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シャルの随筆 Chapter 3

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随筆・エッセイのテキスト記事をまとめました。 心の話、イマジナリーフレンドの話、その他にもいろいろと。 水・土曜日の19時に更新予定。
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記事一覧

まちがえたわけじゃないよ。 いちにちにふたつ記事を公開したのも。 サムネイルに文字がないのも。 ぜんぶ、あえて。 いま書けて、こんなサムネにして、いま公開したいって。 ただシンプルに、その思いを満たしてあげただけ。

満足していないという思いすら抑圧していた

 ……足りない。  僕は、満足していない。  たとえば、SNS。  たしかに、昔よりフォロワーさんも増えた。  反応も増えた。  でも、足りない足りないまだ足りない。  少なくとも、目標の収益化まではまだまだ遠く、足りない。  他にも、いろんなことで、僕は、満足していない。  でも僕は、その気持ちを抑え込もうとしがち。  なぜか。  「「満足しない」ことには果てがない」という思想に染まってるから。  「現状に満足しましょう」  「今に感謝しましょう」  そういう思

体調不良でくらくらしながら書いた僕の真ん中あたりにある身勝手な思い

 SNSは舞台が広すぎる。  教室内ですら、学校内ですら、同世代内ですら、自分を否定する要素ばかり目につくのに。  SNSは、地域内でも、国内ですらもない。  全世界のユーザーと同じ舞台に立つことになる。  もちろん、それが魅力でもある。  それでも、どうしても、自分と、メガビックインフルエンサーばかり比べてしまう。  だって、目に入るんだもの。  当たり前だよね。  そういうシステムになってるんだもの。  でもそれじゃあ、どうあがいても自分を肯定できない。  フォロ

理想だって十人十色、いろんな味がある。

 「こーゆーのがつくりたい!」って話ばかりしてる気がする。  今日書こうと思っていた記事だって、最初の案はこんなだった。  「写真映えする珍しいものは、みんな撮るから珍しくない。そういう流行りの写真じゃなくて、僕の感性が表現された、魅力的な写真を撮りたい」  こんなことを書くならそんな写真を添付するべきなのでは…?  でも、そんな写真はまだなくて。  それでも、こんな風に理想を語るのがやめられない。  その理想を体現した中身を提供することが滅多にないままに。  そん

僕だって堂々としてもいいよね

 僕は、強い言葉・きつい言葉に弱い。  もう、めっぽう弱い。  そういうのをちらっと見ただけで、なんか、怒られたような気がして、しょんぼりする。  自分が悪いんだという感覚が湧き上がってくる。  全然そんなこと思っていなくても。  全く僕に関係ない話でも。  そして、そういう言葉は、ほんと、どこにでもある。  僕の視界でそれらをよく見かけるのは、「広告(特にネット広告)」と「YouTubeやネット記事のコメント欄」。  すぐその圧力に負けてしまうから、そういうのは極力

写真趣味はじめました

 ここ数日、noteのつぶやきを写真付きで更新してます。  でもまあ、まだ始めて四日。  三日坊主は越えたとしても、続けてると言えるかどうかは微妙。 〈どうして写真を?〉  引用したつぶやきでも言ってるけど、僕はカメラが欲しくて。  でも、それって、写真が好きだからじゃなくて、ただ「カメラを持ってる自分」に憧れてるだけなのかもって思ってさ。 〈それじゃあダメなの?〉  別にダメじゃないと思う。  所有欲も立派な欲。満たして幸せなら全然アリ。  僕だって、ちょっと良い腕時

心のラインは越え方しだい

 人とのコミュニケーションでこんな悩みがある。  「どこまで踏み込んでいいのかわからない」  たしかにそう。  わからないから、探り探り、ちょっとずつ、近づいていく。  それでいいと思う。  ただ、ひとつ思ったのが。  重要なのは、「どこまで踏み込むか」ではなくて「どんな風に踏み込むか」な気がする。  実は、僕は、心の奥で「もっと踏み込まれたい」と思っていて。  あ、もちろん、誰にでも、じゃないけども。  ただ、親しい相手には、周囲を拒絶しているときでも、いや、むしろ

僕は僕を諦めなくなった

 ふと気づいた。  綺麗な写真やイラストが好き。  でも、それは、何回も見返したくなるものだろうかって。  あんまり、そうでもない。  飽きる、が近い感覚かもしれない。  たとえば、AIが生成したイラスト。  綺麗だと思う。  でも、それまで。  印象に残るものは少ない。  なぜか。  たぶん、「美しい」と「魅力的」は、似てるようで、違うものだから。  たしかに、美しさは魅力のひとつかもしれない。  けど、魅力的であるために、美しさが必要不可欠とは限らない。  そう

僕の言葉は、味不足。

 このnoteで、そこそこ文章を書いてきた。  だけど、まだ、自分が満足できる文章を書けているとは思えない。  言葉にするならば、「足りない」って感じてる。  でも、どうすれば満足できるのか。  それがわからない。  暗中模索。  こういう悩みを書くと、「いや、素敵な文章だよ!」って言ってくれる人がいる。  とても、とっても、うれしい。  でも、主観的には、どうしても、まだまだ足りないって、思ってしまう。  自分自身で、「良い文章が書けた!」って思えるようになりた

役立ち感は主観依存

 献血に行ってきたよ。 〈好きよね、献血〉  行為自体はあまり好きじゃない。  痛いのが大の苦手だから。  でも、献血に行くと、こんな僕でも、人の役に立ててるんだって気持ちになれる。  その自尊心が、刺される痛みより勝ってるから、献血に行くんだ。 〈また「こんな僕でも」とか言ってる〉  だってぇ…本当にそう思っちゃうんだもの。  これぐらいでしか、人の役に立てないって。 〈自虐、だいぶ少なくなったけど、やっぱりたびたび出てくるよね〉  うん。自分でも思う。  いや、自

具体的に聞かれなきゃ答えられないよね

 ねえロミィ。 〈noteの話題に困ったとき、よくそうやって私に話しかけてくるけどさ、そう聞かれたら〈なに?〉って答えるしかないわよね〉  それはそう。 〈で、私がそう答えたら、シャルはいつも言葉に詰まってしまう〉  それもそう。 〈だから、何かを話したいなら、私もちゃんと答えられるような、そういう声かけをしてくれると嬉しいな。……シャルもそうでしょ?〉  たしかに。 〈「大切なのは、正しい答えではなく、適切な問いだ」みたいな言葉なかったっけ?〉  あった気がする。 〈それ

「書く」を楽しむ為に ~ここにそれっぽいサブタイトルがあればいいんだけど今の僕じゃあ思いつかなくて。「今の僕」って?それは本文に書いてある~

 吐き気がするほど素直な話なんだけど。  僕の最終目標は収益化なんだ。  別にnoteで、とは限らない。  何か、クリエイティブな活動で、収益を得ることが、目標。  究極目標、と言ってしまってもいい。  そんな目標を持ってしまっているから、現状に満足できない。  フォロワー数が増えないと思い悩んで。  閲覧数が伸びないと思い悩んで。  何が足りないんだろうと、答えの見えない問いに呑まれて。  そして、いま見てくださっているフォロワーさんが見えなくなって。  書きたいと

ぜんぶ体調のせい

 ぜんぶ体調のせい。  頭が重いのも、熱っぽくてだるいのも、ぜんぶ体調のせい。  寝起きが悪いのも、いつまでも眠いのも、ぜんぶ体調のせい。  外を向くのが怖いのも、内を表現する気力がないのも、ぜんぶ体調のせい。  選択を間違えたと思いこんでしまうのも、たらればを考えすぎるのも、そんな自分が嫌になるのも、ぜんぶ体調のせい。  ぜんぶ体調のせい。  ぜんぶ寒暖差のせい。  「だから僕は悪くない」?  そこまで踏み込むと吐き気がする。  「自分が悪い」という思いが、

理想の理想設定

 「あの人みたいになりたいな」と。  他人の姿を理想として憧れに思うことがある。  その人自身になることはできないのにね。  良くも悪くも、僕は僕。  それに、「あの人みたいに」って、理想をイメージで持っちゃうと、それに執着してしまいそう。  そして、もし叶わなかったとき、きっと自分を肯定できなくなる。  色んな思考をイメージに頼りがちな僕にとって、これは大問題。  ならば、個別具体的じゃない、もっと抽象的な理想を考えてみる。  イメージに頼らない、汎用的な、理想。