見出し画像

たいしたことない日々のこと200802

毎回毎回、書くたびに時間の経過を感じる。

先週、今年初めての冷やし中華を食べて、曇りがちなじめじめした時間でもいよいよ夏だなあという季節感をようやく始めることができた。それから数日経った8月初日、朝目が覚めて、この数ヶ月のあいだずっと顔を隠していた日差しが、ベッドの頭上、机の横の窓から素知らぬ顔で当たり前のように差し込んだ。なんでだろう?と疑問に思った。なぜ今日は曇りではないのか?光があるのか?この明るさと色は夏そのものではないか?いやいや、勘違いかもしれない、長引く梅雨で一瞬の光に惑わされただけの可能性もある。数分、ベッドに横たわったまま待ってみる。変わらず差し込む強い光。それは約1年ぶりの季節を強制的に再開させようとする。心を急かし焦らし、この短い夏を目一杯楽しみなさいと啓示するような朝の時間を、ふいと東京の都心の片隅に、ひとつの部屋によこしてきたのだ。それは感染症など関係なく、四季の循環のとおりに淡々と訪れる。

そんなこんなで、惰性で開く郵便受けに旧友からはっとするお手紙を受け取ったかのように、梅雨明けの1日が始まった。

画像1

先日無事にビザに関する面接を終えた。改めて仏語の語彙力は確実に衰えていると感じつつも、瞬発力や発音&リズムに関してはそこまで忘れていないかなといったところで口からは違和感なく言葉を発することができた。france infoのラジオを聴き続けているからか耳はそこまで悪くなっていない。次は書類審査である。どきどき、まだまだ、ぜんぜん落ち着かない。

今回の申請は様々なミッションがありすぎる。個人で書類を整えること、テスト生ビザの方法をとること、新たな土地で住居を探すこと、入学試験があること、そして短い滞在でも仕事を探すこと。うまくいけばマスターを目指すこと。金銭的にも精神的にも大丈夫なのかと不安しかないし、うまくいかなかった後は日本に帰るしかない。その帰国後のビジョンはほぼ皆無である。何も結果を出せないままわたしはまた東京に戻るのか、あるいは大阪に帰るのか。何一つ道筋は経っていない。

それでも、うまく交渉して異国の社会に飛び込むために語学を学んできたのではなかったか。日本に帰国後も2年間希望する職種で働いてきたのではなかったか。

すべての時間は無為にはならない。常に「今」が目の前にあり、それにどう取り組むかということが重要であって、過去の経験がそれらに対峙するための武器となる。あとは運のちから。人事を尽くして天命を待つ。そうでしか人生に向き合うことに対しての納得のいく説明を得られないのだよね。いずれにしても時間が答えを出してくれる。いいも悪いも正しさも間違いもすべてわたし自身にかかっている。抗えない大きな力の存在に身を委ねながらも、しっかりと手元には舵を握っている。どんなことも受け入れられるほどの気概をもって、のぞんでいよう。

今日は以前何度も映画館で見た好きな作品が地上波で初放送をするとのことだったので、せっかくだからと部屋の電気を消してしっかりと臨戦態勢で鑑賞した。たくさん笑って泣いて、ああだこうだひとりで勝手につぶやいたりTwitterで同時視聴しているひとの感想を読んだり、ひとしきりその時間を堪能できた。今回、自宅のテレビで見ると映画館のスクリーンでは気づかなかった細部の演出に何度かはっとさせられた。そして再度繰り返しぐっと胸にきたセリフが色褪せることなく胸に響く。

背中を押してくれるひとたちの存在があるから前に進める。変わらず気を抜かず身を引き締めて取り組みたい。寂しさの感傷にひたっている暇は、どこにもない。

画像2


お読みいただきありがとうございます。サポートは社会の役に立つことに使いたいと思います。