せっかち君
あの頃、我が家の時計は全てくるっていた。
リビングの時計が10分、私の部屋の時計が8分。弟の部屋が7分で、父の書斎が15分。それから洗面所が11分で両親の寝室が20分、それぞれ正確な時刻よりも遅れていた。
家族がその事態に対して、初めて全員で話し合いをもったのは、私が中学1年の時であった。
「なんで家中なのよ?」
「つまりアレだな」
「アレって?」
「ついにおれ、魔法で時間を操作できるようになったのかも」
「……ふざけてるの?」
「ふざけちゃいませんよ。毎日の『瞑想』と『呼吸法』の賜物だね」
困惑する母に、父はいつものようにオカルト全開で返していた。
私と弟は、おいオヤジそろそろ大人になれ!とツッコみ
「電池、買ってくるわ」
と母は取り合わず、そのまま買い物に出かけて行った。
最初はそんな呑気な感じだった。
しかし、事態は思ったよりずっと深刻であった。
どうしたことか、どの時計も、その後どんなに正確に時間に合わせても、すぐに元通りくるってしまったからだ。
電池を交換してみたが効果はなかった。じゃあ「何かの拍子で一気に壊れたか?」と、あまり現実的でない推論をし、2、3の時計を修理に出してみたのだが、異常は発見されなかった。仕方がないので最後は諦めて時計を新調してみたが、それでもダメだった。
どんなに正確に時間を合わせても、時計はしばらく経つと元どおりにくるってしまう。それも置かれた部屋によって、先にあげた時間通り、正確にくるうのだ。あまりにもピッタリと元どおりにくるうものだから、私はそこに時計の意思すら感じた。「おれは正確な時間を刻んでいる。正しいのはおれだ」まるで時計はそう主張しているかのように思えたのだ。
私の父はオカルトマニアで、いつも「テレパシー」だとか「テレポーテーション」だとか、そんな話しばかりしている人であった。
「おれの力で、この家の時空が歪んでいるんだよ」
この怪奇現象について父はそう結論づけたが、私を含め家族は、父が何を言っているのだか分からなかった。
時計がくるっていることで生じる問題は言わずもがな、もともと遅刻癖があった私は、おかげでより一層遅刻が増えてしまった。
「もう魔法とかいいから、時計がくるわないようにしてくれよ!」
いつだったか、重大な試験に遅刻した日、私は本気で父に八つ当たりした。
「すまないな」
怒られると思いきや、父は静かにそう言って、本当に申し訳なさそうな顔をした。その時に感じたばつの悪さは、今でも私の中に残っている。
*
何度合わせてもくるってしまう時計の謎を解くべく、「千太郎」さんという霊能者がうちにやって来たのは、私が遅刻キングとして活躍していた大学3年生の時であった。
きっかけはサークルの新歓コンパ。我が家の超常現象の話をしたところ、新入生の高木さんという女の子が私の話に興味をもった。
「同じ話を聞いたことがあります」
「本当に?」
「ええ。それ、『ムンダラ』の仕業かもしれませんよ」
「ムンダラ?」
「時間にいたずらする妖精ですよ」
「妖精ねぇ……」
父と話が合いそうだな。私は思った。
「先輩の家って古民家じゃありませんか?」
「……そうだけど」
古民家と言い当てたことで、私は彼女の話に興味を持った。
「古民家は特に多いんですよ。ムンダラが」
「……ふむ」
「私の兄、霊能者なんですけど。時々そういった場所があるらしいんですよ。兄ならそれ、解決できるかもしれません」
*
翌週の日曜日、早速、高木さんと兄で霊能者の千太郎さんは我が家にやってきた。
「ムンダラはいませんね」
家族が見守る中、各部屋をゆっくりと回ったのち、千太郎さんはそう言った。
「そうですかぁ」
私は少しガッカリして父と顔を見合わせた。ムンダラという妖精が本当に我が家にいたのなら、父の信じるおかしな世界を、私も少し信じられるかもしれない、私にはそんな期待もあったのだ。
「ただ、この家には、強い想念を感じます。『時の流れをゆっくりにしたい』そんな想いが絶えず流れている。さらに言うと、この家が立っているこの土地は、想念が伝わりやすい場所のようです」
「はあ」
千太郎さんの言っている意味がよくわからず、私は生返事をしたが、母は、「そうだ。ちょっと郵便局に行かなきゃだった」と、なんともわざとらしい演技をして席を外した。母の謎の行動が釈然としなかったが、父はそれを気にも止めないで、ここぞとばかりに想念について千太郎さんに質問していた。
「時計について解決方法がないわけではないが、今はこの状態で安定している。多少の不便はあるにせよ、そのままにしておくのが良いでしょう」
千太郎さんにそう言われ、結局私たち家族は現状のまま、くるった時計たちと一緒に暮らしていくことになった。
「一体誰が時の流れをゆっくりにしたいなんて願ってるのかね」
千太郎が訪れた日、夕飯を食べながら私はその話題に触れた。
「定期テスト前とか、日曜日の夜とかは毎回思ってるけどね」
と弟が正論を言った。
「おれはわかった! 多分犯人はおれだ。おれは常日ごろ、母さんにいつまでも若くいて欲しいと願っている。そして、実を言うと、自分もずっと若くいたいと思ってる。『白髪よ増えるな! 腹よ出るな! いつでも心身17歳!』そうおれは毎朝鏡の前で念じてるんだ」
おいオヤジ、大人になれ!と私も弟もツッコミを入れたが、年の割にやたら若く見える童顔の父母を見ると、あながちデタラメとも思えなかった。私はチラッと母をみてみたが、母はいつもと変わず、父や弟の話に微笑んでいた。昼間の母の行動の意味がわかったのは、それから一年後のことだった。
*
春の嵐が桜の花びらを螺旋状に巻き上げたその日、父は突然天国に旅立った。私が大学を卒業し、社会人になるのをきっかけに、数日後家を出ようとしていた矢先だった。
眠るように死んでいる父の顔は、どうにも笑顔に見えて、いつものおちゃらけた演技にしか見えなかった。医者による宣告も入院も闘病も見舞いもない。ただ突然、死だけが突きつけられた。あまりのショックに私は自分の心の時間が止まってしまったように思えた。
お葬式がすんでようやく少し落ち着いたところ、母が子供たちに、夫婦の秘密を打ち明けた。
「父さんずっと病気だったの。当時もって3年って言われてね。でもそれから10年以上も生きてくれた」
私も弟も母の話を聞きながら涙が止まらなかった。
「子供たちにはそれを伝えない」父はそう決断し、母はそれに付き合い続けた。子供たちがそれまでと変わらず自分と接してくれる、それが父の目指した穏やかな日常だったのだと言う。それでも、子供たちのため、母のためも生きている時間を少しでも伸ばしたい、夫婦は願った。その想念が、この家の時間の流れを多少なりともゆっくりにした。まさか、くるた時計の謎解きを母の口から聞くとはおもはなかった。
*
入社式前日、私は家を出た。
「どんなに遅くても社会人になったら家を出ろ」父は常々そう言っていた。
こんな状況で母と弟を残して家を出るのは忍びなかった。ただ、それが父の遺言だと思うと、それを守ることが父への供養に思えた。
「ちゃんと起きれる?」
見送る母がからかうように言う。
苦笑いを浮かべる私に
「本当は父さんが渡したいと言っていたんだけどね」
そういって母は小さな紙袋を渡した。
「何?」
「開けてみて」
父からの遅刻キングの私への最後のプレゼントは腕時計だった。
「絶対くるわない時計だって」
「まったく」
涙が流れそうになって私はこらえた。
試験に遅刻した日、自分のだらしなさを棚に上げ、父に八つ当たりした日のことを思い出した。
「止まってる場合じゃない。時を刻め。あと、時間をちゃんと守れ」なんだか父にそう言われているみたいだった。
*
家具がほとんどない一人暮らしの部屋は鎮まり返っていた。カップラーメンで夕食を済ませ、ちょっと早いと思ったが携帯の目覚ましを3分おきにかけて夜の11時には眠りついた。いよいよ明日は入社式。父の時計とともに新しい生活が始まるのだと身の引き締まる気分だった。
目を覚ます。
快適な目覚め。アラーム音は一切聞こえない。早く寝たため、アラームに頼らず目覚めたのだろう。枕元にあった父からの腕時計をうつらうつら見やる。8時34分か………8時34分だって!!!
眠気は一気に吹き飛ぶ。
あってはならない時間が表示されている。入社式は9時からなのだ。こアパートがどんなに会社の近くだからと言っても、ここから会社まで歩いて25分はかかるだろう。
胸が締め付けられ、イヤな汗が吹き出る。なぜだ?? なぜ私は目覚ましが鳴り始めてから一時間も悠々と寝てしまったのだ!!「入社式の日から遅刻」そんなありえない社会人が、今ここに誕生しようとしている。
3倍速で動き、4分で支度を終わらせ部屋を飛び出す。
革靴でひたすら走る、地獄のマラソンのスタート。
バッグの中で携帯が震える。会社からの電話だろうか? ただ、今出ている余裕はない。出ていたら、間に合うものも、間に合わなくなる。遅刻か、ギリギリ間にあったか。それは雲泥の差である。私は自分の心臓に鞭をうち鬼の形相で走り続けた。
激しく息切れしながら汗だくでビルのエントランスを駆け抜ける。入社式開始まであと3分。当然、私のような愚かな新入社員は一人も見かけない。会場はビルの13階。エレベーターのボタンを連打し、ようやく来たエレベーターに乗りこみ、再び腕時計を見る。開始まで残り1分。ギリギリアウトか。間に合ってくれ! 神よ! 神よ!! 神よ!!!
エレベーターを降り、会場となるホールへ走り込む。
頼む、なんとかなってくれ。頼む!
──────異変に気が付く───これは……会場を片付けている?
スーツを着たおそらく社員の方々が椅子や机を運んでいる。
もしかして私は開始時間まで勘違いしていたのだろうか??
ホール入り口で茫然とたたずむ私に、一人の社員が近寄ってくる。
「新入社員の方?」
「……はい」
私は力なく返事する
「ごめんなさいね。まだ会場の準備ができてなくて」
「……?」
*
空はどこまでも高い。
オフィスビルの屋上にやってきた私は大きく伸びをする。
天国はどっちの方だろうか? そんなことを考えながら私は左腕につけた腕時計を見つめる。
あとから母に聞いた話、父は遅刻キングの私にプレゼントする時計を一時間も進めていたのだ。くるわない時計と言われ、最初にたいして確認しなかった私も私だが、おかげで私は、会社で「せっかち君」なるあだ名をつけられた。
それが父の最後の魔法なのかはわからない。ただ、あだ名が功を奏したのか、遅刻キングだった私は、見事にそこから脱却できている。しかし
それにしても父よ
と私は思うのだ。時計は進めるにしても、せめて10分くらいだろうと。
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