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日本政治のリーダーシップ、石橋湛山に学べ

〇2020年初めからのコロナ禍で、我々日本国民は改めて政治のリーダーシップの重要性を思い知ったのではないでしょうか。新型コロナウイルスの強い感染力は、我々の生命を脅かし、経済活動を破壊します。個々人では到底太刀打ちできず、国単位で対応が求められているのに、権力を握って日本国の社会を動かす政府・自治体のやることは実に心もとない。誰が考えてもコロナ対策の鍵となるワクチンの接種率が、先進国では最低レベル、アジアの諸国でも劣っている方だとは!日本は先進国とは誰が言ったのか。

〇これはいかん、政治の在り方について何かヒントがあるのでは、と戦後の政治家、それも首相に絞り、その足跡を描いた関係書をいくつか読んでみました。その中で、鳩山首相の後、岸首相の前に約2か月首相を務めた石橋湛山に出会い、あまりに高い識見、見事な出処進退に驚嘆しました。昭和31年12月の自民党総裁選で、2,3位連合を組み、見事、本命とされていた岸信介氏を逆転で破り、首相になったことは知っていましたが、その哲学、理念まで知ったのは今回が初めてです。その感心したところをかいつまんで紹介してみましょう。

〇読んだのは、今年亡くなった「歴史探偵」・半藤一利氏による「闘う石橋湛山」(東洋経済新報社から1995年刊行、数度の改訂を経て2019年ちくま文庫)と、昭和史の研究家・保阪正康氏の「石橋湛山の65日」(2021年4月刊行、東洋経済新報社)です。半藤本は明治末年から終戦までの言論人として生きた湛山を対象にするものです。と言ってもその間の湛山の詳しい事績を紹介したものではなく、昭和5年のロンドン軍縮会議調印から6年の満州事変、7年の満州帝国成立、8年の国際連盟脱退と続く間に日本の言論が大きく揺れ動いた(ファシズム賛美へと向かった)のに対し、リベラリスト湛山がその主張を変えなかったことを紹介しています。

〇と、説明しながら、湛山が書いた勇気ある言論を早く紹介したくて、うずうずしています。半藤さんは手練れの編集者出身らしく、その言論を前書きの冒頭部分で、いきなり紹介し、この本の性格をアピールしています。昭和15年の東洋経済新報に掲載されたものです。半藤さんの「闘うー」の一部をそのまま紹介し、孫引きで湛山の論考を読んでもらいましょう。
 「(昭和)15年、軍部の戦争政策を批判し(衆議院議員を)除名された斎藤隆夫の、反軍演説事件では、『今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に関与することではない。逆に政治が、軍人の政治関与を許すがごときものであることだ。黴菌が病気ではない。その繁殖を許す体が病気なのだ』と、石橋は説いた。猛威をふるう軍部を黴菌呼ばわりし、斎藤に絶大な援軍を差し向けた。」
〇昭和15年の時点で、これだけの事を書く湛山の勇気に驚きます。この伝で昨今のオリンピック・パラリンピック開催問題をを論ずれば、「今日の我が政治の悩みは、オリンピック自体が悪いのではない。コロナ禍の終息の見通しが立たない中でオリンピックを開催するという政府―権力側の政治の判断が悪い」のであります。しかし、同じ権力側の政治判断の誤りを指摘するにしても、昭和15年の湛山の方が何倍も難しい状況にあったことは間違いありません。それなのに昨今では、マスメディアによるそうした権力の政治判断の誤りの指摘が乏しいのはどうしたことでしょうか。

〇保阪氏の「石橋湛山の65日」は戦後、政治家に転じた湛山の足跡を丹念に追ったものです。第1次吉田内閣の大蔵大臣となり、 蓄積したケインズ経済学による拡大均衡論を実施して、日本復興の道筋をつけますが、その経済政策でGHQと対立、追放されます。4年後ようやく追放解除、政界に復帰するや、わずか5年で首相の座に駆け上ります。しかし過労から病に倒れ、2か月の在職で首相を辞任、その潔さは、今も国民の記憶に残っているー。

〇起伏に富んだ政治生活で、どこを切り取っても興味深いものです。しかし私は、湛山が終戦時、疎開していた秋田県の横手町(現横手市)で、ただちにとった行動と言動が実に素晴らしいと思います。横手町には、湛山が社長をしていた東洋経済新報社の支局がおかれていました。  
湛山は、8月15日の正午、天皇の終戦の玉音放送を聞くや、午後3時から横手経済倶楽部会員有志を支局に集め、「大西洋憲章・ポッタム宣言に現れた連合国対日方針と日本経済の見通し」と題して講演した。翌16日も午後2時から町役場で各地の常会幹部を前にして、前日と同様の講演を行う。

〇また、東洋経済新報8月25日号に書かれた「更生日本の門出 前途は実に洋々たり」の論考。ここで湛山が言っているのは、「科学精神に目覚めよ」であり、「歴史の流れに無知である勿れ」。この二つに立脚するなら、戦後日本の前途は洋々たるものであり、今までの日本にはこれらが欠けていた、というものです。

〇終戦という未曽有の事態に際し、ただちに行動し、どう考え、どうするか国民にアドバイスする。これぞ政治家の役割です。この時、湛山は政治家ではなく、本人も政治家たらんとは考えていなかったでしょう。しかしこうして湛山の言動に見るに、天性、政治家だったと思われます。

〇第2次世界大戦に匹敵するようなコロナ禍に際し、湛山がよみがえれ、湛山的政治家が欲しい、と思います。しかし、無いものねだりをしてもしょうがない。今、湛山ならどうするか、謙虚に湛山に学ぶことこそ、我々にできることではないでしょうか。##

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