グランドクエスチョン と リサーチクエスチョン
はい、はじめましてのご挨拶を書かせてもらってからずいぶん経ってしまいましたが、のんびり更新していきたいと思っています、ちょいです。
さてさて、わたしが勝手にこっそりメンターにさせてもらってる“ワーママはる”さんという方がいらっしゃいます。Voicyで「ワーママはるラジオ」というパーソナリティをされているのですが、
抽象と具現
という単語を先日ワーママはるラジオで拝聴し、
ふと大学時代に聞いた単語を思い出したので、
今回はそれについて書いてみることにしました。
わたしの大好きなワーママはるさんのVoicyはこちら↓
抽象と具現を行き来できる思考を持っている人は「賢い」そうです。
確かに。ビジネスとする上ではそういうスキルがあるととても優位に立てそうです。
自分はできてるかなあとずいぶん考えさせられました。
そこからはすこしズレるのですが、
目的と目標というものもある種の抽象と具現のような気がしました。
そこで、思い出した単語があります。それについて今日は書いてみたいと思います。
グランドクエスチョン と リサーチクエスチョン
これはわたしが論文の査読をするときに大学の教授から教えてもらった言葉です。
大学の時、わたしが大好きだった教授で、今でもたまにごはんに行く仲です。
実際にはどこまで使われているのか、調べてないのでわからないのですが、
その教授によると、この2つのクエスチョンと最後のまとめ(結論)を読んでみて、
話が通ってない論文以外は読むな!とのことでした。w
グランドクエスチョン(grand question)
論文を書いている人が考える、世の中にどう貢献していきたいのか、何のためにその論文を書いているのかという広義な意味での目的。
リサーチクエスチョン(research question)
グランドクエスチョンを達成するための手段的なもの。目標。
自分でもうまく言い表せているか不安ですが、アウトプットの練習ということで大目にみてください(汗)
あ、目的と目標、みなさんわかりますか?
うぅ。。。という方はぜひググってください!
で、わかりにくいので具体例を上げてみますね。
例えば、もう少し具体的に書くと、、、
ものすごく美味しいけど大量生産がまだ不可能なリンゴがあるとします。
そこで考えられるグランドクエスチョンは、
「生産者がおいしいリンゴを誰にでも提供できるようにするにはどうしたらいいか?」
じゃあそのグランドクエスチョンを達成するためにどんなことをすればいいのか考えます。
「大量生産するにはどうすればいいか?」とか人は考えますよね。
これ、リサーチクエスチョンです。
そしていろいろ調査や研究をした結果、
「大量生産するにはある虫からの被害を食い止めればいけそうだ」
ということになったとします。
つまり結論がこれです。
この場合、
グランドクエスチョン=生産者がおいしいリンゴを誰にでも提供できるようにするにはどうしたらいいか?
そのために、
リサーチクエスチョン=大量生産するにはどうすればいいか?
を考えた結果
結論=ある虫からの被害を食い止めればよい。
順番に読んでみて、話の辻褄、合ってますよね?
これで論文の8割は完成です。(って教授が言ってましたw)
つまり、
目的=グランドクエスチョンは「抽象的」
目標=リサーチクエスチョンは「具体的」
なほうがわかりやすい。そして実行しやすい。
そう思いませんか?
なんかどっかでどなたかが既に言ってそうなことなのでちょっと恐縮ですが。。。
賢い方はここで気づくはずです。え?他にもグランドクエスチョンあるやん。リサーチクエスチョンなんて死ぬほどあるやん。
そう。そうなんです。
その人がしたいこと、やったことに対して、どこにクエスチョンを立てるかは自由です。無限大。
グランドクエスチョンに「人類が好きな食材を好きなときに入手できるようにするにはどうしたらいいか?」という壮大な問いを立ててもいいんです。
そもそも誰にでも提供する必要がないとその人が判断すれば、「大量生産できないものをいかにうまく販売するか?」というグランドクエスチョンでもいい。
そして、論文だけに関して言えば、リサーチクエスチョンからグランドクエスチョンを見つけたっていい。(とわたしは思うのです。)
今研究してることが世の中のどういうことに貢献するのか。そう考えればいいのです。
大学というのは研究するところですから、このクエスチョンとそれに対する解が立っていないということは、
つまり何のために研究してるかわからず研究しているのと同じ。これではダメですね。なんか人生と、ワーママライフと似てませんか?
でも発表されている論文を見ていくと、案外こういったクエスチョンがないものが本当に多い。これも人生やワーママライフと似てる(気がする)。
特に論文では抽象的なものを扱うものに多い気がしてます。
知り合いに窓の配置の研究をしている子がいました。
扱うのがまたむつかしい、「窓の配置によって人がどう感じるか」というものでした。
おもしろい研究ですよね。
でもその子の研究方法と目的がフワフワしていて、
結局なにがいいたいのかわからない研究になってしまっていてもったいないなと思ったことがあります。
研究方法は雑誌等から素敵だ、すごいと言われている有名建築家の住宅を選定して、その窓の配置の仕方を分類。以上。みたいな。
たまに見かけますよね、建築学科の学生さんだとこんなかんじの論文。
着眼点はとてもいいのですが、分析方法に主観がガッツリ入ってるのと、結局そこからなにがわかったのかがわからない。
この場合、「窓の配置によって人がどう感じるか」というのはリサーチクエスチョン。
じゃあグランドクエスチョンは?結論は?みなさんどう思いますか?
わたしなら、というのは次回にでも書こうかな。
みなさん考えてみてください!
先ほどお話ししたみたいに答えは無限大。
話の辻褄があっていれば、とりあえず査読レベルとしての論文はクリアです!w
なんやかんや、論文にまで話が飛んでしまいましたが、論文なんてものからは疎遠になって早15年。
ワーママになってもうすぐ5年。
ほんとに目の前のやらなきゃいけないことをこなすので精一杯だった5年。
でもたかが5年。
まだあと何十年と生きていく上で、ちゃんと自分を見つめたいなと思っていた今日この頃でした。
結局notoもはじめましてのご挨拶を書いてから日が経ってしまい、
ほんとにのんびり進めていますが、結局なにが言いたいかって、
論文の書き方も、人生の書き方もおんなじなんじゃないかってことなんです。
「これから自分がどうなりたいのか」というグランドクエスチョンに対して答えは無限大。好きに決めていいんですよね。
死ぬときに「いい人生だった」という結論を出せるよう、
抽象と具現を行き来しつつ、さまざまなリサーチクエスチョンを考えて行かなきゃいけないなと思った次第でした。
文章にすると長えっ!
とりあえず思ったことをツラツラ描いただけなので読みづらかったらすいません。。。そしてまだまだnoteの使い方に慣れない。合わせてすいません。。。
またいろいろ試行錯誤してみます。アドバイスなどあればぜひ!
みなさまの箸休めになれば幸いです。
それではまた次回。
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