「廊下の歩き方」 3年 舟崎歩武
「廊下の歩き方」
経済学部3年 舟崎歩武
足元にあるAirPodsを耳にかけ、歯ブラシ片手に洗面台へ向かう。
時刻は午前5時。私の1日が始まる。眠たい目をこじ開けて、後輩の挨拶をかるく流す。TOPチームの人はまだ寝ている。私はその現実から目を背けるように、情けない自分を隠すように、大音量で音楽を聴きながら廊下を歩く。
2月、私はようやく練習試合のTOPチームの1本目で出れるところまで上り詰めた。しかし、後にも先にも1本目で出たのはこの試合だけだった。翌週、私のマグネットはBチームのところへ移っていた。
大学生活も迎えた3年目。今年こそはと意気込んで入ったシーズンは、こんなにもあっけなく下へ落とされてしまうものなのかと自分に落胆し、他人を羨み、ほんの少しサッカーを嫌った。
サッカー人生の中で、怒られることも多かったし、全く試合に出れないこともあった。その度にまた這い上がればいいと自分を奮い立たせてきた。しかし大学にまで来て3年にもなってこれかと。メンタルはギリギリのところだった。
そこからの私は焦りなのかなんなのか、自分でも分かるように明らかにおかしかった。Bチームでもやってやるという気持ちとは裏腹に、プレーには繊細さが欠け、消極的で、何よりサッカーが楽しくなかった。
メンタルがボロボロになって、もうどうしようもなくなった時にときどき思う。
「サッカーがなかったら。」
もしそうだったら、あんなに悔しい気持ちになることもないし、何も出来ず誰とも喋らずに帰るあの帰り道もなく、悩みのほとんどは消えてくれるのだろうなとつくづく思う。
だけど、これまでの私の人生でこれだけは言えることがひとつだけある。
「サッカーがあったから。」
これだけは声を大にして言える。サッカーという存在があったからここまで来れた。いろんな場所に行けた。いろんな人に出会えた。多くの感動を、挫折を、努力を、葛藤を味わうことができた。サッカーとここまで歩んできた。だから、プロから見える景色を見るまでは絶対辞めたくないし、辞めない。
人生を短いハイライトにするならば、ユース昇格が決まった日や初めて坊主になった日、大事な試合で点を決めた日などの思い出深い事ばかりがそのハイライトには乗るだろう。
しかし、そのハイライトに乗らない日の中には、周りから見たら何の意味もない努力の日々や、苦悩の中でもがき続けている日々があった事を私は忘れないでいたい。
単位は取れるか不安だけど、コンビニの店員さんが可愛いだけで笑い合える仲間がいる。この歳になっても、喧嘩できる仲間がいる。彼女はいないけど、地元に帰れば必ず集まるあいつらがいる。一番近くで応援してくれる家族がいる。こんな素晴らしい環境が私は幸せだ。
だから私は最後まで諦めない。
明日からはAirPodsの音は少し下げよう。後輩の挨拶もちゃんと返そう。戦う自分を応援するように音楽を聞きながら、廊下を歩こう。
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