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怪我をして得たもの 4年 萩原俊


デスター・シャ
最近筋トレをしすぎて本当にサワヤンに近づきつつある萩原俊です。

17年間続けてきたサッカーとも一区切りつけ、夢であったプロという道を諦め、社会人としてキャリアを進めることを決断しました。

振り返ってみると、大学サッカー人生は悲劇の連続でした。
度重なる怪我によって、約2年間リハビリ生活を続け、引退試合にも出られるか分からない状況です。そんな私だからこそ伝えられることがあると思うので、このブログに綴ってきたいと思います。

私は大学1年次、一番下のカテゴリーからのスタートであった。プロになることが目的で大学サッカーに入った為、この現実は受け入れがたかったが、受け入れなければいけない程の実力差がトップチームの選手とはあった。

当時、トップチームには大橋祐紀選手(現・湘南ベルマーレ)や渡辺剛選手(現・FC東京)など今現在Jリーグで活躍している選手が多く在籍しており、私が想像していた大学サッカーのレベルを遥かに超えていた。関東大学サッカーリーグでも圧倒的な力で勝っている姿を見て実力の差に焦りを感じたとともに、トップチームの試合に出て、中心選手になればプロになれると確信に変わっていた。その為、トップチームにいち早く上がることを近い目標として設定した。

そして、大学3年次になり、トップチームに上がることが出来、やっとスタートラインに立てたと思っていたが、一瞬の心の油断があったのか足首の骨折をしてしまい、全治3か月の怪我をしてしまった。しかし、当時はこの怪我をポジティブにとらえ、体を1から作り直し、強くなって帰ってこようと思っていた。

だが、神様は意地悪なもので、次は膝の軟骨が剝がれてさらに、6か月間のリハビリが強いられた。そんな状況の中でいつも私のことを1番に応援してくれていた祖父が亡くなってしまった。度重なる不幸が続き、どこに気持ちをぶつけていいのかわからなくなってしまい、精神が不安定になり謎の吐き気に襲われてしまった。そんな自分のことが嫌いになり、サッカーを続けてきたことさえも憎むようになっていた。

この時から小さなころから夢であったプロという道を諦め、就職活動にシフトし、新しい道を切り開いていこうと考えた。しかし、サッカーから離れれば離れるほど、サッカーが恋しくなり、生き生きプレーをしているチームメイトを心の底から羨ましいと感じるようになっていた。だからこそ、もう一度大好きなサッカーをチームメイトと一緒にプレーすることをモチベーションに、再びリハビリを取り組むようになった。

その中で、多くの方の協力があって、何とか足は順調に回復し、試合にも出られるようになっていった。コンディションは全く上がらないままであったが、サッカーができる喜びを1プレー1プレーかみしめながら行った。しかし、足が限界を迎えていたこともあり半月板損傷で全治4か月の怪我をしてしまい手術をすることになった。そして、みんなより早くサッカー人生が終わりになってしまった。

入院中、これまでのサッカー人生を振り返ってみたときに、後悔ばかりが残っていた。練習で100%の力で行っていなかったこと、昼寝を2時間以上してしまったこと、思い返せば山ほど浮かんでくる。だが、私はこの後悔は今気づいてよかったと感じている。サッカーをしていた時は、すべてサッカー中心の時間の使い方であり、サッカー以外に怠けた時間があっても違和感がなかった。しかし、サッカーという大切なものを失ってからは、何もしていない時間を有意義に使うことが大切だと気付き、昼寝をしている時間がもったいないように感じるようになった。

この気づきを得てからは、リハビリはもちろん、本を読むことや今まで嫌いであった勉強を取り組むようになり、限られた時間を有効的に使うようなっていった。これはサッカーから離れ、自分の人生を俯瞰して見られるような環境になったからこそ気づけたことだと思っている。だから、今の生活はサッカーをしていた時と同じくらい充実しているし、成長していると感じている。

私が伝えたいことは、時間を大切にしてほしいということだ。人生何が起こるか分からない中で、一瞬一瞬その時を大切に使ってほしいと思う。私のように、怪我でサッカーが出来なくなってしまい、大切なものが一瞬にして失われてしまうこともある。失ってから後悔するのではなくみんなには失う前に気づいてほしいと思っている。それを、ブログを通して伝えたかったことです。

私自身試合には出られないと思いますが、残されたすべてのカテゴリーの試合、選手1人1人が躍動する姿を全力で応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

◇萩原俊(はぎわらしゅん)◇
学年:4年
ポジション:DF
前所属:ジェフユナイテッド千葉U18

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