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一昨日「春分の日」の土曜日、こちらに来てから初めて土曜日まで京都に来てしまった。
仕事ではなく純粋に遊びのためだ。
長く会っていなかった高校の1年先輩と同級生の3人で京都への散策だ。
昼から天気が崩れる予報も出ていたし、せっかくなので待ち合わせ時間より早めに京都に着き、京都御所/京都御苑まで足を伸ばした。
因みに6日連続で京都に来たのは人生で初めてだ。
京都御所/京都御苑ではもう満開との情報が入っていたので、行ってみたかったのだ。
京都御苑自体はもう何年ぶりだろうか、6、7年は来ていないのでは。
京都御苑内の「出水の桜」には人だかりができていた。

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別名「糸桜」と呼ばれる「枝垂れ桜」だ。

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そして北へ向かうと

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さらに京都御所の東を通り過ぎてさらに北へ

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そして「ヤマガラ」?なのか、バードウォッチングさながら、枝垂れ桜にも目を奪われつつ、その鳥をカメラで追いかけてしまう。
本当に見事だ。
紆余曲折、長い変遷があり、今のこの土地にこの京都御所があるが、平安京創建当初はもっと西にあり、もっと広大であったと言われている。
しかし次第に天皇家に力がなくなり、時の権力者の権勢や思惑によって、利用されたりされなかったりで、概して質素な生活を強いられていたようだ。
それでもこの御所を目の当たりにすればやはりそれなりの大きさであり荘厳さを感じる。
京都人の感覚としてはわからないが、京都が京の都たる所以はやはり天皇陛下の御在所であること、そうであったことが、その最大の拠り所であるはずである。
そうでなければあの誇り高き京都の人の感覚は説明がつかない、私的にはだが。
そしてそれが正しければやはりこの京都御所という場所は特別なのかなと思うが、それがあまりそんな話しは聞いたことがない。
不思議である。
政治権力の中心地は鎌倉に行ったり江戸に行ったりと忙しかったが、法的?には日本の首都は平安京創建から明治維新までずっとここ、京都なのである。
そして厳密に言えば現在、東京が首都であるという法的な根拠はないらしい。
なので笑い話のような冗談のような話しだが京都人からすれば「天皇さんは一時的に東京にいらっしゃるだけ」との感覚らしい。
まさか、今の人にはそんな感覚はないだろうが、少なくとも大正天皇、昭和天皇の「即位の礼」は京都でなされていたのであながち嘘ではないだろう。

そして平安時代最後の平家政権から鎌倉へ移った武家政権の中枢がこの京都に戻ってきたのが南北朝時代から室町時代である。
室町時代、室町幕府の「室町」とは?
それは三代将軍足利義満が室町に「花の御所」を築き、そこで政務を執ったからである。その跡地だ。

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自分のペンネームにもしているので、ここにはどうしても来てみたかった。
しかし来てみると、京都御苑の北西、烏丸通りを挟んで同志社大学の西の一角、ここなら近くには何度も来ていたところであった。
その後、同志社大学と京都御苑の狭間、今出川通りを只管に東へ歩く。そして

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そのまま「出町柳駅」まで歩き、2人と落ち合い、さらに京都大学を抜けて、吉田神社へ。

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そして竹中稲荷神社を通って

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散策の目的地の一つ「茂庵」へ。
まるで山荘のようだ。

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東京や鎌倉には本当に個性的で良いお店がごまんとあるが、京都もなかなか。こんな山の中に人気のカフェがあるのだ。
雰囲気としては最高だ。
そして東の方へ下山し、そのまま「哲学の道」「法然院」を通って南禅寺まで歩く。
その後は地下鉄京阪と乗り継ぎ、最大のお目当て場所七条へ。
この日、ここでとあるイベントがあったので、そもそもこの日に京都に行こうと企画したのだ。そのイベントは申し込んだが外れて行けなかったが、イベント後の記念プロダクツの販売があるのでそれを見に来た。
その時間にも少し早かったので時間潰しのコーヒータイム。

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その後、お目当てのものを無事購入し、最後の目的地は「新風館」。
「新風館」で2軒をサク飲みサク食べの梯子。

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歩いて歩いて、遊び倒した休日だった。
しかし、さすがに疲れて帰りの「新快速」ではグッタリと爆睡。
でもこうした私のしたいことに付き合ってくれる友がいることには本当に感謝したい。
まだまだこちらでは行きたいところがいっぱいあるし、これからも友人達にお付き合い願うだろう。
そういった「瞬間」を大事にして生きていきたい。

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