幕間 Happy Trigger
「皆、今日はオレの誕生日に来てくれて本当にありがとう。次の公演でまた会えるのを楽しみにしているよ」
そう言葉を結び、白のタキシード姿の不知火りんは、ステージ中央から一礼する。
そして、それから数拍の間の後にステージのカーテンが降り、帝国歌劇団・九州花組、太正101年9月20日の公演は幕を閉じた。
春の帝都公演以来、りんの男役としての知名度と評価は跳ね上がっていた。
ハーフならではのスタイルの良さと、クールな印象を与える端正な顔立ち。
そして、鍛え上げられた身体から繰り出される無駄のない動きは、N12の夷守メイサや鵲裳シヅキにも迫るものがあると評価され、全国にその存在を知られることとなった。
この流れに乗らない手はないと考えた天神ひめかの案により、今日りんの誕生日記念公演が行なわれる運びとなった。
従来の歌劇では、出演女優の誕生日であっても特別それについて触れたり、お祝いの枠を設けることはそう多くはない。
だが、他の花組やB.L.A.C.K.はもちろん、特に咲良しのに対しては絶対に遅れを取りたくないと闘争心を燃やすひめかは、幼い頃からの英才教育によって身につけた様々な知識と幅広い人脈をフルに使って、他のグループにはない試みを発案しては実践を繰り返していた。
りんの誕生日公演もその内の1つで、よりファンとの距離を縮め、九州公演の集客力を強化することを目的に、試験的に行なったのだ。
女優としてだけでなく、あらゆる面において“完全に勝つ”⋯それがひめかの目指す最終目標だった。
「皆さん、今日は本当にお疲れ様でした」
「今回はりんの誕生祝いも兼ねて、沢山のお料理を用意させていただきました」
「今夜は無礼講ですわ。皆さんたんとお食べに、そしてお騒ぎになってくださいな」
ひめかの挨拶が終わると、その場に集まった各々が好きなようにグループを作り、会食を楽しみ出す。
公演の後、ひめかは花組とスタッフたちを労うべく、天神家の屋敷で宴会を開くことにしたのだ。
今回は、りんの誕生祝いも兼ねているため、各種料理の他、多種多様なスイーツも所狭しと並んでいた。
「ひめか。ほ、本当にコレを全部食べてもいいのか?」
りんはひめかの方を向く。
そうひめかに問いかけるりんの瞳は、キラキラと純真無垢な子どものように輝いている。
「ええ。貴女の気が済むまで召し上がってくださいな」
「っ!!」
コクコクと無言で頭を縦に振って、りんは歓喜の意を表した。
「うふふ。りんちゃん、とても嬉しそうですね」
早速お尻側のポケットから携帯端末を取り出し、スイーツの並んだゾーンを撮影して回るりんの様子を、くすのとめいは微笑ましく眺めていた。
「うむ。甘いものを眼前にし、クールな長身女性が普段見せることない表情をする⋯」
「所謂“ギャップ萌え”の内容としてベタな流れではあるが、見目麗しき者のすることなれば、それは漏れなく尊いというものよ」
その一方で、向かいの席ではアンジュが近くのスタッフたちに謎の啖呵を切っていた。
「ヤイヤイヤイ、ワシの酒が飲めネェっていうのカ!」
単に飲み物を配って歩いているだけなのだが、どこで聞いたのか、明らかに間違った声の掛け方をしている。
「あちゃー⋯ちょっと行ってくるね」
それに困惑している人たちを見かねたまみやは、ゆうとの席を離れ、彼らとアンジュとの間に割って入った。
「アンジュ」
アンジュの後ろから声を掛けながら、まみやは右手でアンジュの左肩に触れた。
「ん、なんですカ?まみやサン」
(あぁ⋯やっぱり。またなんか変なのを見たな)
まみやは、なぜ自分が声を掛けられたのかをまるで理解していない様子のアンジュを見て、自分が予想した通りの状況であることを察した。
「アンジュ、それはパワハラする奴のセリフだ⋯」
「えぇっ、そうなんですカ!?」
なんでカタカナ語(しかも略語)はちゃんと分かってるんだよ、と内心ツッコミを入れたい気持ちを抑えながら、まみやは言葉を続けた。
「そうだよ。だから普通に『飲み物はいかがですか?』くらいで大丈夫だって」
「う〜ん、オサケの席でのテイバンって聞いて使ってみたんだけど、やっぱり日本語は難しいでゴザル⋯」
『みんな、ゴメンネ』とスタッフたちに謝意を述べるアンジュの様子を見てホッとしたまみやは、ゆうの元へと戻っていった。
「ふふ⋯お疲れ様、まみや」
「ホントだよ。あたしたちはアンジュのことをよく知ってるから良いけど、そうじゃない人と話すのを見てると毎度ヒヤヒヤするよ」
「でもまみやがちゃんと見てくれてるから、アンジュも伸び伸びできている気がするわ。流石はお姉ちゃんね」
「もぉ〜煽てても何も出ないよ、ゆうさん」
アンジュの突飛な言動に振り回され、それを処理する身としては気苦労が絶えないのだが、他人に頼りされているというのは嬉しいことでもある。
だから、ゆうの言葉に素直に喜んで良いのかどうか、複雑の気持ちになったまみやだった。
宴会が始まってから1時間ほど時間が経過しても尚、りんはひとり、スイーツの世界に浸っていた。
「う、美味い⋯美味すぎる」
食べても食べても、おかわりと新たな種類が供給されるスイーツの楽園に、りんはひたすらに感動していた。
「そして何より、眼福だ⋯」
「目の前に色鮮やかな光景が無限に広がっている⋯」
「もしや、ここが天国なのか⋯」
口の中に広がる甘味を感じながら、人目があるため涙こそ出さなかったが、目を深く閉じたりんはこの上ないほどの多幸感に包まれていた。
写真を撮っては食し、食しては写真を撮る。
りんにとってそれは正に、幸福の無限ループだった。
「お気に召していただけたようで何よりですわ」
「調理班に甘味を大量に用意させておいた甲斐があるというものです」
宴会用に大量に用意されていたスイーツたちは、この小1時間でその大半が消滅していた。
もちろん、原因はりんである。
りんは、しのやつつじのような大食いではない。
だが、並べられたスイーツの山には抗えなかった彼女は、野菜や肉をそこそこに済ませた後は、1人でかなりの量のスイーツを平らげていた。
「しかし、口元にクリームを付けたまま喋るというのはお行儀がよろしくないですわよ?」
ひめかは近くにあった紙ナプキンを手に取り、りんに手渡した。
「す、すまない。すっかり夢中になっていて、全然気付いていなかった」
りんは少し頬を赤らめながらナプキンを受け取った。
口の周りについた生クリームを拭い、グラスに注がれた水を流しこんで口の中をリセットする。
そして、りんの表情が今までの緩み切っていたものとは打って変わって、真剣なものになる。
「頼むひめか。来年も誕生日公演をやらせてくれ!」
当初は、誕生日公演に対してそこまで乗り気じゃなかった。だが、来年もこの楽園に浸ることができるならば悪くはない。寧ろ大歓迎だ。
そう思ったりんは、自分から来年以降も誕生日公演を行なってくれるよう、ひめかに頼みこんだ。
「貴女から望むのであれば、私は大歓迎ですわ!」
九州花組の新たな魅力としてだけでなく、団員に合わせた報酬を用意することで、モチベーションの向上に繋がることを、りんの言葉や表情からひめかは確信する。
ひめかはりんの頼みを快諾した。
大いに盛り上がった宴会が終わり、時刻は夜の10時を回っていた。
天神家以外の者がそれぞれ帰路に着き、使用人たちが会場の後片付けを行なう中、ひめかには最後のひと仕事が残っていた。
「もし!」
ひめかは近くに居た女性の使用人に声を掛ける。
「アレはバッチリ撮れましたか?」
「ええ、もちろんでございます。ひめか様」
その使用人の手にはカメラが握られていた。
彼女は宴会中の様子を写真に収める役目をひめかから任されていたのだ。
ひめかは使用人からカメラを受け取り、撮影された写真の内容を確認する。
その中には花組のメンバーを中心に写真が収められており、特にスイーツに興奮しているりんの表情を写しているものが多めの構成となっていた。
中身を十二分に確認したひめかは、満足気な表情を浮かべながら使用人にカメラを返した。
「文句なしですわ!明日中にコレらをファンクラブ会員限定の広報ページに載せなさい。特に、りんの写真は多めでお願いしますわ」
「かしこまりました、ひめか様」
使用人は慣れた所作でひめかに一礼し、早速作業に取りかかるべく、その場を後にする。
「これでまた九州花組の株が上がるというものですわ。ホーホッホッホ!」
後日、程なくしてりんの評価はまた一段と上がることとなる。
そしてこの時を境に、ファンのりんに対する印象が純粋なクール女優から大きく変わることになったのだが、本人がその理由に気付くのは、もう少し先の話である。