六枚道場1D


谷脇クリタさん「ジャンケン橋」

ジャンケンは単純なようでとても奥深い。ジャンケンは身体性を伴った契約と同意のプロセスだ。成立までにはまず、お互いに手があって、そこに五本の指があることを前提としていて、そのうち指の折る本数に意味があり、意味づけをされた形態には相互関係があるという共通認識を必要とする。それをものすごく素朴かつアクロバティックに逆手に取った本作はだから、同意、折衷、(ディス)コミュニケーションの物語として読める。
 話の広げ方とかもう最高で、地理と歴史から始まった描写が、次には私と夫の身辺へとクローズアップして、最後には二人の「身体」を大写しにして終わる。ほのめかされる戦争がどんなもので、どんな結果をもたらしたのかはおぼろげにしか分からない。たぶん、どんなに綺麗に上塗りしたって失った物の方が多いのだろう。でも、それをからくも乗り越えて、身体性という「共通」を失った今日でさえジャンケンという「同意」が作用し続けているという展開には、作者のコミュニケーションへの強い希望と信頼がうかがえる。
 感想を書いている今日、もしかすると戦争が始まるかもしれない事に思いをはせる。話す言葉も信じる物も違うけれど、大枠においては同じ形をしたもの同士の戦争のこと。むしろ、おんなじ形をしているからこそ、おんなじ考えを共有できると勘違いしてしまうのかもしれない。身体の造りがバラバラになってはじめて、心の共通を探せるのかもしれない。土地から離れた歴史が不確かさを深めるように、身体を持たないコミュニケーションは不確かだ。そのあたりを、本作はとても見事に拾っている。感動した。


紙文さん「赤ちゃんテレビ」


「あああ、やられたあああああ!」って思ったのだ。テーマ展開は違うけど同じような設定の小説を書き進めて行き詰まって、寝かせていたのだ。いや、こんなこと、ここで言うのは卑怯だわ、ごめんなさい。しかし少しでも共通を見つけると、力量差が明白になって打ちひしがれる(そして作者はおそらく僕が考えたよりそれ以上のことを考えている)。ともかく僕はこの完成度にはたどり着けない。もうっ! すごいよ! ごめんね!
……気を取り直してどうやって読むか考える。僕はひとまず「赤ちゃんテレビ」を象徴的な存在ではなく、実際にあるものとして読むことにした。赤ちゃんテレビは知ってる言葉で言えばAIで、それは本当の赤ちゃんそっくりに動作する。都合の良い存在なんかではない。夜泣きもするし、リモコンや何やで都合のよい操作もできない。私はそれをしだいに本物の赤ちゃんのように知覚し始め、また機械だと突き放し、その中で鏡映しに自分の「母親」としての側面と、母親から離れた個人としての側面を見る。
 と、ここで疑問が生まれる。利益効率重視、シンプルで分かりやすく、都合が良いものを崇拝する今日の社会と、作中の社会が地続きだとして(それを示すコードは会社のシーンにてんこもりだ)、この「都合の悪い」機械は、いったい誰の、何のために作られたのだろう。ひとつの解釈としては、子どもを持てないの人への慰み。どうしたって赤ちゃんが出来ない、赤ちゃんを失った、パートナーがいない、子どもを育てる経済力がないなど、さまざまな事情を抱えた人が、擬似的に赤ちゃんを手に入れるためのツール。もう一つの解釈は「母性のシミュレーション」で、たとえば児童虐待が問題になった結果、事前に赤ちゃんの挙動をするもので体験しておくという風潮があったりしたら面白い(主人公のわたしがお金を貯めて買っているので、この説はいささか弱い)。
 いずれにしたって作中には不自然なほど夫が出てこないし、会社も隣人も助けてはくれない。すべてが「母親」たるわたしの責任になっている。浮き彫りにされるのは社会構造の欠陥で、母親の能力の有無ではない。この小説では、あかちゃんをAIに書き換えることで一度「赤ちゃんは母親が面倒を見る」という文化伝統に紐付けられた価値観を外し、ひとつの風景として母親がすべてを背負わされる不均衡を見せつけることに成功している。
 そして読み終わり現実に返って、戦慄する。だって実際には赤ちゃんテレビなんてものはないのだ。リモコンをいじるシーンや、スピーカーを毛布で塞ごうと思い至るシーンが、実際の「赤ちゃん」であったとき、何に置き換わるのかを想像すると背筋が一気に冷たくなる。「そう設計された、単なる機械」と自分に言い聞かせるようにつぶやくところも、相手が生身だったらと考えたらしんどくなってくる。
 最後、泣き止む方法を探すのをやめたわたしは「泣き顔がみたくて」ディスプレイをのぞき込むが、「あなた」は笑っている。すんでの所でつなぎとどまったようにも読めるし。押しつぶされたわたしが、そのとき笑っていたとも読める。いや、すごい小説だ。
●追記。「ママ」という言葉が一か所だけ出てきて引きずられたけれど、この小説はわたしが男性でも成り立つのでしょうか。すごく自然に女性だと思って読んだこと自体、まだ何かにとらわれていたような気もします。わたし=男性として読むとしてもまた、わたしの行動や葛藤が性別ジェンダーを越えたところにある構造的な問題だと言う事が読み取れる。あああ反省。


ケイシア・ナカガワさん「雨垂れ」


 満足に働けなくなったストラウスに蓄えがあるのかどうかで読み方が変わってくる。
 まずストラウスが働けなくなってから一家が没落したとする。
 エリーゼはきっとチャーリーのことを心の底から愛している。ではどうして離れていくのかといえば、例えばチャーリーがストラウスのように変わってしまうことを恐れたのかもしれない。事故の前のストラウスに暴力はなく、きっと幸せだったと想像する。事故をきっかけに自暴自棄になったストラウスも、子どもが出来たことを知れば対応が変わるかもしれない。エリーゼはかつての家庭に憧憬を見る。彼女の幸せは、かつての家庭の延長線上にしか描けない。新たな幸せが壊れてしまう恐れより、一度破綻した幸せが元に戻ることを期待したのかも……
 しかしこの読みには破綻が多すぎる。子どもがストラウスの子でないのは明白だし、だから彼女の期待は淡すぎる。これから収入も必要だろうに、働けなくなった夫の所に戻る選択も不思議だ。何より、ジョルジュ・サンドの名前が出ているのだから、そんなガチガチ封建的な締め方もないだろう。そこでストラウスにはまだ蓄えがあると仮定すると、わりと腑に落ちる部分もある。転職したとはいえ不安定なチャーリーではなく、今はどうしようもなくても金だけはある夫。そちらを選ぶのはひとえに、子どもが出来たからに他ならない。冒頭エリーゼはチャーリーの言葉に振り向きもせず、おなかをなでている。母になる事を意識した彼女は、自分の生まれてくる子どものことを最優先にしている。チャーリーを愛していて、その愛した男との子どもはとても愛おしく、しかしだからこそ、その子に貧乏をさせるわけには行かないと思ってしまう。母としてのエリーゼの、切実故に残酷な選択の物語としても読める。「わたしは臆病なの」の一言も切実だ。
 新井素子の「ひとめあなたに…」最終章で、地球が終わろうとする中、おなかの子のため、愛する夫のそばではなく、少しでも生存確率の高い核シェルターを持った元彼のところへ向かう妊婦の話があって、その展開を連想した。
 ただその場合も、子どもにまで暴力を振るう可能性のある男の元に戻るのかという疑問はつきないし、なにより赤ちゃんテレビの後で「女である以前に母である」みたいな読み方をするのはかなりの抵抗がある。本当になんでこの順番なの。うそやろ。
 まあともかく、一つの関係がこわれ、別な男とのロマンスを経て元の関係へと戻っていくという古典的な展開が丁寧に描かれていて、文体も相まって上質な趣があった。


乙野二郎さん「クレイジーソルトシティ」


 人が塩に変わるのはロトの奥さんの話かな。ソドムとゴモラが滅ぶとき、町から逃げるロトの家族に神様が振り向いてはいけないという。でも奥さんは振り返っちゃって、その場で塩の柱になる。

 変身譚は石や動物や、塩に限らなければ古今東西にちらばっていて、けれどもただ訳もなく石や塩になったりする話は少ない。定石としてはロトの話みたいに、時限爆弾みたいな呪詛(まじない)があって、変身してしまう人の行動なり言葉がきっかけになって呪いは発動する。それは言い換えれば「ロー」と「トリガー」だ。法律のない町ではだから、その「ロー」の部分が偏在する形になる。だれか力を持った存在が「あなたはどうこうすれば塩になりますよ」と言わなくても、塩になることが共有されているわけですね。
 本作では他にも呪いの展開に関して象徴的なコードがたくさん挿入される。ドアベルから始まり、拳銃の音に主人公が注目することから、音が音以上の儀礼的な意味を持ちうるような空気が感じられる。次の展開で主人公は銃に対して直接表現を避ける一方、強盗の名前を口にする。相手の名前を手に入れるというのも、呪いの上では重要なプロセスになる。強盗は引き金を引いて、わたしにあたると塩になってしまう。
 強盗は「死んで」と声に出したのに殺すつもりがないことが顕在したので塩になった。メーメーさんは禁酒を「誓い」、スモーキー翁は絶対に出ないと「宣言」してそれを破ったので塩になる。僕らの倫理での罪の重さは関係ない。この町に偏在する呪いのコードは、呪いの対象が「禁忌を犯した」と自覚することで発動する。だから主人公はこの町から出られない。おじさんの遺産をもらったときにこの町でロイヤーをする約束をしているからだ。
 神や悪魔のような絶対的な存在がローを支配し得ない世界は、西洋科学信奉の強い現代社会と重なるところが多分にある。罪も罰も究極のところでは個々に内在し、それを裁く是非については議論が尽きない。弱い人々が集まって作り上げてきた人の法でさえ、SNS上での私刑の数々を見ていると完璧でないことが分かるはずだ。そういう無秩序への皮肉とも読めるかも。
 はじめ他三作が強キャラ過ぎて展開がかすんで見えたけれど、紐解いてみるとこんなに呪いの構造を的確に捉えた作品はなかなか読めないので大興奮だった。なんせ僕は呪いが好きだから。


 これあえて投票しないといけないんだよね……本当に困ってしまう。どうしよう、どうしよう……みんないいんだよ。本当に。地理も歴史もコミュニケーションも呪いも好きで、情報密度とコンテクスト度の高い小説に憧れて、伝統的な作品形態を大切にしたい人間として、どの要素も裏切らない。しかしあえて決めるなら、想定を超えた展開があってかつ「真似したいのに出来ない!」と打ちひしがれた「赤ちゃんテレビ」に一票。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?