安楽死は人生を前向きにする

こんにちは。

わたしは安楽死について色々と書いているわけですが。
どうしても『死』と付く話題については、重いとか暗いとかのイメージを抱く人が多いのではないかなと思っています。
一番最初のエントリーでも書いていますが、まずは何より自分本位になって、自分の幸せな人生とはどんなものかというのを一番に考えるべきだと思うんですよね。
繰り返しますが、『幸せな人生』というものは、最終到達点である『死』まで含めてそれです
ですので、自分にとって一番望ましい死の形を考えましょう。

さて。
つまりわたしは、安楽死は全ての人に与えられた基本的人権の内に認められるべきものとして捉えているわけですが、まだまだ多くの人にはそれは受け入れられ難いでしょう。
ですので、まずは、難病患者や重度障害者に絞って考えましょう。

今現在、特に生きる苦痛を感じていない方にお尋ねします。
あなたは、自分が治療法の無い難病や、自分の意思で動くことのできない重度の障害を負った場合、延命措置や介護を受けながらでも、生き続けたいですか? 早々に死にたいですか?
わたしが普段見ているツイッターでは、『自分がもしそうなったら死にたい』という意見を多く目にします。
これは『耐え難い苦痛を味わいたくない』という、人間として極自然な感情だと思うんですが、そのようなことを言うのは、“実際にそうして生きている人達の尊厳を蔑ろにしている”とか、“暴力”だとかいうことを、支援団体や大学の准教授とか偉い人達が言うんですよね。

じゃあ、どうしろと?

「死にたい」と口にすると、「お前なんかより辛い思いをしている人間はごまんと居る」というような言葉が返ってくる場面が多いですよね。
はい。わたしも実際に言われた言葉です。
つまり、上に書いた偉い人達も、多分、この国に生きている多くの人が、『皆、より苦しい人に合わせて同じように苦しめ』と言っているということになりますよね。

それって個人の尊厳を蔑ろにしていませんか?


ベルギーのマリーケ・フェルフールトさんという方が、去年、安楽死を遂げました。
安楽死の法制化を望む人達の間では有名な方ですが、ご存じない方は、こちらの、彼女を特集した記事を是非一度読んでみてください。
安楽死は、豊かに生きるため。日本旅行の夢を叶えた、パラ金メダリストが語る"その時" | ハフポスト

記事を読んでいただければわかると思いますが、『最後には安らかに死ねる』と約束されていることが、お守りとなって、苦痛を抱える人が前向きに生きる為の心の支えとなります。
“嘱託殺人”という形で亡くなった京都の女性は、病気を抱えた体で生きることが耐えられないということを訴えていました。
痛みや恐怖や不安や絶望は、生きる為の社会制度では拭えません。
『死んでいいですよ』と認めてもらえることで安心できます。
いつまで耐え続ければいいのか、先の見えない苦痛に、ゴールを定めることができれば、『じゃあ、そこまで頑張ってみよう』と思えるのです。
上の記事の中で、マリーケさんは『安楽死がなかったら、とっくに自殺していたと思う。今は、やりたいことが山ほどあって、片っ端からチャレンジ中。何倍も楽しめるようになった』と語っています。
そういうことです。
人生を思う存分楽しむ為に、安楽死制度を日本にも実現させましょう。


ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

Twitterをやっています。
@Chun__722

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?