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ライク・ア・タンブルウィード

 浜辺で歩くマインは、歩いているのか転がっているのかもわからなかった。
 海は穏やかで、漣が音を立て、けれどもアサキの皮膚には刺激が強すぎるので、泳ぐことはかなわなかった。マインが風まかせに方々を歩く間、アサキは行きがけに拾った木の棒で素振りのまねごとを始める。海は地球の海と似て、潮風が強いので、浜辺に散らばる流木は一様に白く、すべすべとしていた。これでは手が滑ってしまう。グリップが欲しいな。思いながら目を瞑ると緑の芝のコートが浮かび上がる。遠方に背の高い対戦相手。まっすぐと線を向けてやってくるボールを、振って打つ。振って打つ。身体はコートを憶えている。でも再現できるのは動きだけだったかもしれない。

 アサキは地球最後のオリンピックに、難民選手団として参加した。
 母国の目線は冷ややかだった。大会期間中、「この国で育成された恩も忘れたのか」「お前のおかげでみっともない国だと思われてしまう」みたいな声が連日寄せられた。けれどもアサキの前に立つ母国の代表団は、みな憧れとも諦めともつかない遠い目を彼に向けていた。どこかに連れて行って欲しかったのだろう。それは今にして思えば遅すぎる直感だったかもしれない。邪念を振り払うようにラケットを握り、己が身体の呼応だけを命の綱にトーナメントを駆け上がった。数多の強豪を下し、盤を狂わせて決勝の舞台に立った日、アサキに対するは奇しくも母国の選手だった。風のハシマ。東洋の新星。黄金の左腕。二人の対決はあらゆる言語でプレスされ、まばゆく注目を集めたが、アサキはそのことを憶えていない。憶えていることはただ一つだけだ。試合前、ラケットを回して眺めるハシマの目。その目にほんの数秒だけ光が宿るのを見た時、彼はこの試合を勝ちにいかねばならないと確信した。ラリーは永遠にも思えた。それは観客にも、アサキたちにとっても同じだった。ポイントが入らないので歓声もなかった。幾重にも、数えきれないラブを重ねて、それが初めて破局した時、ハシマは確かにほほ笑んでいた。
 あれほど気持ちの良い負けは他になかったとアサキは思う。けれどもハシマのほほえみは真にさよならの合図でもあった。彼はその英雄的な勝利と称賛とを引き連れて帰国したのち、母国のためにと兵役に志願し、結局あの黄金の左腕を森の奥地に忘れてしまった。その後のことをアサキは知らない。再会もしていない。それから世界の秩序が四年と持たなかったからだ。戦場は日ごとに拡大した。止めることを望む人はおおくあっても、それを出来る人はどこにもいなかった。そうして、どこかの土地のどこかの部屋で、星の環境に不可逆のダメージを与える最後のボタンが押されようとしたとき、それまで静観を貫いてきた星団B65が「人道」に基づく支援のために介入を果たした。
 アサキはいの一番に手を挙げた。荒廃した平地の真ん中に母船が降り立ち、階段ともスロープともつかないテロップが地上に触れ、彼がそこに右足を乗せた時、非難する声はもはやどこにも存在しなかった。様々に検査が行われ、身辺調査が進み、何度かの面接とレクリエーションを経て、母船が地上を発った時、残っていたのはアサキとマインだけだった。

 転がるようにしてマインは眠る。そうしてたいてい、どこかに引っかかってしまう。引っかかっていなければ、どこまでも遠くへと進んでいる。陽が登り、マインの姿が見当たらず、何キロも放浪したことだってあった。そんな日が続くと、見失わないよう手綱をつけておきたい気持ちにもなるが、アサキはそんなことはしない。それはマインの在り方に反するからだ。
 マインは浜辺の、少し大きめの流木に沿って、くるくると吹き溜まる。そうしてたまに「見てくれよアサキ」と声をかける。風はすこし肌寒いが、マインの身体には心地よく吹き抜けてゆくようだった。アサキは木の棒をやわらかい砂に突き刺して、やれやれといった感じでマインの元へ歩いていく。
 マインが言う。「ここからスポーツが始まるのか?」
 アサキは少しだけ逡巡し、右手を確かめるように閉じたり開いたりした後、「そうだ」と短く返す。

 アサキがこの星に降り立った時、景色に違和感がないので感動を逃してしまった。青い空を雲がそよぎ、見慣れはしないが植物だと分かる植物が、方々に繁茂していた。遠くには陽の光を受けて白く光る水平線もちらと見えた。アサキははじめ地球に戻されたのかと錯覚したが、空に知らない色の月を見つけてようやく思い直した。
 B65の担当官は、様々な事情で母星を脱したのち、同様の環境で生命を維持できる者たちがこの星に集められるのだと説明した。B65の立場や理念を、アサキは確認しなかった。彼には同様の経験があって、結局属するものがすこしばかり大きくなっただけなのだと自分に言い聞かせた。
 担当官は次のように続ける。
「この星の特徴は、ひとつに定まらないことだ。適応環境によって居住を振り分けられるので、異なる星系、異なる存在法則、異なる文化秩序を持ったものが、己の存在の平穏のために集められる。君たちはきっとその存在の広さに驚くことがあるかもしれない。けれどもこの星の者は、皆が皆、異なるようでいて、同時にどこかに同様のところを持っているはずなのだ。ちょうど君たち二人のように」
 そうして担当官は、君たちには同様のところをみつけてほしいと締めくくった。それは命令でも義務でもなく、素朴な期待だった。居住スペースを一通り案内され、母船のタラップが引っ込んだとき、「見つけられるだろうか」と呟いたのはマインだった。
 アサキがマインを見下ろしたとき、マインはすでに坂道の傾斜と微風にほだされて転がり始めていた。マインのことを一言で表せば、それは意思疎通の取れる球状のツタのようなものである。タンブルウィードという植物によく似ているとアサキは思う。でも根っからの植物ではなかった。母船で聞いた身の上話を思い出す。マインは意思を得た地雷除去装置だった。風に吹かれて地雷原を転がり、地雷に当たれば爆発してその生涯を終える、そんな量産装置の内、試験的に知能を与えられたもののひとつがマインだった。
 マインはその半生を、自らの使命のために奔走し、けれども地雷を見つけられずに戦地を離れ、川の流れに乗り、海原へ出たところで外からの使者に拾われたのだという。
 アサキはマインが転がるのを追いかけるように坂道を下る。
「君たちは異なる意思を持つときにどう通じ合ってきた?」
 マインが尋ね、アサキは「私は試合をすることしか知らない」と返した。
「試合って?」
「スポーツの」
「スポーツはどんなことをする?」
「いろいろ。人によるよ。身体を動かせればいいんだ」
 そういうとマインは少しだけ黙ってしまう。黙っている間にも転がり続けて、必然的に行先は海になる。アサキはそこで思い至る。自分にとって身体を動かすことは、身体を動かす意思を持つことに通じるのだ。マインにはそれが伝わらない。
「まずは、まずは私にとっての話をしていい?」
 アサキはそう言って、少し沈黙を置いた後話を始めた。
「私が得意なスポーツは、この手で、ラケットを握って、それでボールを打ち合うんだ。たいてい試合は二人か四人で行う。ネットで遮られた、コートと呼ばれる四角い領域が指定されていて、その中にボールを打ち返せるかどうかが大切になる」
「大事なのは、どんなところ?」
「勝ち負け。違う。点数、賞賛、背負うもの。違う、もっとプリミティブなことのために私はあそこにいた」
 アサキはこれまで立ってきた数多のコートを参照する。
「高揚感。くやしさ、ストイックな訓練。それから目線。相手の目線。目線を拾う事」
「目線を拾う事?」
 マインのおうむ返しに一番驚いたのはアサキだった。
「そう。目線を拾う事。拾う事。確かにあの時私は彼の目線を拾い上げたんだ」
「アサキ、私はその拾い上げるという行為に興味がある」
 話が弾むにつれて、坂を転がる二人の速度も増した。はじめ遠くに見えていた海岸線は目前に迫っているようだった。
「拾う事は、私たち人類にとって、もっとも原初の運動のひとつだった。それはものを動かすことそのものを指す。対象は様々。本当に様々だった。私はボールを拾って、勝ちを、音を、幸運を拾ってきた。そうして誰かに拾われ続けてここに立っている。自然の法則に干渉し、そこに他者を見出すことがスポーツの本質のひとつであって……拾う事はその最も原初的な形態なのかもしれない」
 アサキの、整理のつかない長話に、マインは一言だけ「それは私にも出来るか」と返した。アサキはすぐに答えを思いつけなかった。二人はいつの間にか浜辺についていた。
「拾う事から始めてみよう。それはつまり、自然の法則から相手を見つけ出すことなんだ」
 ここでは拾うことがスポーツなんだと、どちらともなく言った。まずは二人から始めてみよう。そういうことらしい。

 浜辺で風に吹かれて転がっていたマインは、ふと何を思ったか歩みを止めた。風が止んだのかもしれない。何かに引っかかったのかもしれない。けれどもアサキには止まったように見えたのだ。追いつこうとしたアサキに、マインは振り返ったようにして言う。
「今のは上手くやったんじゃないか」
「どうだろう。上手くやったのかもしれない」

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第三回かぐやSFコンテストの応募作品です。
「未来のスポーツ」というテーマで書きました。本選には漏れてしまいましたが、岸谷薄荷さん、井上彼方さんの選外佳作に選んでいただきました。
感想など頂けますと幸いです。


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