「兄へ」 4年 太田尚弥
「兄へ」
4年 法学部 太田尚弥
2023年6月18日、私は大学で初めて公式戦に出場した。この時から、お世話になった人に対しての感謝を部員ブログで伝えようと考え始めていた。
サッカーに関しての自分のことを話すことは二度とないと思うので、自由に長く書きます。後輩には何も響くものがないかもしれないので、長い文章を読むのが苦手な人は遠慮せず読み飛ばしてください。
「兄へ、私は自慢の弟ですか?」
兄の影響で始めたサッカー。小学生の頃から兄にサッカーを教わり、中学生からは4つ上である兄とひたすら1対1をし、大学生になっても、部活に入る前の1年間やオフ期間などに兄が顧問をしているサッカー部にお邪魔させてもらい、プレーする環境を作ってくれた。
しかし、兄にはずっと迷惑をかけ続けてきた。大学まで、そしてこれからもかかるお金、私に対する親の負担。不公平なことを言い始めたらキリがない。でも、直接文句を言われたことは一度たりともなかった。
そんな兄へのせめてもの償いは、試合に出て点を取ることだった、はずなのに。
一足早く終戦するはずだった最後のIリーグはベンチ外だった。
6月18日以来、試合に出ることがなかった私は、償いができなかった。
終わり方は高校の時よりも酷い。私はこの4年間何をしたのだろうか。1年待ち続けてやっとの思いでサッカー部に入部し、プレーした時間と同じくらいの時間をリハビリで過ごし、公式戦に出場した時間はたったの20分。
地元の友達には、大学までサッカーを続けていて凄いと言われる。でも、毎日ボールを蹴り続けた結果は納得のいくものではなかった。
後悔しかない。兄に償いができなかった。両親に何も返せなかった。もっといろんなことができたと思う。
ここまでは、B2のIリーグ最終節を終えた直後の文章。それから2週間後、中筑定期戦で大学最後の試合に出場した。
大学サッカーで初めてスタメンとしてグラウンドに入場し、初めて中大の大応援を聞きながらプレーし、5年ぶりに両親に自分のプレーを観てもらった。やはり点は取れなかった。が、大学4年間でいちばんのプレーができた。
後悔がないことはない。でも、今までやってきたことは間違ってなかったと思うことができた。
自分の土台を作り、ひたすらボールを追い続けた横浜での3年間。
点を取ることだけを考え、「勝利」というものの嬉しさを分かち合えた神領での3年間。
感覚だけでプレーして通用しなくなり、上を目指すことを忘れかけた中学の3年間。
最高の同期、先輩後輩に巡り合い、嬉しいことも悲しいこともたくさん経験した千種の3年間。
今まで経験したことのない高度な環境の中で、悔しい時間を長く過ごし、それ以上のかけがえのない経験ができた中央の3年間。
サッカーで出会えたすべての仲間に感謝しています。
そして、最後にもう一度だけ。
「兄へ、私は自慢の弟ですか?
そして、ありがとうございました。」
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