愛を知った14年

夢の時間を過ごしたら久しぶりに筆を執りたくなったので、ここに書き留めることとす。

二年ほど前に田舎の実家を出てから、時間がある日は映画を観に行くようになり、そのうち映画情報にアンテナを張るまでになった。
しばらく映画から離れていたのだが、ある日、目当ての映画があったので映画館のアプリを開いたところ「オペラ座の怪人」がリバイバル上映されていることを知った。これは観るしかないとすぐさまチケットを買ったのだった。

私が「オペラ座の怪人」と出会ったのは2010年の小学校一年生の冬。
何かの周年記念だったと思う。金曜ロードショーでこの作品が放映された。それを母が視聴しており、それを私も観た。
あの気持ちは一目惚れ。憧れのお姫様と煌びやかな世界。美しい音楽。惚れるには十分だった。
母が録画もしていたので、それを何度も観た。「オペラ座の怪人」に魅せられるままに何度も何度も観た。スマホを手に入れてからはサウンドトラックを何回も聴いた。それほどに惚れ込んでいた。

そんな、大好きな作品を大きなスクリーンで観られるなんて。夢みたいだ。言葉にできないほどの胸の高鳴りとともに映画館へ。

映画の始まり、オークションに出品されたシャンデリアがよみがえるシーン。私は一瞬で2010年のあの頃の少女に戻る。
口ずさめるほど聴いた美しい音楽たち、憧れの、ウエストが細く腰から美しい曲線を描くドレス。ファントムを恐ろしく思うのに、クリスティーヌと同じようにファントムの歌に酔いしれる。世界観に魅せられていく、墜ちていく。空間に陶酔していた。夢の国よりも夢のような時間だった。

しかし、一つだけ違ったのは物語の解釈だった。
あの頃の幼い私には理解できなかったファントムという存在は、14年の間にあまりにも近い人物になっていた。ファントムに感情移入したのは初めてだった。

彼のクリスティーヌへの言動は自分勝手で時に暴力的にも見える。でも、私はそれを純愛と呼びたいのだ。
醜い容姿から幼い頃は見世物小屋におり、そこから出た後もなおオペラ座の地下で暮らす彼は、人との関わりをほとんど持たずに生きてきた。そんな彼が、おそらく初めて愛した女性。愛に触れてこなかったから愛し方もわからない。彼なりの愛でクリスティーヌに歌の才能を授けた。でも、彼女への言動は恐怖支配そのものだった。愛しているからこそ夢を叶えてほしい、彼女のすべてを自分のものにしたい。その気持ちを100%否定する人はいないだろう。ファントムはただ愛の伝え方がわからなかっただけなのだ。心に深い愛情があるのに上手く表現できない彼をとても愛おしく思った。それと同時に同情もした。ファントムは周りから見たら偏愛だろうか。
それでも、それでも私はこれを純愛と呼びたい。
このような思いで21歳の私はファントムに感情移入し、クライマックスの、ファントムがクリスティーヌとラウルを解放するシーンでは大号泣したのだった。当作品で泣くのも初めての経験である。あの時の少女にはわからなかったことが今ならわかる。

鑑賞中の私は、作中に出てくるオペラ座の観客の一人でもあり、クリスティーヌでもあった。また、オペラ座の怪人に魅了される、あの時の小学一年生の少女でもあり、愛を知る21歳の女でもあった。「オペラ座の怪人」は本当に素晴らしい作品だ。それを今の時代に生き、公開当時と同じ体験を当時よりも圧倒的に良い映像状態で鑑賞できたことを誇りに思う。

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