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ぽんぽこあわもち

「名物の『ぽんぽこあわもち』です」
 大きな一枚板の座卓の真ん中に、小皿が置かれていた。
「まあ、食べてみんさい」
 小皿には包装紙に包まれた餅だか饅頭だかが二つだけ乗っている。私はその一つ、紅と白があるうちの紅色の方を手に取って開く。中から黄金色の、潰れた形の餅が顔を出す。
「これ、去年出来たばっかりの新名物なんです。新名物って言っても、文献を調査してね、古い名物を再現したんですわ。芋の一種を餡に使って、それを厩肥で包んで焼くんです。狸の伝説があったらしいんで、ぽんぽこあわもち。あ、知ってますか、阿波ってここらの古い呼び名なんですよ」
「そうなんですね。よく調べられている……」
 適当に相槌を打ちながら餅を眺める。餅の表面には間抜けそうな狸のキャラクターが焼き印されている。一口かじってみると、ほんのりと自然な甘みが口の中に広がる。
「うん、上手い。おいしいです。砂糖が控えめで……」
「そう、そうなんですよ。あえて砂糖を加えず、芋本来の甘みを前面に出したところがこだわりでしてね」
「何の芋でしたっけ」
「芋の一種です。ご先祖はサツマイモですな。もう生産工場も少ないですけん、一からの挑戦でした」
「うん、うん。これはいけますね。お茶にも合う。焼いても美味しいかもしれません。これ、もう一つ持って帰ってもいいですか。娘も気に入ると思うので」
「もちろんどうぞ。白い包みの方は、柑橘を効かせてあるんです。それもこの土地の名産品じゃったんですよ。直接食べるのには向かんのですが、加工するとなればいい品です……一つと言わず帰りに差し上げますよ。在庫はまだまだありますけんね。ところで、今日は、どうやって来られたんですか。船ですか?」
「や、のぞみです。新幹線」
「ああ、あれはシートが硬くていけんわ。時間もかかったでしょう」
「まあ、その分経費が抑えられましたので。お気遣いありがとうございます」
「今日はお疲れでしょうし、視察は明日からにしましょうか。どうぞゆっくりなすってください」
 そう言うと鈴江さんはのそのそと立ち上がって、お尻のあたりをポンポンと叩いてから部屋を出て行った。ふすまの閉じるトンという音を確認してから、白い方のぽんぽこあわもちをそっと手繰り寄せて眺める。包装紙の裏には地元の大学生と復興財団が協力した旨が記されていた。それから端末をいじったり、読書をしたりしているうち、あっという間に暗くなった。翌日に備えて布団に入る。淡く光を放っていた天井がふと暗くなる。部屋は決して広くはないが天上は高い。空調も程よく効いていた。けれども快い気分にはなれなかった。なんだか背中が地面と接続していないような、所在のない不安が私を宙に浮かせた。
 鈴江さんは翌朝早くからやってきて、古いガソリン車を用意して待っていた。キーを回すとブロロンと音がして、ハンドル横の小さな液晶画面に地図が表示された。
「都会の方には珍しいでしょうが、田舎ではまだこれが現役ですけん、頑張ってもらわんとな」
 鈴江さんが手元のレバーだかを操作すると、車は音を立てて走り出した。朝早いのもあってか、他に車はあまり走っていないようだった。
 町の方は歩かれたことあるんですか。走行音に混じって鈴江さんの声がした。いえ、子どもの頃連れてこられたらしいんですが、記憶にないですね。窓の外では同じ形の、けれども塗装や装飾の違う建物が連なっては流れていった。
「一度まわってみられたらええ。ここら辺が寺島、旧市街地です。昔はこのあたりを囲むように川が流れとって、『ひょうたん』みたいな形やけん、『ひょうたん島』なんて呼ばれたそうですよ。だいぶ流路も変わってしもうて、今は整然としとりますけどね。さ、こっから東、沖洲の方が今日の目的地です。ああ、もちろん十分調べられてでしょうが……」
 鈴江さんはそこで言葉を止めた。私の出方を窺っているようだった。
「もちろん、楽しみにしておりました。今回は実地調査という名目ですが、認定については前向きに進めております」
 私の言葉を受け取ると、鈴江さんは「そうですか……」とだけ言って、それから大きな深呼吸を一つした。
 旧市街から三十分もかからないところに沖洲の町はあった。私は一度車窓からそれを見つけて「ほう」と言い、車を降りてもう一度「ほう」と呟いた。地面に立った人の目にはそれは幾重にも重なった、巨大なコンクリートの丘陵のように見えた。私の視界を邪魔しないようにか、鈴江さんは斜め後ろに立って解説を始める。
「ほら、あそこの光っとる所、あれは採光のための窓です。厳しい建築基準がある中で、少しでも日光を取り入れるための工夫です」
「沖洲にあるのは現存するもので三十棟。開発前には、同様の建物が市街の方にも広がっていたと聞きます。他に津田や阿南の方なんかにも、少数ながら残存しとります」
「あ、こちらが現存最古のもので、分かっとるだけでも三百年以上前から存在したと文献にあります。最盛期にはこの一棟で百人が暮らせたと言われとりますね」
 彼の解説はすべて事前の資料にも記載されていることだった。けれども資料の文字を追うのと、実際に目にするのとでは、その実感に大きな差があった。
 歩みを進めるうち、なだらかな丘陵たちはゆっくりと形を変え、私は一度失った遠近感を徐々に取り戻していった。何棟目かの丘陵を過ぎたあたりで、どこか有機的な彼らの姿とは対照的な、武骨な鉄骨の塔が姿を現す。鉄塔には簡易のエレベーターが取り付けられているようで、低いモーター音は海風の鳴る音と混じり、私を誘う声となる。その麓では『「沖洲の防災建造物群」を重要文化財認定へ!』と書かれた横断幕が、強い風に揺られてバタバタとはためいていた。
「これを登るんですか」
「高いところは苦手ですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが」
「……あなたにはしっかり見てもらわんとね。地面から見上げるだけじゃあただの丘でしたでしょう。上から見て初めてわかることもあるんです」
 チンと間抜けな音を出してエレベーターが地階に着いた。エレベーター内は思いのほか広く、私たち二人の他に、鮮やかな和装をした男女が何人か乗り込んできた。足に上昇と加速とを感じると、和装の内の一人、腹に太鼓を抱えた男がすこしよろめいた。私達は二十秒ほどで最上階に達した。地面から六十メートルですと鈴江さんが言った。
 エレベーターの扉が開くと、右手の阿讃山脈、左手の四国山脈を裂くように、薄青い空が広がっていた。都会で見るような高層建築は、この町では見られないようだった。「見通しがいいですね」と呟くと鈴江さんは「そうでしょう、地盤が緩いんで、あんまり高い建物は建てられんかったんです」と言って、私にすこしだけ、目線を下げるよう促した。
「代わりに建てたのがこれらです。ねえ、美しい形をしとるでしょう」
 見るとそれは無数の、細い植物の葉のような形をしている。今にも海に漕ぎ出さんとする、巨大なカヌーと言い換えてもいいかもしれない。三十棟あるという葉形のうちいくつかは、潮風に当たった表面が赤茶け、またいくつかは蔦や苔に覆われて緑がかっている。そして彼らはみな、みな一様に、海の方を向いている。うみの方を向いて整然と並んでいる。
「何度も何度も」
 鈴江さんが言う。
「大きな波が来る中で、何とか生き残ろうとした当時の人たちの知恵です。これらの建物は、海からやってくるものをせき止めるのではなく、受け流す形をしとるんです」
「それは……物理的なものだけですか」
「というと?」
「あ、いや失礼。なにか、遠くからやってくるものと精神的に対峙するような、そういう意味合いがあったのではないかと」
「なるほどねぇ。なんせこれらの建造当時、今とは記録方法が大分違うでしょう。破損したり破棄されたりで、いまだに読み解けない文献も、解明されとらんことも多いんですわ」
「……どうしてそこまでして、この場所にこだわり続けたんでしょうね……」
「それは私にも分かりますよ」
 鈴江さんの声が急にはっきりとした。
「他に場所を知らないからです」
「それは物理的に……それとも経済的に?」
「精神的にもです」
 塔の上に、太鼓と鐘の小さな音が響き始めた。これは歓迎の印というか、レクリエーションです、と鈴江さんは説明した。多くの文献から考証を重ねた、被災以前の原型に最も近い阿波踊りだという。
「昨日も言いましたが、ここいらの土地は古くは阿波と言いました。やけん、この土地の踊りも阿波踊りです」
 塔上の小さなステージの上、男がひょうきんな姿で現れる。てぬぐいをかぶり、それを鼻の下あたりで結んだ男は、直線状に突き出した手をゆっくりと震わせる。反対側の袖からは女が出てきて、肩に指先を置いたままくるくると回る。足には草履のようなものを履いているが、かかとのところには鈴が付いていて、彼らが踊るたびにそれがシャリシャリと音を立てる。音は、太鼓や鐘の音と溶け合って、独特のリズムを刻む。
 はたしてこれが太古より続いてきたという踊りの継承系なのか、私が一見しただけではわからなかった。けれども継承と言うのはそういうものかもしれない、とも思う。
 帰り際、駅の新幹線ホームまで見送りに来てくれた鈴江さんが、「これは賄賂じゃないですからね。娘さんにどうぞ」と言って、懐のバッグから十二個入りのぽんぽこあわもちを取り出した。パッケージには、餅の表面に焼き印されていたのと同じ狸のキャラクターが、踊ったり転げまわったりしている。ふと、彼らの頭に乗った葉っぱに目が留まり、頭の中で、葉と、餅と、巨大な葉状の遺跡とが溶け合って一つになる。
 彼らは化かされているのかもしれない。
 私がそうなのかもしれない。

●第5回、阿波しらさぎ文学賞の落選作です。感想など頂けるとありがたいです……!

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