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ここに花を置く意味

花を買った。

きっかけは大したことではない。最近読んでいた小説の登場人物が花屋で働いていたから、花屋に関する描写が多かった。色どりもない文字だけが並ぶ紙を眺めて私はそのお店を想像し、聞いたことの無い名前と少しの説明書きでその花の姿を想像した。

そうして読み終わる頃にはすっかり、私は花を買いたくなっていた。なんてことない理由だ。だけれど、私は1人暮らしを始めてからこの2年弱、一度も花を買わなかった。花束を貰うことが好きなのできっと花自体も好きだと思う。でも、一度も買わなかった。単純に、虫が湧くとか、寿命よりも早く枯らしてしまうとかになることが嫌だったからだ。

そんな私をいとも簡単に生花を買う側の人間に仕立て上げたから、なんてことないで片づけるには勿体ない、大それたきっかけだったのかもしれない。とも思ったりする。


買いに行く道のりでは薄い水色のような花を買おうかななんて考えていたのだけれど、いま家に飾られているのは真っ黄色の花だ。横目に入るだけでチラチラと光るような、とても明るい黄色の3本。その明るさは、案の定私の心も明るくする。

私はそんなに無意識に明るさを求めていたのだろうか。別に気分が沈んでいたわけではないし、むしろ直近は心穏やかだったと思う。顔がほころんでしまうくらいに明るい花を見つめながら考えていた。

考えて思いついた答えは、全然違う場所にあった。
先々週、旅行にいった。行ったことの無い土地で、初めて見るもの食べるものに囲まれて、それはそれは楽しい時間だった。何よりも、1年ぶりに見る紅葉がとてもきれいで、写真に写しきれないことは分かっていても下手くそながらに何度もカメラに手をかけた。

いま家にいる花は、その日見たイチョウの木にそっくりだ。花というよりも、葉っぱに色が付いたという表現が似合う花びら。1輪の花、という印象は持たないスイートピーのような、それも1茎に何十も咲いているようなタイプの花。
私はきっと明るさを求めていたのではなくて、旅行を恋しく思っていた。楽しい記憶をまだ鮮明にしておきたくて、少しでも近しいものを求めていたのかもしれない。そう思った。

花は生活をうつす。
すぐに枯らしてしまうときはきっと心に余裕が無くて、自分以外の生命に気を取る時間が少なくなってしまっている。
花束を貰うときはきっと何かしら頑張ったときや、何かしらおめでたいことがあるとき。誰かから花束を貰える自分でいられる時間は、貴重で、とても幸せだ。
そして、何かを思い出したいときに手に入れたくなる花もある。誰かを思い出したいときでもいい。似たような景色が見られる花だとか、誰かが好きだった花だとか、大切な記憶を数日間でも可視化できる、そんな使い方。きっと今の私はこれだ。


自分のことで精いっぱいの時は花に構っていられないし、シャワーと睡眠のために家に帰ってきて出ていくような生活に、花は要らない。花屋が開いている時間に最寄り駅に着くことだってない。

それでも花はいつだって、心を少し満たしてくれる。
初めて花を買ってみて、その満たし方にはたくさん種類があるのだと思ったし、これから定期的に花を買う(ことに決めた)私はこれからもっと満たし方の種類を知っていくのだろう。

心に余裕がない時こそ、本当は花の力を借りるべきなのだろうか。
そんなことは、今はまだ答えを探さなくていい。いつか自分にとっての答えが見つかるような気がするから。
今はただそこにいる花を見て、楽しかった記憶を思うだけで満足だ。

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