見出し画像

袖を引く石


 波に生える煙突を見に岬を訪れた。何でも海没した炭鉱施設の遺構らしい。煙突と言うには短く、寸胴の筒といった印象を受ける。筒は大きいのと小さいのの二つがあって、所在なく揺れる波の中で一寸も動かず立ち続けている。

 岬は名を黒崎と言って、なるほど岩や砂の所々が深く黒ずんでいた。触れようと指を寄せると、砂は自ずと這い寄ってくる。驚いて目を凝らすが、砂は砂のままである。

「ここらのもんじゃないな」

 声がしたので顔を上げると、老人が一人立っている。かなりの高齢だが背は高く体格も良い。漁師でもしていたのだろうか。老人の手には半透明のビニール袋がぶら下げられている。中には黒い石が詰まっている。

「ここらの砂は人に寄るけえ。注意しな」

 老人は踵を返し歩きだす。私も後を追う。面白い話が聞けると思ったからだ。

「おじいさんは、ここで何をしていたんですか」

「わしか、わしは、そうだな、幼馴染を待っとる」

 あいつは今でも海の底におるはずだ、と老人は言った。流されたのですかと聞くと、袖引きに会ったのだと言う。それなり言葉は返って来ない。歩みは止まらず、岬を抜け、線路をくぐり、煉瓦の壁を両脇に抱える細い小路に迷い込む。

「気持ちの良い道ですね」

 独り言のようにつぶやくと、そうだろう、とようやく声がした。

「わしも、スミも、この路が好きじゃった。そこの煉瓦、薄桃色をしとるじゃろう。桃色煉瓦言うてな、焼いた石炭と石灰とを混ぜて作る。じゃけえ、坑[ルビ:あな]と同じ匂いがする。同じ匂いがするけえ、石が寄り付くんじゃ」

 小路の先の古めかしい門をくぐる。老人は玄関へは向かわず、脇から庭にまわり、そこで持っていた袋を裏返す。ごろごろと音がして黒い石達が庭に散る。音を聞きつけてか、家人が縁側から顔を出して「お父さん、また拾ってきたの?」とあきれ顔をする。老人はその間もずっと喋り続けている。

「この町には硬[ルビ:ボタ]がない。掘ったもんは、土も砂も、みんな海へ埋めてしもうたからじゃ。そうやって町は陸[ルビ:おか]を広げてきた。じゃけど、本当の目的は、姫石を海へ返すことじゃった。ええか、ここらの石は褐炭[ルビ:かったん]言うて、あまり品質の良うないもんじゃ。じゃけど偶に、品質の高い、それも大きな石が出てくることもあった。そうしたもんは姫石ちゅうて、丸く磨いた後、海に返すんが決まりになっとった」

 安全祈願か何かですか、と聞くと、そないええもんじゃない、と返ってくる。縁側に座った老人は、持ち帰った石の一つを拾い上げて、やすりで磨き始める。

「あれは取り過ぎると代わりを寄越せと言うてくる。人の子を寄越せと。町の小路でついと姿を消した子らが、坑の中からひょっこり顔を出すようなことが何度もあったと聞く。子らは決まって袖に炭を付けとって、無理やり連れてこられたんだと泣く。袖引きちゅうのは、つまりは石と人との交換よ。そういう事が続いて、ここらのもんは姫石には手を出さんようになった」

 これも坑夫をしていた親父の受け売りだと老人は語った。手の石は次第に丸みを帯びていく。しかし、幼馴染と言うのは。拾うたんじゃ。やすりが動くごと、人を呼ぶような高い声が鳴る。拾った? 時折火花が散って煙が匂う。埋めたもんが、浮き出てきよったんよ。欠けて砂になった石が膝に落ちる。あの浜でのう、わしが拾うたんじゃ。スミは戻そう言うた。膝が炭色に染まる。わしは頷いた。二人で浜に穴掘って、埋めなおした。埋めたんよ。わしは、ずっと迷信じゃと。

「迷信じゃと思うとった。スミは戻そう言うたんよ。海へ返そう言いよった。わしはなあ、気に入らんかった。スミの利他が気に入らんかった。ああいう子じゃったけ、あの縁談も決まってしまうじゃろ思うて、わしがどうにかせんにゃいけん思うて、それじゃあ逃げ賃が必要じゃって、石は艶やかで、透き通るようで、いや、きっと高値が付くじゃろうて、じゃけど、縁談が決まるよりずっと前に、スミはあの小路で、見たんじゃ、手よ、黒い手、黒い手がスミの袖を引くのを、わしは確かに」

 やすりは足元に落ちていた。スミが消えたのは、水非常による閉山からずいぶん経ってのことだったと言う。

 去り際、老人は長話の詫びとばかり一礼した。見渡せば庭の所々に、黒い石が置かれている。しかしどれも形は歪で、美しい球とは到底言えなかった。門を抜け、煉瓦の小路を下る。小路は温かな曲線を描き、方向感覚を鈍らせる。どこかの坑に繋がるものかと期待をして歩いたが、そのうち簡単に抜け出てしまった。

 ふと外套の袖に違和感を覚えた。見ると黒い砂が、びっしりと纏わりついている。慌てて振り払うが離れてくれない。よく見るとそれらは、磁石になっているボタンを取り囲むように円を描いていた。

「炭じゃない」

 驚いて立ち尽くす。あの岬の黒は炭じゃない。彼が磨いてきたものも。思わず振り返る。門は小路の煉瓦に阻まれて、姿を見せないままである。

●2021年 ブンゲイファイトクラブ3の準決勝作品です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?