた。
「ラ、ラブレター⋯もらった」
「わー!やっぱりー」
「へぇ〜、このご時世に割と古風だねえ」
概ね予想していた通りのくりんの答えに、しのとべにしはにんまりとした。
「誕生日にラブレターもらうとか素敵だね。良いなぁ〜憧れちゃうなぁ〜」
「で、何て返事したの?くりんちゃん!」
しのは瞳を期待で輝かせてくりんに迫った。
「ま、まだ返事はしてへん⋯」
「まあまあ。そう焦るんじゃないよ、しの」
(口達者な奴がこんなにモジモジしてるんだ。アッサリ話を終わらせるのは勿体ないってもんだろう?)
べにしは内心そんなことを企みながら、表面上はしのを制したように装った。
「交友関係の広いアンタが今さら男の1人や2人で縮こまることなんてないだろう?一体どうしたっていうのさ」
「べにしはウチのことを尻軽女みたいに思うてるようやけど、そんなん全然ちゃうで」
「ウチの友達との付き合いは至って健全や。勘違いしたらアカン!」
「⋯⋯だからその、あんまり慣れてへんのや。こういうんは」
誰とでもすぐに打ち解け、すぐに友達になれるくりんのイメージからは想像しにくい返答だったために、べにしは少し反応に困ってしまった。
(なんだい⋯思ってた以上にガチなやつじゃないか。これじゃあ流石のアタシも弄りにくいじゃないか)
「でもくりんちゃんをここまで悩ませるほどの男の人って、きっと相当な人だよね?どんな人なの?」
しのの問いに、くりんは再び恥ずかしそうにモジモジし始めた。
それから数分悩んだ結果、くりんは件のラブレターが入った封筒をテーブルの上に差し出した。
封筒を手に取ったべにしは、中に入っている手紙を取り出し、しのはべにしの両肩に手を当て、べにしの肩越しに手紙を覗き込んだ。
水無瀬くりんさんへ
いつもボクたちのために、いろんなことをしてくれてありがとうございます。
くりんさんに会うたびに、いつもたくさんの元気をもらっています。
それと、いつもアメをもらっているので、今回はボクがアメをあげます。いっしょに入れておいたので、後で食べてください。
最後に。ボクがもう少し大きくなったらけっこんしてください。大好きです、くりんさん。
「これって⋯」
「ああ、そうだね」
一般的に漢字で表記するべき単語がひらがなになっていたり、行線を所々はみ出して書かれているサイズのズレた文字列。
水無瀬という漢字も頑張って書いたのだろう。字体のバランスも悪く、ひらがなと較べて明らかに大きいものになっている。
総じて稚拙な部分が多く見られる文章だった。
「くりん⋯一応聞くけど、この手紙をくれた人は一体何歳なんだい?」
「⋯じゅっさい」
「⋯⋯も、もう一度言ってくれるかい?」
確かに聞こえた。
だがべにしは、もう一度聞かずにはいられなかった。
「じゅ、10歳の男の子や!」
くりんの声が辺りに何度かこだました後、その場に少しの間静寂が生まれた。
「「じゅ、10歳!?」」
それが表すところはつまり──
((しょ、小学5年生じゃん⋯⋯!))
「ウチら復興支援で色んなとこ回っとったやろ?」
「そん時にヘコんどった子どもたちに笑って欲しうて、ついつい世話を焼いてしもたんや」
「それで懐かれた結果、最終的にこうなったと」
手紙をヒラヒラと揺らしながら、べにしは言った。
「でも飴は入ってなかったね」
「そら飴ちゃんはもう食べてしもたわ」
((それはしっかり食べるんだ⋯))
性格も価値観も全然違うしのとべにしだが、そんな2人でも、今回ばかりは同じ感想しか出てこなかった。
「くくく、それはまあともかくとして、意外とウブなところもあったもんだねえ、アンタも」
「べ、別にええやろ。誰からもらっても嬉しいもんは嬉しいし、緊張するもんは緊張するんや!」
「だから、相手が誰でもちゃんと考えて答えなアカンと思ってんねん!」
言葉の力で他人に笑顔を与えてきたくりんにとって、少年が勇気を持って書いたであろうこの文章を無碍になどできなかったのだ。
下手な言葉は他人を傷つけ、落ち込ませてしまう。
言葉の重みを誰よりも知ってる彼女ならではの悩みがそこにはあった。
「ちゅーわけで悩んどったんや」
「けど小さな子どもの甘い考えを真に受けて『結婚してあげる』なんて言うわけにもいかないだろ?なら心苦しくても断るしかないんじゃないのかい?」
しかもくりんはこれからお笑い芸人として、女優として売り出していく身だ。
その辺りも考慮すると、べにしの言っていることは至極まっとうな意見だ。
「それはそうなんやけど、なるべくヘコませるような言い方はしとないねん。やっと帝都も立ち直ってきて、暗い雰囲気がなくなってきたとこでまたそういう気分にはさせたないねん。それに⋯」
「「それに?」」
「その子結構イケメンやねん。あのまま大きくなった時のために、今のうちに唾つけとくのもアリなんやないかなーっなんて、アハハハ⋯」
⋯⋯⋯。
⋯⋯。
⋯。
「⋯⋯じょ、冗談やで2人とも。ウチがそんなことガチで思うとるわけないやろ?な?」
年端も行かない男の子の告白にも真摯に向き合うくりん。という構図への感動が消えてしまったしのとべにしは、なんとも言えない表情でくりんを見つめていた。
⋯⋯⋯。
⋯⋯。
⋯。
「⋯⋯わかった。ウチが悪かった!だからその虚無だけは堪忍してくれへんか?」
⋯⋯⋯。
⋯⋯。
⋯。
「2人には次から飴ちゃん2倍にしたるから、な?」
⋯⋯⋯。
⋯⋯。
⋯。
「うわぁ〜ん!無音がいっちゃん効くねーん!」
会話のキャッチボールが起こらない状況に、くりんは思わず頭を両手で抱え、身体をのけぞらせる。
静寂の休憩スペースに、くりんの叫びがこだまのように大きく反響した。
後日くりんは、ラブレターの返事をしに男の子の元へ赴いたのだが、その場にはくりんとは別に、2人の女性の姿があったとかなかったとか。