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「サッカーある生活」 3年 石橋衡

「サッカーある生活」
文学部3年 石橋衡

えー、あ、PKの得意コースはゴール左下枠外、文学部英文専攻の石橋です。第2言語習得のことのみ、なんでも聞いてください。
今回部員ブログを書くにあたって色々考えて書いたので一度ご賞味ください。

 いくつか書く内容を考えたがどれもその時の感情だけで時間がたてば熱が冷めてしまう内容だったので、常に考える内容にしようと思い、結局「向上心」について触れて書く。

 サッカーが生活の一部になりすぎていると思うタイミングがある。
これが悪いことではないが、当たり前は思考を停止させてしまう。
月曜日のオフですら、生活の周期に入っているサッカー活動となってしまっている今。決まった時間に起き、同じ時間の電車に同じ座席に乗り、練習が終わったら、授業を受けて帰りご飯を食べて寝る。
その繰り返しの中に、自主練や筋トレなどのプラスアルファはあるかもしれないがこの生活に向上心があるのか。日常生活の一部の行動に向上心を持つことは難しい。
どうしても作業になってしまう。
そこから抜け出すのは一瞬一瞬へのこだわり、つまりメンタリティなのだと思う。数時間の練習中はムキになって、ここだけはと負けず嫌いになって、やられてしょうがないじゃなく悔しいと思う。
普段の性格とは真反対だとしても、そういうのが苦手でも、サッカーの時だけは関係ない。
これの積み重ねが向上するということだから。
そして、この特別な時間が気持ちが日常に一線を引き、サッカーに執着し、没頭する1番上手くなれる時。

やっぱり気持ちが1番大事。

とんでもなくうまい技術も、めちゃくちゃデカくて早い身体も、強い心が上回る。
サッカーが1日を終えるためにしなければいけないことになっていないか。したいことだったものがしなければいけないことになった途端に向上心が無くなるのだとこのブログで気づいた。
させられる受動的な行動としたくてする能動的な行動ではどちらが飲み込みがいいかなんて一目瞭然だ。
ミスして聞こえるため息が嫌だからとか、自分の立ち位置が変悪のが怖いからで生まれる向上心はうまくなれるものではないと伝えたい。

 最後に、書いてるうちに最初と話が変わって行ってしまったが、話しを戻すと、第2言語習得の際には、自動詞の受動化がエラーだということは受け入れられにくいということを伝えたい。これがたまたま能動的な向上心との内容と被ってしまったが、伝えたいことは一緒だ。
自分の意思でとりくめ

◇石橋衡(いしばしこう)◇
学年:3年
ポジション:DF
前所属:明秀学園日立高校

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